ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

武相荘 (東京都町田市) 2019.3.8


(写真は武相荘)

”日本一の兵(ひのもといち の つわもの)”と
言えば「真田幸村」です。

では、”日本一のカッコいい男”と言えば
誰でしょうか?     

私は、断然、「白洲次郎」だと思いますよ。

と言う訳で、白洲次郎と正子夫妻が生涯を通して
愛した「武相荘」(ぶあいそう)へ行って
来ました。

「武相荘」は、「武蔵の国」と「相模の国」の

境に位置することと、”無愛想”を掛けて、

次郎が自嘲気味に名付けたものだそうです。


明治35年、実業家の次男として生まれた「白洲
次郎」は、旧制中学時代には、父親から
アメリカ製のスポーツカーをプレゼントされて
乗り回す、という破天荒な少年時代を過ごし
ます!


また、”日本で最初にジーンズをはいた男”とも
言われる様なオシャレな男でした。

卒業後は、英ケンブリッジ大学へ進学し、英国
文化と共に流暢な英語を身に着けました。

昭和4年に、樺山伯爵家の次女・正子と結婚
します。

(前頁の夫妻の写真は武相荘パンフレットから)

帰国後は、英国商社で働き、仕事で度々英国に
渡ったことから、当時、駐英大使だった「吉田茂」
と面識を持つようになります。
敗戦後は、吉田茂の側近となり、GHQの
マッカーサーとの交渉役として、新憲法制定や
講和条約締結に深く関わりました。

次郎は、交渉の席で、「戦争には負けたが、奴隷
になった訳ではない。」とマッカーサーに
言い返しました。
マッカーサーと対等に渉り合い、GHQに”従順
ならざる唯一の日本人”と言わしめました。
多くの日本人が、唯々諾々とGHQの言いなりに
なっていた世の中で、GHQに対してハッキリと
「NO」と言った、ただ一人の日本人でした。


 日本の独立に目途がつくと、政界の地位に拘らず、
あっさりと身を引き、武相荘に戻りました。



小田急線の鶴川駅で下車します。
鶴川駅まで小田急線の新宿駅から30分、横浜線
利用の場合は町田駅で乗り換えて2駅です。
「武相荘」へは、鶴川駅北口から徒歩15分です。

バスの場合は、11番系統・鶴川団地行きに乗り、
鶴川1丁目で下車します。
 


多摩丘陵の緩やかな坂道を上り切った、静かな
住宅街の一角に、広さ2,000坪という「武相荘」
(ぶあいそう)はありました。
 (入場料:1,080円、月曜休館)
 
第二次世界大戦が始まると、白洲次郎は、全ての
職を辞し、ここ鶴川村の養蚕農家を購入して、
自給自足の農民生活を始めました。

正面入口の左手の上の写真の納屋が、現在は、
入場券販売窓口と土産物店を兼ねています。

写真の建物は、次郎が使用していたガレージです
が、現在は、カフェになっています。

カフェには、次郎が中学時代に乗り回していたと
いうアメリカ車と同形式の車が展示されています。
この車は、白洲次郎の生涯をテレビドラマ化する
際に、撮影のために、アメリカから取り寄せた
実際に走れる車だそうです。

ガレージの壁の上の写真の車は、英国留学時代に
乗っていたベントーレで、この車で、欧州縦断
したそうです。

写真の正面の門は、次郎と正子が気に入って購入、
移築したものだそうです。



白洲夫妻の生活の場であった分厚い萱葺き屋根の
主屋(おもや)に入ります。

江戸末期に建てられたという、多摩地方の
伝統的な養蚕農家です。


土足厳禁ですが、上の写真の靴入れの袋も
オシャレです。

ここは、夫妻の居間や書斎で、家具、持ち物、
調度品などが展示されています。

(館内撮影禁止)

また、次郎が関わった新憲法制定や講和条約締結
に関するオリジナルの資料も展示されています。
面白いのは、当時は爵位の娘を嫁に貰う場合は
内大臣の許可が必要だったそうで、その許可証も
展示されていました。

更に、「葬式無用、戒名不要」と書かれた次郎の
遺書も展示されていました。


上のパンフレットの写真の囲炉裏の部屋には、
”当代一の目利き”と言われた正子が愛用して
いた骨董や陶器が展示されています。

正子は、”本物の良さがわかる数少ない日本人”
と評価されています。

座敷には、正子が大切にしていた着物が展示
されていました。


納戸は、パンフレットの上の写真の様に、正子の
書斎に改造されていました。

随筆家の正子は、この書斎から、「かくれ里」
などの数々の作品を生みだしました。

この萱葺きの古民家を上手く生かして、物の本質
を見抜いて、上手に使いこなして使い続けよう
という、白洲夫妻の”用の美意識”を感じます。


夫妻は武相荘を”終(つい)の棲家”としました。




近隣農家から移築したという養蚕作業の専用小屋
は、現在は、写真の様に、お洒落なレストランに
なっています。

ここで、お昼に、次郎が大好きだったという写真
の「親子丼」(2,100円)を注文します。 

親子丼の「蓋つきどんぶり」の器は、正子の知人
の伊賀土楽窯の福森氏に、当時を再現するための
復刻版を製作依頼したものだそうです。

その復刻版の器で、窓から外の景色をゆったりと
眺めながら、親子丼を頂きます。
あっ~・・・、食べる方に夢中になって、肝心の
親子丼の器の蓋(前頁の写真の赤丸印)の写真
を、絵付けの模様が分かる様に、上から撮る
のを忘れました・・・
(-_-;)
昼食を終えて、裏山を散策します。

裏山の庭を鈴鹿峠に見立てていて、遊びごごろが
みられます。




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コメント一覧

ウォーク更家
2013年にレポート済み
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
私は、ガレージの米車を使用したという最近のテレビドラマで見てから、武相荘に行きたいと思いました。

しかし、さすがですね、既に、2013年に、漏れなくレポート済みでしたね。

私がレポートした、クラシカルな米車、遺言、鈴鹿峠の道標などを、iinaさんは全て網羅しています。
もののはじめのiina
ぶあいそう 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/74d4bf28a929b3f6635bfa2d8cbd2185
念入りな「武相荘」取材でした。^^
いいとこのお坊ちゃんのまゝ大人になって、その気骨を尊重されての重要ポスト登用ですから、うらやましい人生といえます。
散歩コースがあるなど、いまも広大な土地です。^^

iinaは、つぎのように ブログしました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b051ea5107d04a4f1e1a145793dca3ab


> 京急沿線の河津桜、これも見事ですね。
    にもかかわらず 巧く撮れました。
しかし、線路沿いに河津桜が咲いているため鉄柵が目障りで、それほどでもありません。
ただ、マグロづくしはマンゾクでした。泊まらずともランチ・タイムはおすすめです。



ウォーク更家
一緒に武相荘見学
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
武相荘、一緒に見学した様な気分になって頂けて良かったです。

エッセイストの才はありませんが、お褒めいただき嬉しいです。
ありがとうございます。
hide-san
一緒に
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
一緒に見学した気分になりました。

更家さんの書くブログはエッセイストの片鱗が伺えますね。

大切になさって下さい。
ありがとうございました。
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