トーキング・マイノリティ

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イタリア人から見たオデュッセイア その五

2012-03-27 21:11:50 | 読書/小説

その一その二その三その四の続き
『貞女の言い分』は終始ペネロペの独白というスタイルで物語が展開しており、夫についても次のように語っている。

まったく、わが夫ながら、あの人の頭の動きの複雑さには感心してしまいます…でも、そのためか、妻のこのわたくしまでが、裏の裏の裏を 見る、オデュッセウス式のものの見方に染まってしまったようでございます。夫婦ともなると、どうしたって互いに似てくるものなのでしょうか。詩人ホメロスはわたくしの名を歌う時に、聡(さと)い心のペネロペは、というふうに、聡いという形容詞をつけたほどです…

 古代と現代とでは留守を預かる妻たちの思想観も異なるが、トロイ戦争に従軍した十年間だけでも大変だったと思いきや、その間の心境も 興味深い。

トロイ戦争の十年間はイタケで留守を預かるわたくしにとっても、嬉しいことの多い、それだけに長いとは思わなかった十年でございました。夫が出陣して後、間もなく生まれた息子のテレマコスを育てるのに夢中であったためもありましょう。健康に心優しく育つテレマコスの成長ぶりは、いつも一緒のわたくしでさえ、一日毎に新しく気付くことばかりで、子を持った母親の幸せを十分に味わう毎日でした。

 よく言うではありませんか。女は子を持つと夫のことなど頭から消えてしまうものだと。大きな声では言えませんけれど、わたくしにも同じようなことが起ったのです。成長していく息子を眺めていると、かつてはあんなにも大切に思っていた夫が、それほどでもない存在に変って いるのに、自分自身で驚くというふうなことが。
 ただ、オデュッセウスという夫は、遠くにいてもちゃんとやっていけると、妻に思わせるタイプの男なのです。あの頭の良い人が、そう簡単に死ぬわけがない。これを信頼と呼ぶのか、それとも何と呼ぶのか、何しろそんな風な感情を、妻が持つしかない夫なのだから仕方がありません。

 戦争終結後、夫は一向に帰らず行方知れずになる。女一人でイタケを守る彼女に対し、再婚を迫る男たちが現れる。大勢の求婚者をはねつけたことから貞女の鑑と謳われるようになるのだが、稀なる貞女だったからではないと否定、その胸の内を語る。

行方知れずの夫を、だから何時までも待てるだけの精神的強さも確信もあった訳ではありません。ただ、求婚者たちの誰一人としてわたくしの 心を解きほぐすほどの男がいなかったこと、あの利口者のオデュッセウスがトロイとイタケを隔てる海に、そう簡単に吸い込まれてしまう訳がないと思う心が、再婚に踏み切るのをわたくしに躊躇わせた真の理由でした…

 以下は私の想像だが、ペネロペが再婚をしなかったのも、貧しい小島イタケの女王でも生活には困らなかったことも影響していたのではないか?求婚者たちはこぞって逆タマ狙いばかりだったし、彼女の舘に押しかけては入り浸り、勝手に宴会を開いて飲み食いしている始末。再婚で得をするのは男の側なのだ。聡い心の彼女にそれが判らぬはずはない。

 20年目にしてやっと夫が帰還。以降は夫婦水入らずで穏やかな余生を送ったのかと思いきや、塩野七生氏はラストで意外なことを書いている。ある英国の学者の述べるところでは、この夫婦、夫の帰国後まもなく離婚したそうで、ペネロペは生地のスパルタに帰ったという。一方、wikiのペネロペの解説では全く異なっている。wikiから引用すると…
「オデュッセウスの帰国後、夫との間に息子プトリポルテースを産んだ。オデュッセウスとキルケ(あるいはカリュプソ)との間の息子テレゴノスが誤ってオデュッセウスを殺してしまうと、テレゴノスにつれられてキルケの島に行き、二人は結婚した。キルケは二人を幸福の島へと送ったという」

 どちらの説が正しいのか、素人の私には分らない。塩野氏も、「もしもこの学説が正しければ、不在がちであった夫が急に家に居つき始める という現象の危険性は、三千年の昔から変わらなかったということになる」と述べている。極東の某島国の「亭主元気で留守がいい」を 地で行くようなものか。
 仮にwiki説が正確ならば、貞操を守ったペネロペからは想像もつかないが、これも地中海世界の女性らしい快楽的な人生観の表れかも知れない。

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2 コメント

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百合若大臣 (motton)
2012-03-27 22:16:42
日本に「百合若大臣」というそっくりな物語があります。
「百合」≒「ユリシーズ」など偶然にしては似すぎていますが、少なくとも鉄砲伝来より古い時代からある物語です。

ただ、神話や昔話はある一定の型を持つものが世界各地に分布しています。
古代に各地に広がったものか、偶然であり人の営みや性(さが)は各地でそう変わらないことを示しているのか、よく分からないようです。
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RE:百合若大臣 (mugi)
2012-03-28 23:19:44
>motton さん、

 確かに日本にも『百合若大臣』の物語がありました。オデュッセイアとパターンがそっくりですし、かつては坪内逍遙が『百合若大臣』のルーツはオデュッセイアという説を唱えていたことが、wikiにも紹介されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%90%88%E8%8B%A5%E5%A4%A7%E8%87%A3

 ペネロペの元には108人の求婚者が押しかけたそうですが、108という数が気にかかり、試にこの数字で検索したら2番目の「アキレス数」だったことを初めて知りました。殆どの日本人は108といえば煩悩数を思い出すでしょうけど、野球の硬式球の縫い目の数も同じ。偶然の一致にせよ、興味深い数です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/108
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