ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

箕輪城 (群馬県) (日本100名城) 2017.12.27


(写真は、復元された箕輪城の馬出門)

伊香保温泉で1泊した話しの続きです。

翌朝、温泉のホテルの窓から外を見ると、強い
横風に吹雪が舞っています!

急遽、少しでも、雪が少ない平地に移動しようと、
ホテルで朝食をすませると直ぐに、渋川駅行きの
バスに乗りました。

渋川駅で上越線に乗り、高崎駅で下車して、以前
から行きたいと思っていた「箕輪(みのわ)城」
へ向かいます。

「箕輪(みのわ)城」は、NHK大河「おんな城主
直虎」の息子の井伊直政(菅田将暉)が、初めて
城を与えられて城主となった記念すべき場所なの
です。
NHK大河の最終回は、井伊直政が箕輪城に入場
するシーンを期待していたのですが、そのシーン
はありませんでした・・・

考えてみれば、「おんな城主 直虎」の主役は、
直政ではなくて 直虎ですものね、まあ~仕方
ないか。

箕輪城は、群馬県の榛名山の麓の丘陵地帯に位置
する平山城(ひらやまじろ)です。

在原業平の子孫の長野業尚によって、戦国時代の
1500年頃に築かれました。

武田信玄が侵攻して来た際には、長野氏は箕輪城
を本拠によく防戦しましたが、最後は落城、
武田氏の家臣の真田幸隆(真田幸村の祖父)が
新たな城主になりました。

そして、武田氏の滅亡後は、織田信長の家臣の
滝川一益の居城となりましたが、本能寺の変
により織田氏が滅亡すると、北条氏政の弟の
氏邦が城主になります。

その北条氏も豊臣秀吉によって滅ぼされ、徳川
家康が関東に入封すると、箕輪城は、”おんな
城主直虎”の息子の井伊直政に12万石で
与えられました。

直政は、箕輪城を近代な城郭に改造するものの、
その後、居城を高崎に移したため、箕輪城は僅か
8年で廃城になりました。

現在は、空堀や土塁の一部が残るだけですが、
平成28年に、冒頭の写真の郭馬出(かく
うまだし)の西虎口門が復元されました。


JR高崎駅から、群馬バス「伊香保温泉行き」で
30分、「城山入口」で下車します。




箕輪城は、長閑な田園風景の中のこんもりとした
丘陵地帯にありました。
城山入口バス停の脇が、箕輪城への入口の椿名口
だったので、ここから歩いて本丸へ向かいます。










(大堀切)

大堀切に架かる土橋を渡ると、西側への出撃拠点
である「郭馬出(かくうまだし)西虎口門」が
あります。(平成28年復元)

郭馬出から周辺を見渡してみると、想像以上に
広い城郭です。
また、見学ルートも良く整備されているので、
なかなか見応えがあります。

特に、この郭馬出は必見です。


「郭馬出」の先には「二の丸」があります。

(二の丸)

二の丸にいたボランティアガイドのおじさんに
聞いたら、二の丸の奥の「本丸」は、残念ながら、
本丸復元のための発掘調査中ということで、
立入禁止だそうです。


(本丸)

仕方なく、本丸の見学をパスして、本丸の奥に
ある「御前曲輪」へ向かいます。

(御前曲輪)
御前曲輪(くるわ)には、戦闘指揮のための
櫓(やぐら)があったそうです。

「曲輪」とは、土塁、石垣、堀などで区画された
区域の名称で、「郭」(くる わ)とも書きます。


(御前曲輪の井戸)

御前曲輪の西側の堀に下りて、堀から御前曲輪の
石垣を眺めながら、堀の中の道を「三の丸」へ
向かいます。


(御前曲輪の西堀の石垣)


(三の丸)


(三の丸の石垣)



箕輪城跡の全体的な印象としては、堀切、郭、
土塁などの遺構がよく残っており、また堀跡は
深くて立派でした。

結局、私が歩いたコースとしては、椿名口から
入り、大堀切、郭馬出を経て、二の丸、本丸、
御前曲輪と進み、更に、三の丸から元の二の丸に
戻りました。


そして、二の丸から搦手口に出て、元の城山入口
バス停に戻りました。

城山入口バス停から路線バスでJR高崎駅へ向かい、高崎駅から上野東京ラインで、乗り換えなしで横浜へ帰りました。

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コメント一覧

ウォーク更家
井伊直政の箕輪城
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、本丸の復元計画もあるみたいで、箕輪城は整備が着々と進んでいました。

そうですね、真田の城なんですが、やはり大河ドラマの影響は大きく、井伊直政の幟がたくさん立っていました。

こもよみこもちさんのお城巡りのブログを読んでいるうちに、私もすっかり感化されてしまって、いつの間にか、お城巡りを始めていました。(-_-;)
こもよみこもち
こんばんは。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
箕輪城も整備が進んでいるようですね。

箕輪城というと真田の城というイメージでしたが、
井伊直政も城主になっていたんですね。

いつの間にか、たくさんのお城をまわっておられますね。
ウォーク更家
城の歴史と知っている武将
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、やはり、知っている武将に関係するお城だと、親近感を覚えて、そのお城に、つい行ってみたくなります。
大河ドラマの当時を想像しながら、箕輪城を散策しました。
ええ、馬出門は復元されていたので、当時の出陣の光景が目に浮かんできました。

いえいえ、私は国際人ではないので、安直に、自動翻訳ソフトに頼ろうという訳です。
もののはじめのiina
城に歴史あり 
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/0586492e829c56265b83b576a025b7e9
箕輪城を詳しく散策して調査されたのですね。
お城にも、当然ながら さまざまな遍歴があるのを識らされます。
知った戦国武将たちの名があると、身近におもえるから行きたくもなります。
とくに、馬出門が浮き立っている印象でした。


> 姪の結婚披露宴・・・相手がアメリカ人なので、親戚や友人など出席者の半分はアメリカ人です。そこで、このソフトを使って、同じテーブルの人と会話しようか、と思っています。
街道歩きの更家さんも。国際人ですね。^^

ウォーク更家
箕輪城と直政
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですよね、大河は当然、直虎中心ですものね。
でも、大河も、最後の方では、結構、直政にもスポットライトが当たり始めたので、箕輪城は期待していたのですが・・・

私も、街道歩きを始めたころは、お城にはそれ程興味がなかったのですが、真田丸とか、女城主直虎とかの大河を見ているうちに、物語の舞台であるお城に、実際に行ってみたいと思うようになりました。
コスモタイガー
箕輪城
http://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
箕輪城と直政の関係、初めて知りました。
大河でも、そこは気にしてなかった!
(完全に直虎中心に見てましたし…)

箕輪城にしても馬籠城にしても、中山道近くなのに、まったくそんなこと考えもせず、先へ先へと走ってしまいましたね…。
ウォーク更家
心残りな馬籠城址
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうでしたか、hide-sanさんは、お城フアンでしたか。

街道沿いにはお城が多いので、私の方は、いつの間にか見学した数が増えて行った、という感じです。

そうなんですよね、中山道の馬籠城址は、山道の途中まで行ったのですが、そのまま進んだら日没になりそうな気がして、迷った末に途中から引き返しました。
馬籠城址を見学出来なかったのが今も心残りです。

stiff=険しいですか、覚えました。
hide-san
28城目
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
箕輪城は28番目のお城ですね。

ボクも結構お城には行っているのですが、更家さんのように、ブログにしていませんね。

ところでの中山道上の馬籠城址が無いのは、
更家さんにしては珍しいですね。
ボクはハイヒール姿の外国人女性とすれ違って、
この先はstiff 険しいですよと言う英語を覚えました。
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