(写真は、一枚岩をくり抜いた石枠の「くり抜き石枠井戸」)
前回は、痛恨の判断ミスで分岐点間を間違え、このため
半日を無駄にしてしまいました。
今朝は、始発電車で新横浜からJR中央線に乗り、八王子経由
で、甲府の市街地の「竜王」駅で下車します。
前回間違えた分岐点の竜王新町の交差点からスタートします。
「甲州道中」の道案内の張り紙(赤丸印)に従って、
黄色矢印の方向へ歩いて行きます
少し進むと、左手に、1606年創建の「称念寺」があります。
上の写真は、境内にある「くり抜き石枠井戸」です。
案内板によると、一枚岩をくり抜いた石枠の井戸で、ここを
往来する旅人が休憩したところから、「お休み井戸」とも
呼ばれたそうです。
本堂の脇には、上の写真の「石造六地蔵尊」もあります。
江戸時代初期のものだそうです。
称稔寺を出て、JR中央本線の踏切を渡ります。
白壁の塀の家を左手に見ながら進んでいくと、少しづつ
上り坂になってきました。
この坂が「赤坂」で、広大な「甲府盆地」の外輪山に
あたります。
急な笹子峠を下って入った「甲府盆地」の中を、駒飼、鶴瀬、
勝沼、栗原、石和、甲府柳町と延々と歩いて来ました。
そして、この甲府盆地をぐるりと取り巻く外輪山の切れ目の
坂道(赤坂)に挑み、盆地の底から抜け出そうとしている
訳です。
「赤坂」は、その名の通りの赤土の坂で、一旦雨が降ると
ぬかるんでしまい、行き倒れになる旅人が多かったそうです。
この「赤坂」をどんどん上って行くと、右手に上の写真の
巨大な石碑の「赤坂供養塔」があります。
表面には、大きな字で「南無阿弥陀仏」と刻まれています。
案内板によると、安政年間(1854~60)に建立された
無縁者を供養するための碑だそうです。
無縁者?、ここで行き倒れになった旅人のことかな~?
この赤坂供養塔のすぐ先の左手には、1711年建立の
「馬頭観音像」が祠の中に安置されています。
急な坂を少し上ると、右手の「諏訪大明神」の鳥居の奥に、
「諏訪神社」と「赤坂稲荷神社」が並んでいました。
神社の境内には、上の写真の様に、有名な諏訪の御柱大祭の
ときに使う「御柱」が立っています。
更に急な坂を上って行きますが、振り返ると、「甲府盆地」が
眼下に見えます。
短時間で、こんなに坂を上ったんだ!
上の写真の県営発電総合制御所の辺りまで来ると、道が平坦に
なったので、多分、この辺りが赤坂の頂上でしょう。
江戸時代には、この辺りに三軒茶屋があったそうですから、
旅人は、急坂の難所を超えて、ホッと一休みしたの
でしょうね。
ややこしい変則十字路の分岐点にさしかかったので、今度は
間違えない様に、ガイドブックをよく見ながら、慎重に
進みます。
変則十字路の信号交差点を直進し、上の写真のY字路を左に
入ります。
すると、ここから急な下り坂になりました。
坂をどんどん下って行くので、また間違えたら、この急坂を
上って引き返さないといけません・・・
ガイドブックに記載された「長屋門の旧家」などの目印を
確認しながら慎重に進みます。
(なまこ壁の旧家)
更に下って行くと、右手に1570年開山の「自性院」が
あります。
案内板によると、参道の石畳は1765年の敷設だそうです。
自性院を出て更に進みます。
(なまこ壁の家)
(白壁の旧家)
やがて、下今井(仲町)に入りますが、この下今井上町の
交差点が「穂坂道」の「追分」です。
穂坂道は、甲斐の国と信濃の国を結んでいます。
ここが穂坂道の起点で、ここを右折して信濃の国へ
向かいます。
更に進んで、中部横断自動車道の高架をくぐります。
JR中央本線のレンガ造架道橋をくぐります。
レンガ造架道橋の手前に写真の「丸石道祖神」がありました。