ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

石垣山 一夜城(続日本100名城)    :一夜城 まつり (神奈川県小田原市) 2018.10.21


(写真は、「一夜城」の「井戸曲輪
 (いどくるわ)」)

先週の日曜日(10/21)、近場なので、前から
一度行きたいと思っていた「石垣山一夜城」へ
行って来ました。

込み合う「一夜城まつり」の日を避けて、他の日
に行ってもよかったのですが、一夜城へ行くには、
急で厳しい坂道を上る必要があり、股関節炎を
抱えている私としては躊躇していました。

「一夜城まつり」の当日だけは、東海道線の早川駅
から、一夜城直行のシャトルバスが20分毎に出る
ので、これを利用すれば股関節炎が悪化する
恐れもありません。


1585年、豊臣秀吉は、大名間の領地争いを禁じる
「惣無事令(そうぶじれい)」を出します。

1589年、北条氏は、この惣無事令に従わず、秀吉
の裁定で真田領とされた群馬県沼田市の名胡桃城
(なぐるみじょう)に侵攻しました。
(名胡桃城については、(名胡桃城)を見てね。)

1590年、これに対し、秀吉は、22万の大軍を
動員して、5万人が籠城する北条氏の本拠・
小田原城を包囲しました。

強固な守りの小田原城を短期間で攻め落とすのは
困難と考えた秀吉は、長期戦の構えで、小田原城
を見下ろすここ笠懸山(かさがけやま)に、
本陣の「石垣山一夜城」を築きました。

石垣山城は、城攻めのための臨時の城ですが、
3万4千人を動員し、80日かけて築いた
本格的な総石垣の城でした。

「石垣山城」が、「一夜城」と呼ばれるのは、秀吉
が城の完成とともに、一斉に周囲の木々を伐採し、
立派な城が突如現れたような演出をしたためです。

一夜にして城が浮かび上がる様を見て、小田原城
に籠城していた北条軍は驚き、戦意を喪失した
そうです。

石垣山城が完成すると、秀吉は、この城に、淀君
や千利休らを呼んで茶会を開いたり、天皇の勅使
を迎えたりしました。 

北条氏の降伏後は、そのまま徳川家康の領地と
なりました。


JR東海道線・早川駅で下車、駅前から箱根登山
鉄道のシャトルバスで、急な坂道を上ること
10分で「一夜城」に到着です。


現在の城址は「石垣山一夜城歴史公園」として
整備されており、 ひらけたところに駐車場が
ありました。

シャトルバスを下りて、バス停の前の臨時案内所
で、一夜城のパンフレットを貰います。




臨時案内所の隣の上の写真の「南曲輪の石垣」が、
先ず目に入ります。

この南曲輪の石垣の前の坂道を「二の丸(馬屋
曲輪)」へ向かって上って行きます。



坂道の左側が「二の丸」の石垣です。



直ぐに、本日の ”一夜城 まつり”会場の「二の丸
跡」に着きました。



正面の舞台では、和太鼓演奏、甲冑隊の
パフォーマンス等が演じられ、脇のテントでは、
茶会が催されていました。





私は、一夜城名物の「勝鬨(かちどき)玉こん」
(150円)をつまみに、生ビールを飲みながら
舞台を見物をします。








祭りの会場の二の丸跡の奥の方に見える石垣が
「本丸」の石垣です。

本丸の石垣は、穴太衆(あのうしゅう)による
野面積みです。

二の丸跡から、「本丸跡」(本城曲輪)への
坂道を上ります。

上の写真は、本丸へ上る途中から、二の丸を
見下ろしたところです。



本丸跡は、眺めの良い場所にありました。







本丸跡の更に奥の緩やかに小高くなっている場所
に「天守台跡」がありました。



天守台跡は、正面からは緩やかな坂ですが、
背後は切り立った石垣になっています。

天守台跡から祭り会場の二の丸跡へ戻り、二の丸
跡の北の端にある「展望台」へ行ってみます。

次頁の写真の展望台からは、小田原の市街地と
相模湾が見えます。

目を凝らしてみると、かすかに小田原城の天守閣
の上の部分が見えます。

秀吉も、この展望台から、小田原城の天守閣を
囲む全国の大名達の色とりどりの旗印と、
相模湾から小田原の町を包囲している無数の
軍船を眺めていたのでしょうね。
その秀吉が立っていた展望台に、今、私も立って
いると思うと微かに感動します。

(小田原城の天守閣からの一夜城の眺望について
 は、(小田原城址公園)を見てね。)


物見台の右側に、上の写真の「櫓台( やぐらだい )
跡」があり、ここから、一夜城の最大の見所
である「井戸曲輪(いどくるわ)跡」へ坂道を
下りて行きます。

すり鉢状の形をした坂道を下り切った底には井戸
がありました。

井戸を囲む様に築かれた石垣の壁は、想像以上に
大きくて、圧巻です!
この井戸は、「淀君化粧井戸」とも呼ばれた
そうです。

秀吉に呼ばれて一夜城に来た淀君は、この井戸の
水で化粧したのでしょうね。
今でも湧き水が出ているとのことでしたが、
確認できませんでした。

井戸曲輪跡から、再び祭り会場の二の丸跡へ戻り、
天守台の裏側にあたる道を進んで行くと
「西曲輪跡」がありました。

天守台の下にあたる西曲輪跡の下の道を更に進む
と、上の写真のスタート地点の南曲輪跡の見事な
石垣に戻って来ました。

帰りのバスの一番前の席からは、一夜城への
急で厳しい坂道が良く見えて、股関節炎の私は、
祭りの日を狙って来て正解だったと思いました。



写真右側の赤い四角枠に囲まれた部分が、淀君が
化粧したと言われる井戸がある「井戸曲輪
(いどくるわ)跡」です。

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コメント一覧

ウォーク更家
東海道沿いの石垣一夜城
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、石垣一夜城は、東海道から近いので、コスモタイガーさんなら軽く足を伸ばせましたね。

コスモタイガーさんの「旧東海道編37」のランニングコースを見ると、石垣一夜城のすぐ北の入生田を走っていますから、お店は石垣一夜城からそう遠くはなくて、お店の主張は間違いではなかったかも知れませんね。
コスモタイガー
石垣一夜城
https://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
お~、これが「本物」の石垣一夜城ですか!
東海道から近いですからね、今思えば、足伸ばしておけば良かったです。

そういえば東海道走ってた時、確か道沿いに「ここが石垣城だ!」と主張してたお店がありました。(屈ブログ旧東海道編37)
そんなはずは絶対ないんですけどね。
あれはいったい何だったんだろう??
ウォーク更家
石垣山の名前の由来
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、もともとは笠懸山という名前の山だったのですが、秀吉が石垣を築いてから以降、石垣山の名前になったみたいです。

ええ、祭りの日の1日限定のシャトルバスなんですが、行きも帰りも、20分間隔なので凄く便利です。

Suicaをタッチして乗りましたので、無料ではありませんでしたが、多分最低運賃だと思います。

木々に覆われていて、非常に見辛いですが、ギリギリで、小田原城の天守の上部だけが見えました。
こもよみこもち
こんにちは。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
石垣山一夜城は、一度は行きたいところです。
石垣山の名前は、お城の石垣から来たのでしょうか。
おまつりの時に行くと、シャトルバスに乗れるんですね。
これは無料でしょうか?
今でもなんとか小田原城の天守が望めるのですね。
ウォーク更家
一夜城から小田原城の天守の写真
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
iinaさんのブログの写真では、小田原城の天守が下の方まで綺麗に写っていますね。

ええ、「一夜城まつり」は、バス利用はよいですが、車利用は混んでいて、広い駐車場も満車でした。
もののはじめのiina
一夜城
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/73f3fa36d30e7b89fe6dbf20efa94a87
天守台から小田原城が見えるのを撮ったのは好いです。
     あれほど遠目ですから、城内から望遠鏡で観察していたのでしょうね。

「一夜城まつり」は、イベントを楽しめるのでバス利用者には嬉しいですよ。車で行くには混んでいそうです。

iinaも「井戸曲輪跡」に驚かされ組みですが、なにより一夜城の規模の大きさに圧倒されました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/815fa0b2ee59cfc75bd5cf8584b7d8a0


> 踊り自体は、八尾のおわらと同じの様に見えますが、海老名おわら固有の部分もあるのでしょうね。
「海老名おわら」のウリは「千手観音」でした。
海老名市国分北にある龍峰寺の千手観音重要文化財(国指定)をモデルに創作したそうです。

中国障害者芸術団による感動の『千手観音之舞踏 』動画はコチラです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/91481ddf9b08a3b71d0abbe64d331546 

   iinaの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

 
ウォーク更家
小田原城からの石垣山一夜城の眺め
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、私も、よくは知らなかったのですが、小田原城へ行ったときに、石垣山の写真と、一夜城の方角を示す矢印と、石垣山一夜城の説明書きが、天守の最上階にありました。

それを見てから、どうしても一度行ってみたいと思う様になりました。
hide-san
石垣山一夜城
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
石垣山一夜城は秀吉の話だけかと思って居ました。
実際にあるのだったら、小田原城へ行った時に見てくれば良かったと
今悔やんでいます。
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