(写真は、復元された箕輪城の馬出門)
伊香保温泉で1泊した話しの続きです。
翌朝、温泉のホテルの窓から外を見ると、強い
横風に吹雪が舞っています!
急遽、少しでも、雪が少ない平地に移動しようと、
ホテルで朝食をすませると直ぐに、渋川駅行きの
バスに乗りました。
渋川駅で上越線に乗り、高崎駅で下車して、以前
から行きたいと思っていた「箕輪(みのわ)城」
へ向かいます。
「箕輪(みのわ)城」は、NHK大河「おんな城主
直虎」の息子の井伊直政(菅田将暉)が、初めて
城を与えられて城主となった記念すべき場所なの
です。
NHK大河の最終回は、井伊直政が箕輪城に入場
するシーンを期待していたのですが、そのシーン
はありませんでした・・・
考えてみれば、「おんな城主 直虎」の主役は、
直政ではなくて 直虎ですものね、まあ~仕方
ないか。
箕輪城は、群馬県の榛名山の麓の丘陵地帯に位置
する平山城(ひらやまじろ)です。
在原業平の子孫の長野業尚によって、戦国時代の
1500年頃に築かれました。
武田信玄が侵攻して来た際には、長野氏は箕輪城
を本拠によく防戦しましたが、最後は落城、
武田氏の家臣の真田幸隆(真田幸村の祖父)が
新たな城主になりました。
そして、武田氏の滅亡後は、織田信長の家臣の
滝川一益の居城となりましたが、本能寺の変
により織田氏が滅亡すると、北条氏政の弟の
氏邦が城主になります。
その北条氏も豊臣秀吉によって滅ぼされ、徳川
家康が関東に入封すると、箕輪城は、”おんな
城主直虎”の息子の井伊直政に12万石で
与えられました。
直政は、箕輪城を近代な城郭に改造するものの、
その後、居城を高崎に移したため、箕輪城は僅か
8年で廃城になりました。
現在は、空堀や土塁の一部が残るだけですが、
平成28年に、冒頭の写真の郭馬出(かく
うまだし)の西虎口門が復元されました。
JR高崎駅から、群馬バス「伊香保温泉行き」で
30分、「城山入口」で下車します。
箕輪城は、長閑な田園風景の中のこんもりとした
丘陵地帯にありました。
城山入口バス停の脇が、箕輪城への入口の椿名口
だったので、ここから歩いて本丸へ向かいます。
(大堀切)
大堀切に架かる土橋を渡ると、西側への出撃拠点
である「郭馬出(かくうまだし)西虎口門」が
あります。(平成28年復元)
郭馬出から周辺を見渡してみると、想像以上に
広い城郭です。
また、見学ルートも良く整備されているので、
なかなか見応えがあります。
特に、この郭馬出は必見です。
「郭馬出」の先には「二の丸」があります。
(二の丸)
二の丸にいたボランティアガイドのおじさんに
聞いたら、二の丸の奥の「本丸」は、残念ながら、
本丸復元のための発掘調査中ということで、
立入禁止だそうです。
(本丸)
仕方なく、本丸の見学をパスして、本丸の奥に
ある「御前曲輪」へ向かいます。
(御前曲輪)
御前曲輪(くるわ)には、戦闘指揮のための
櫓(やぐら)があったそうです。
「曲輪」とは、土塁、石垣、堀などで区画された
区域の名称で、「郭」(くる わ)とも書きます。
(御前曲輪の井戸)
御前曲輪の西側の堀に下りて、堀から御前曲輪の
石垣を眺めながら、堀の中の道を「三の丸」へ
向かいます。
(御前曲輪の西堀の石垣)
(三の丸)
(三の丸の石垣)
箕輪城跡の全体的な印象としては、堀切、郭、
土塁などの遺構がよく残っており、また堀跡は
深くて立派でした。
結局、私が歩いたコースとしては、椿名口から
入り、大堀切、郭馬出を経て、二の丸、本丸、
御前曲輪と進み、更に、三の丸から元の二の丸に
戻りました。
そして、二の丸から搦手口に出て、元の城山入口
バス停に戻りました。
城山入口バス停から路線バスでJR高崎駅へ向かい、高崎駅から上野東京ラインで、乗り換えなしで横浜へ帰りました。
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