(写真は、”ぶどう寺”と呼ばれている「大善寺」)
新選組の近藤勇が官軍に破れたという、江戸時代の柏尾橋の
脇の「柏尾古戦場」跡の見学を終え、上の写真の現代の柏尾橋
で深沢川を渡ります。
国道20号を更に進むと、柏尾山の登山口に、写真の「柏尾山
薬師如来碑」がありました。
この薬師如来碑の脇に「熊出没注意」の看板が!
えぇ~っ!、こんな人気の多い所に熊が出るの?
街道沿いの高台に、上の写真の「芭蕉翁 甲斐塚」があり、
塚には、1762年建立の「蛤(はまぐり)の 生ける甲斐あれ
年の暮れ」の芭蕉句碑が建っていました。
(句意:蛤のように殻を閉じたままに、世捨て人として俳句と
旅に生きた自分は、これからもそうやって生きていくのに何の
意味があるのだろうか、とこの年の暮れに思う。)
更に国道20号を進むと、奈良時代の僧である「行基」が
開創した、”ぶどう寺”と呼ばれる「大善寺」があります。
(拝観料500円)
大善寺の建物の内部は撮影禁止なので庭の写真だけです。
武田勝頼は、後に裏切った家臣の小山田信茂の居城のある
岩殿山(大月市)に向かう途中、ここ大善寺で一夜を
過ごしました。
(小山田信茂が主君の武田勝頼を裏切った経緯については、
また、甲陽鎮撫隊(新選組)の近藤勇は、板垣退助率いる官軍
を迎え撃つために、ここ大善寺を本陣にと考えました。
しかし、武田家ゆかりの名刹を血で汚しては非礼になると
考え直し、大善寺を本陣にするのを諦め、柏尾山に本陣を
置きました。
新選組の近藤勇については、「甲州街道を歩く: 日野、
説明版によると、「行基」はこの地で修行し、718年、
修行満願の日に、“ブドウ”を持った薬師如来が夢の中に
現れたので、その夢で見た像を作って安置したのが、
ここ「大善寺」だそうです。
また、行基は、ここ大善寺の境内でブドウ作りを始め、
村人達に作り方を伝授しました。
以来、ぶどうは法薬としてこの地で広く栽培されるように
なりましたが、これが「甲州ブドウ」栽培の始まりだ
そうです。
へ~、山梨県のブドウ栽培は、そんなに古い歴史が
あったんだ!
石段を上って行くと、前頁の写真の「山門」があり、その脇
には、前頁の写真の「柏尾の戦い」の錦絵と説明があり
ました。
山門から更に長い石段を、息を切らせながら登って行きます。
石段を登り切ったら、写真の1286年建立の「薬師堂」
(国宝)がありました。
薬師堂の本尊の「薬師如来像」は国の重要文化財です。
但し、薬師如来像は秘仏のため、御開帳は5年に1度だけ
だそうです。
(薬師如来像:寺のパンフレットから)
境内にあるこの墓は、説明版によると武田信玄によって
滅ぼされた勝沼一族の勝沼信友の娘の「理慶尼の墓」
だそうです。
余りの暑さにバテてしまったので、写真の「楽屋堂」の中に
上がり込んで、水分補給をしながら一休みします。
なお、この寺のパンフレットによると、境内には、民宿の施設
があり、精進料理や薬師堂内での座禅経験なども出来る
らしいです。
次頁の写真は、境内にある「甲府盆地展望台」からの
甲府市内の眺めです。
大善寺の先の柏尾交差点が、下の写真の様にY字路に
なっています。
旧甲州街道は、このY字路で、左に大きくカーブする
国道20号から分かれて、右の県道38号・塩山勝沼線を
進みます。
江戸時代には、もうこの辺りから勝沼宿が始まっていました。
鶴瀬宿から勝沼宿までは約5キロです。