その①の続き
本書で初めて知ったのは1880年に刊行された『トルコ語辞典(カムス・テュルキー)』のこと。純トルコ語系の単語に重点を置いた辞典だが、その著者のシェムセッティン・サーミーは実はアルバニア系ムスリム。彼の兄ナーイムはアルバニア民族主義の先駆者として知られる人物で、そのアイデンティティの構造には複雑なものがあったという。
純トルコ語系の単語に重点を置く辞典の作者がトルコ系ではなく、アルバニア系だったというのは何とも皮肉に感じるが、オスマン帝国末期には「トルコ語」と「トルコ文化」を基軸にトルコ・ナショナリズムの体系化に努めた非トルコ系ムスリム知識人もいたのだ。その1人にズィヤー・ギョカルプ(1876-1924)がいて、新井政美氏は彼をクルド系であったと思われる、と述べていた。
本書の原本は2000年、筑摩書房より刊行されており、この時のエピローグはこう結ばれていた。
「そして、このような問題(宗教・民族紛争)を考えていくとき、我々の視点は、文化の違いと人々の共存の在り方の違いの問題、さらには文化の違いをこえて全き平等の下の共存は可能か、そしてそれはいかなるものでありうるかという次の問題にまで及ぶこととなるのではあるまいか」
次は2018年2月3日付の学術文庫版あとがきの結び。
「さらにまた、我が国においても、人口減少対策として、「多文化共存社会となることが必要だ」といった議論もきかれる。
しかし、多文化共存社会が、とりわけ「平等」の原則の下に成立することが、いかに難しいことかが、オスマン帝国における「パクス・オトマニカ」すなわち「オスマンの平和」の形成と崩壊の物語を知ることで、如実に感じられるのではないだろうか。歴史を知ることは、現代と未来について想いをめぐらすときにも、役立ちうるのではなかろうか」
原本と文庫版では著者の論調がやや違ってきたように感じる。初刊行から20年ちかく経てイスラム圏ではシリア内戦のように民族・宗教・宗派紛争が激化、平和は見えそうもない有様。この地域がかつて「パクス・オトマニカ」を謳歌していたこと自体、現代では幻のようだ。アマゾンには「新しさもなく深みもなく」という書評があり、以下はその引用。
「第1部では近代国民国家についてシニカルに語られるがオスマン帝国と関連して書かれたものではなく果たしてこの本でやるべき内容か疑問に感じる。第2部になりイスラム世界の全般的な話になるが中世キリスト教を引き合いにイスラムの寛容性をとく。IS登場以前にはありふれたイスラム擁護論が繰り返されるがIS崩壊後となった現在としては陳腐である。
第3部でバルカン諸国の独立やトルコ共和国の成立について語られるが総論的なものである。オスマン帝国崩壊の原因は西洋による外的要素が大きいとしとしかなく、新たな統合と共存システムがなぜイスラム世界において生み出せなかったか考察がとぼしい。
細かい点でいえば言語による国家、民族の創出がバルカン諸国で見られたといいながら宗教によって区別されたギリシャトルコ間の住民交換については事実の記載だけである」
かなり辛辣だが、fjtn氏の書評に同感できる点もある。ただ、「新たな統合と共存システムがなぜイスラム世界において生み出せなかったか考察がとぼしい」の箇所は無理難題にちかい。イスラム諸国も新たな統合と共存システムを模索しているが、それは容易ではなく、時にISのようなモンスターを生み出す結果にもなった。
カバー写真は「イスタンブルの市場」『祝祭の書』より(トプカプ宮殿図書館像)写真提供:WPS と解説されている。絵の中心には雲衝くばかりの大男の黒人が仁王立ちしており、右上には数名の西欧人もいる。これだけで帝都の市場の賑わいが伺えるが、最も私の気を引いたのが左下の三つ首竜。
山車に乗せられているので、たぶん張子だろうが、体色を除きキングギドラそっくりではないか!キングギドラのルーツは中東だった??帝都イスタンブルの市場に三つ首竜の張子が置かれていたとは面白い。
◆関連記事:「イスラーム史のなかの奴隷」
「トルコで指導者となったクルド人」
まして突厥時代となると遊牧民族の言語なので語彙、語法の面ではセルジューク朝時代とも違っていたと思います。遊牧していた頃には語彙が少なくとも差し支えありませんが、定住・イスラム化すればやはりアラビア語やペルシア語の影響を受けます。
ちなみに中東で、隣国の領土の一部を本来は自国のものだと主張していない国は皆無だそうです。中東諸国の国境の大半は西欧列強が決めましたが、隣国の強欲を非難し合うことに熱心とか。このようなことを日本の中東研究家はまず取り上げませんよね。
ロシアでは悪役のズメイですが、バルカン地方では守護竜としての性格が強いそうです。
>オスマン帝国崩壊の原因は西洋による外的要素が大きい
これがオスマン帝国のみならず世界の帝國がWW1
とWW2でその勝敗にかかわらずがすべて
消え失せたことを考えたことあんの?と突っ込み
をいれたくなります。ウイルソンとか民族自決
とか中学でならわなかったのかと。
国境があった方がよいことがこの世では多すぎる
と思うのですがね。WW日本の知識人は
国境の重みを軽く見る傾向を感じるんですよ。
ロシアから女奴隷を購入したりしてたオスマン帝国に交易商人などを通じてズメイの伝説が流れたのかもしれませんね