(熊本駅に停車中の「九州横断特急」)
熊本と大分を結ぶ「豊肥本線」は、「2016年の熊本地震で
被災」したのちは、徐々に運転再開していました。
そして、最後に残っていた「肥後大津~阿蘇」間が、
「2020年8月に全面復旧」し「全線運転再開」しました!
次頁の新聞は、その4年4か月ぶりの「全線運転再開」
記事です!
鉄道ファンの私は、豊肥本線が全線運転再開したら、
出来るだけ早く乗りに行こうと決めていました。
今回の帰省でその念願が叶って嬉しいです。
「全線運転再開」した区間には、私が今回乗った「九州横断
特急」以外にも、「特急あそぼーい」も走っています。
(特急あそぼーいについては、
「JR九州・豊肥線・特急あそぼーい」を見てね。)
「熊本駅」から、「豊肥本線」の「九州横断特急71号」
別府行きに乗ります。
(熊本9:11発→別府12:37着)
豊肥本線は、熊本から別府まで、世界で唯一のカルデラ横断
鉄道です。
先頭の1号車が指定席、後ろの2号車は自由席です。
「肥後大津駅」が近づくと、車窓の左手の菊陽町の高台には、
写真の様に、雑木林の中から無数の建設用クレーンが伸びて
います。
急ピッチで建設が進む半導体世界最大手の「TSMC」
(台湾積体電路製造)の新工場です。
今年末の完成を目指して、24時間体制で造っています。
地元新聞は、「半導体バブルに沸く菊陽町の狂騒:畑は
買い上げられ地価急騰、パチンコ店も連日満員」と
報じています。
報道によると、投資総額は約1兆円、TSMCの従業員は
1,700名、協力会社も含めると従業員は7,500人。
菊陽町の工業地の地価上昇率は全国トップで、経済効果は
10年間で4.3兆円。
TSMCからの地元行政への要望は、これらの従業員の
アパートの確保でした。
このため、この一帯ではバブルが起きていて、土地価格は
2~3倍に跳ね上がり、少ないパイを巡って不動産業者が
争っている状況だそうです。
また「第2工場」の話も出ており、この活況は5年~10年は
続きそうです。
「肥後大津駅」を出ると、豊肥本線は非電化区間となり、
阿蘇山の山越えです。
徐々に高度が上がっていきます。
阿蘇のカルデラは、外輪山の一部が切れて、「立野峡谷」と
言われる深い谷になっています。
スイッチバック駅の 「立野駅」に到着しました。
ここで列車は「スイッチバック」し、進行方向が変わります。
(上の写真の右側の線路から上がってきた列車は、この位置に
停車して、今度は、反対側の左側の線路を上がって
行きます。)
「立野峡谷」に架かる写真の「新阿蘇大橋」です。
「新阿蘇大橋」は、「旧阿蘇大橋」の600メートル下流に、
新たに架橋され、2021年に開通しました。
上の写真は、熊本地震による橋の崩落現場に残る
「崩落したままの旧阿蘇大橋」です。(赤色枠)
2016年の熊本地震で、橋直下の断層が動いたことにより
崩壊し、たまたま車で走行中だった大学生が車ごと
転落して死亡しました。
この「崩落したままの旧阿蘇大橋」は、保存工事を施され、
震災遺構としてそのまま残されています。
こちら側の岸には、展望広場と記念碑が整備されています。
豊肥本線は、このあとカルデラの中に入り、北側のカルデラを
東西に横切りって行きます。
車窓からは、上の写真の様に左手には「阿蘇山」が見え、
そして、下の写真の様に右手には「阿蘇山の外輪山」が
見えます。
九州横断特急は、阿蘇地方の中心地の「阿蘇駅」に到着
しました。
「阿蘇駅」は、阿蘇中岳の火口や、熊本市内の各所に向かう
バスが発着する交通の要所です。
駅のホームには、上の写真のJR九州のキャラクター
「くろちゃん」がお出迎えです。
駅前には、漫画「ワンピース」の登場人物の像が立って
います。
2016年4月の熊本地震直後、漫画「ワンピース」の
熊本県出身の作者「尾田栄一郎」は、「必ず助けに行く」
とのメッセージを発信しました。
そのメッセージ通りに、「麦わらの一味:ヒノ国復興」
として、県内9市町村に「麦わらの一味の仲間」の像が
設置されました。
前頁の写真の「麦わらの一味」像もその9体の中の1体
です。
阿蘇駅を出た列車は、次に、「阿蘇神社」の参道の入口にある
写真の「宮地駅」に到着しました。
宮地駅を出発した列車は、カルデラを出るために、トンネルの
区間が多い、標高差215メートルの難所越えが始まります。
熊本県側は、「立野峡谷」の部分の「外輪山」の一部が切れて
いるので、列車は、ここから阿蘇のカルデラの中へ入って
行けます。
しかし、大分県側は、「外輪山」にこの様な切れ目が無い
ので、列車は、ここから阿蘇のカルデラを出るために、
外輪山の急な坂を上ったのちに下る必要があります。
外輪山のトンネルを抜けると、ここまで急勾配を登り続けて
きた豊肥本線は、大分へ向かって、ひたすら下って
行きます。
大分県に入りました。
酪農・農業王国の熊本県から、林業王国の大分県に入ったのを
実感します。
熊本と大分の県境で、大分側にある「豊後荻駅」に
着きました。
この駅舎には、物産館、図書室、歴史資料展示室を併設して
いるそうです。
宮地駅から42分、滝廉太郎の名曲「荒城の月」の「岡城
(荒城)」で有名な「豊後竹田駅」に到着しました。
ホームからは、上の写真の様に、岡城の城下町の武家屋敷を
模した駅舎の屋根が見えます。
昔、岡城へ行きましたが、「荒城の月」の雰囲気を漂わせる、
大きくてなかなか立派なお城でした。
九州横断特急は、上の写真の様に、阿蘇の市街地を高い位置
から眺めながら、阿蘇外輪山の山中を走っていきます。
やがて、列車は大野川に沿って徐々に下っていきます。
車窓は平野の風景になりました。
車窓が都会の風景に変わり、「日豊本線」と並走しながら
大分川を渡ります。
日豊本線と合流すると、もうすぐ「大分駅」です。
豊後竹田駅から1時間13分で「大分駅」に着きました。
大分駅のホームには、写真の様に、温泉の入り方の順番の図解
が並んでいます。
大分駅から先は「日豊本線」になります。
列車は、「別府湾」に沿って走ります。
間もなく終点の「別府駅」に到着しました。
別府駅の前には、上の写真の「油屋熊八」の奇抜な像があり
ました。
「油屋熊八」は、亀の井ホテルの創業者で、日本初の女性バス
ガイドによる定期観光バスを発案したユニークな実業家だ
そうです。
九州横断特急