佐倉城下は小高い台地にあり 何処に行くのも坂ばかり 主な坂には名前が付いていて その数は13箇所あります。
今日は「くらやみ坂」周辺の散歩と「侍の社」の見学をしました。
■ スタートは市民体育館
▼ 体育館脇の急坂を下りていきます
▼ 坂の途中に道標
相当古い看板のようで国鉄⇒JRに書き換えた跡があります
➡通りには歩きません
▼ 左折して近道をします
右折すると……
■ 「くらやみ坂」が現れる
坂上には武家屋敷 左に「旧河原家」 右に「但馬家」住宅がある
( 長さ55m 斜度10度 直線スローブ )
■ 由来:昼間でも暗いほど鬱蒼と樹木が茂り狭い坂道に覆いかぶさっていたから「くらやみ坂」といわれる
▼ 中間地点~ 両側は竹と樹木
崩れ注意の看板
▼ 上を見上げると 空が見えない
▼ 上まで上ってきました(下り方向)
古径 昼間でも鬱蒼として若干暗い(それほど暗くない)
江戸時代 佐倉城大手門への近道にもなり侍が出勤時にはこの道を利用したものと思われる
■ 土塁と生垣の通りに面して武家屋敷があり その通りに「侍の社」がある
連休中ということもあり人の出が意外と多かったが覗いてみることにした(無料)
体育館からの筋トレ時と同じ軽い服装にマスクなし 観光客の中一人浮いていたが気にしないことにした。見渡すと多くの方がマスクを着けている。何を気にしているのか?皆さんそれぞれに事情があるのだろうが。。だが此処にはスギ花粉も排気ガスも砂埃も黄砂も飛んでいない。。 そろそろ皆さんマスクを外したらいかがか?そもそも新型コロナウイルスなど未だに誰も証明していない⇒存在していないとも言えるのだから
■ 入って直ぐのところで装具や武器の説明をしていたが人だかりになっていて聞くのを断念
▼ 裏庭では武器などの展示をしていた
(右)伊豆下田に来た黒船の服か?
▼ 刀剣武具体験(手に取ることが出来る)
■ 裏庭には様々な植物が植えられている
▼ サイカチ(槐)大きなトゲがある
江戸時代の佐倉の人々は熱病(夏のおこり=マラリア)などの病気になると、この木に治癒祈願し、治るとそのお礼に、青竹の筒に甘酒を入れて枝に掛けたという風習が伝わっている。
▼ クヌギ:佐倉炭の材料
▼ ケンポナシ:霊木(水難から身を守る)
▼ ウツギ:生垣や畑の境界
▼ ヤマモモ:雌雄異株(しゆういしゅ)の樹木 雌雄は初夏に赤い実をつける
「山桃の大木2本有る。佐倉にて外になし」⇒ 貴重な1本ということか?
▼ 春の七草
①セリ ②ナズナ ③ゴギョウ(ハハコグサ) ④ハコベ(ハコベ) ⑤ホトケノザ(コオニタビラコ) ⑥スズナ(かぶ) ⑦スズシロ(大根)
▼ 秋の七草
①ハギ ②オバナ(ススキ) ③クズ ④ナデシコ ⑤オミナエシ ⑥フジバカマ ⑦アサガオ(キキョウ)
※ 当時の方々の強靭な肉体は、これら季節のものを食していたからか?
▼ 竹林がキレイに整備されている
■ 必要なものを自分で賄い 他所に求めず足りるように 自然に寄り添った生活を送っていた様が見受けられる。又、質素な生活の中でも座敷から眺める庭は、客をもてなすための 目で見て楽しめる植物の配置がされており 格式の高さが伺える
■ 昭和時代 敷地内には空母「瑞鶴」最後の船長「貝塚武男」氏の借家があった
レイテ沖海戦
日本の将来を背負って立つであろう 若い部下達に退艦を命じた最期の言葉は有名
「死んではならん。どこまでも生きてゆけ。死んではならんぞ」
世界の支配構造 軍産複合体の戦争ビジネスの犠牲の一つだと思うと心が痛んて泣けてきます
▼ 「ひよどり坂」を下り体育館へ戻る
(大殿筋と大腿四頭筋を震わせ)この急坂を上らなければたどり着かない
▼ 佐倉市民体育館:レスリング大会中
千葉県におけるレスリングの歴史は、昭和23年に県立佐倉高校に生徒会に正式な運動部として登録されたのが始まり。佐倉市はレスリング県協会主催の大会開催や競技の発展に寄与している
** くらやみ坂 & 侍の社 でした **
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます