トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

皇帝たちの中国史 その二

2020-09-22 22:00:18 | 読書/東アジア・他史

その一の続き
 中国の起源=中近東移民説に真っ向から反駁、突き崩したのが岡田英弘氏。著者の亡き夫で恩師でもある東洋史学者なのだ。中国史に詳しくない方でも、中国人が周辺諸国を東夷西戎南蛮北狄などの蔑称で呼んでいたことは知っており、レイシズムの極みに外ならない。
 しかし岡田氏は、東アジアにいたのはまさに「東夷・西戎・南蛮・北狄」なのであって、彼らの中から「文明人」が生まれたと主張した。「東夷・西戎・南蛮・北狄」の中から漢字を使い、よその民族と交渉する人々が現れた。彼らが富を蓄え、都市を築き、都市の住民となり、「オレたちはお前らと違う。高い文明を持ち、豊かなのだ」と自らを区別したところから中華文明は始まったというのだ。

 都市住民同士で婚姻関係を結び合えば、「東夷・西戎・南蛮・北狄」の血が混じり合う。都市がいくつかできると、都市同士の取引も盛んになる。商売相手と漢字でコミュニケーションを取り、互いに婚姻を通じて結びつきを強めることにより、エリート階級が形成される。
 そうして漢字の読み書きができ、都市に住むエリート階級が「中国人」になった。つまり「中国人」とは、もともと先進的な一民族として存在していた訳ではなく、生物学的なルーツは「東夷・西戎・南蛮・北狄」と呼ばれた野蛮人そのものだったという岡田説は興味深い。いわゆる漢族の定義も血統主義はないが、「中国人」とは実は「東夷・西戎・南蛮・北狄」の子孫だったという説は苦笑した。

 始皇帝の行った悪名高い焚書についての解釈も興味深い。後世では文化破壊と糾弾されたが、実は文字統一を主な目的とする処置だったそうだ。で統一された以外の字で書かれた書物を焼き払っており、焚書がなければ文字統一はならず、文字統一がならなければシナの統一もなかったでしょう、と著者は述べている。
 焚書坑儒を行った暴君のイメージが未だにある始皇帝だが、やはりファーストエンペラーだけあり、功績も大だった。

 孔子についての解釈も目からウロコだった。諸子百家の中でも孔子が抜きんでていたのは、自分の弟子を各国に送り込み、連絡網をつくりあげたことだと著者は言う。孔子スクールは共通の文字を使いこなす教養人グループであり、同じ教科書で勉強した仲間だった。彼らは書記、通信員、外交官として各国に仲間を売り込む。
 孔子といえば『論語』で知られ、人生訓や哲学を教え、弟子たちに尊敬されていたというイメージが流布している。実は文字官僚とでもいうべき中級官僚を育て、世渡りさせていたというのだ。「この先生の研究室にいれば就職が良い」と評判の有力な大学教授のようなもの、という例えにニヤリとした読者もいただろう。「先生、いいことを言ってたよなあ」と孔子の死後、弟子たちがまとめた孔子の言行録こそが『論語』だった。

 第一章の「漢文では細かいニュアンスは表現できない―情感が伝わらない」という指摘もハッとさせられた。中国語の場合、殆どが内容語機能語は少ないそうだ。近代になるまで中国には「文法書」がなく、シナ人がの長いこと文法に関心を示さなかったのは事実と著者は述べる。機能語に相当するものを中国語では虚字(虚詞)といい、つまり「虚しい字」なので、今でもやはり文法に関心がないらしい。
 そもそも中国人は相手が7~8割くらい分かってくれれば十分と思っており、感情の機敏など細かいニュアンスを伝えるには漢文は不向きとまで著者は断じている。どうりで学校で習う漢文は情感が感じられず、まるで無味乾燥でつまらなかったワケだ。

 サンスクリット学者の松山俊太郎氏は、中国語による思考の弊害を挙げていた。中国人は経験的には豊富な知識を持ちながらも、言葉による具体的な細かい思考というものが出来難く、この言葉の性格もあり、中国人は論理に頼らず観察によるということが多い。
 そのため、純粋科学は生まれなかったが、薬草がどう効くのか、その種の観察は大変注意深く、その成果を積み上げていく。しかし、理論的に体系化するという抽象性が欠けているので、言葉の上ではすぐ大上段な議論になったり、原則論になったりするという。

 本書には漢文とは元々異なる言語を話す者同士のビジネス用語なので、内容が伝わればいいというコンセプトのもとで発展したと述べられており、情感ばかりか具体的な細かい思考をする上でも欠陥があったようだ。
その三に続く

◆関連記事:「面白くなかった漢詩
インドと中国、その史観の違い

よろしかったら、クリックお願いします
   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (鳳山)
2020-09-23 23:36:17
漢民族成立に関する岡田氏の論は納得できると思っています。諸子百家の中で儒家が生き残ったのは、支配者にとって都合が良かったからでしょうね。儒家は綺麗事ですが、その中から生まれた法家はまさに支配するための理論ですから。
返信する
前々からそう思ってました。 (mobile)
2020-09-24 16:38:20
>漢文では細かいニュアンスは表現できない
>その通り。日本語にみる雨や雪の表現の多様さを見よ、と言いたい。
『津軽には7つの雪が降る』と歌の文句にもある通り日本語の表現は多様だが、振り返って漢詩を考えると雨はただの『雨』でバリエーションがない。せいぜい煙雨(多少の楼台煙雨の内)くらいではなかろうか?
哲学者ヴィトゲンシュタインが言うように『言語は世界の写像をつくる』のであるから、多様な表現を持つ言語を使う人間と、単純な構造しか持たない言語を使う人間の思考は、異なったものになる。
返信する
鳳山さんへ (mugi)
2020-09-24 21:25:49
 法家は辺境の野蛮国と見なされていた秦を強大化し、ついに中国初の統一王朝を成立させるイデオロギーになりました。しかし法家の主だった人には悲惨な最期を遂げているケースが多いですよね。やはりシナ人には徳治主義の方が性に合っているのやら。
返信する
Re:前々からそう思ってました。 (mugi)
2020-09-25 21:49:21
>mobileさん、

 インドやイランの詩は情感に溢れていますが、漢詩はかなり希薄なのは漢文の欠陥にあったのです。学生時代に漢詩を習った時、超ツマラナイと思ったのは、私の情感がないためではなかったことを知り、安心しました。

 尤も陳舜臣氏の話では中国語は「殺」のバリエーションが多いそうです。日本ではせいぜい「悩殺」くらいしか浮かびませんが、「○殺」の表現は日本よりかなり多いとか。「殺」の表現が多様なのは、人間の思考自体も異なっているとなります。
返信する