(写真は、甲州街道沿いのブドウ園)
「勝沼宿」は、甲府盆地の東の端に位置し、江戸時代には
物資集積の地として栄え、市が立ち大いに賑わいました。
本陣1、脇本陣2、旅籠23軒でした。
勝沼宿に入ると直ぐ左手には、上の写真のワイン民宿の鈴木園
があります。
昼食時になったので、ワイン民宿の庭で出しているワイン付き
のランチを食べようと思ったのですが、残念ながらコロナ禍で
休業中でした。
ワイン民宿から先の街道沿いには、ブドウ園が延々と
続きます。
ここ勝沼には、約130軒ものブドウ園があるそうですが、
街道沿いのブドウ園は、頑丈な鉄骨の枠を組み、その上に
ブドウの枝を這わせています。
その鉄骨の枠の下の広い空き地は、観光客用の駐車場になって
います。
更に歩いて行くと、右手の「上行寺」の参道口に、「日蓮聖人
投宿之地」と刻まれた真新しい石碑と、1805年建立の
「南無妙法蓮華経」の2基の題目碑が建っていました。
街道の左手には、次頁の写真の「勝沼氏館跡」があります。
この辺りを支配していた「勝沼氏」は、「武田信玄」の父
である「武田信虎」の弟の「勝沼信友」の一族で、
「武田軍団」の一翼を担っていました。
1560年、越後国の「上杉謙信」は、甲斐国に進行する際、
調略により、この地の「勝沼信友」を密かに寝返らせ
ました。
しかし、謀反の証拠となる文書が見つかってしまい、
「勝沼氏」は「武田信玄」に滅ぼされました。
この館跡に、武田信玄によって殺された勝沼信友の娘の
「理慶尼(りけいに)」によって、勝沼氏の供養地蔵が
造立されたそうです。
現在は、この地蔵を復活した真新しい「勝沼氏供養地蔵」が
建っています。(上の写真の右端)
勝沼氏館跡を出て勝沼上町に入ると、右手に上の写真の
「勝沼宿本陣跡」(池田屋)があり、その脇に
「槍掛けの松」が残っています。
大名が本陣に宿泊した際に、その目印に槍を立て掛けたのが
この「槍掛けの松」だそうです。
本陣跡の隣には「脇本陣跡」の標柱が建っています。
少し歩いて勝沼仲町に入ると、左手に格子戸が美しい
上の写真の「仲松屋」があります。
仲松屋は江戸時代後期の商家建築です。
仲松屋の隣は、江戸時代の豪商だった上の写真の
「萩原家」です。
白壁の土蔵が美しい萩原家は質屋業で財を成しました。
少し進むと、右手に、福嶋屋薬局の珍しい「3階建ての土蔵」
(地下1階・地上3階)があります。
少し先の右手には、上の写真の「旧田中銀行社屋」
(国登録有形文化財)があります。
明治30年代前半に、勝沼郵便局の電信局舎として建てられ、
大正9年から昭和7年頃まで「山梨田中銀行」の社屋として
利用されました。