その一の続き
男装のダンサーは古くから日本にいて、有名なのが義経の愛妾で白拍子の静御前。白い水干に金色の立烏帽子で袖をひるがえして踊る姿は優雅そのものだが、実は水干や立烏帽子は男性の装束なのだ。
そして水干とは普段着よりも少し改まったものなので、タキシードを着て登場する宝塚の男役の元祖にちかい。その意味では優雅な舞姫というよりも、颯爽とした男装の踊り手の方が相応しい。もちろん白拍子の男装も舞台衣装に過ぎず、普段は女装束を着用していた。
静御前が鶴岡八幡宮で頼朝を前にして舞い、義経を慕う歌を唄った故事は知られている。作家・永井路子氏は著書『歴史をさわがせた女たち』で、この出来事に面白い解釈をしており、私も共感した。
舞台に立った瞬間、義経のことが頭に浮かび、思わず口に出てしまった恋の歌であるより、むしろこれは彼女の抵抗の歌である。これを貞女の悲恋物語ふうに受け止めている向きが多いが、ぐっと生きのいいタンカなのだ。芸能人や水商売の人の中には、時折こういう胸のすくような鉄火肌の女性がいる。静はまさにそういう女だった、と。
それにしても、日本では古くから男装で踊る舞姫が存在し持てはやされていたのは何故だろう。儒教圏やヒンドゥー社会、イスラム・キリスト教社会のように男女の区別に厳格な他の文化圏で、果たして「男装の麗人」はいたのだろうか?宗教のドグマにあまり拘束されない日本ならではの現象だろうか。
池田理代子氏は実際に18世紀のフランスに男装の麗人がいたことを話していたが、その人は倒錯的な趣味もあったという。具体的な人物名やその人の人生のことを池田氏は触れておらず、今風でいえばコスプレ趣味の変わり者だったのやら。それでもジャンヌ・ダルクの時代ならば、男装しただけでたちまち“異端”扱いされたのだから、18世紀はかなり世俗的になったといえる。
19世紀末からフランスで活躍した女性作家にナタリー・バーネイがいる。彼女は淡い色の豊かな金髪の持ち主であり、そのため“ムーンビーム(月光)”の綽名を付けられた美女でもあった。生涯の大半をフランスで過ごしたバーネイだが、アメリカの富豪の娘として生まれている。パリの社交界で彼女は美貌や教養でたちまち男たちの注目を浴びるも、バーネイは同性愛者であり、生涯を通じて女性遍歴を重ねている。
レズビアンにも女色家がおり、バーネイは美女狩りに精を出す人生を送った。「松岡正剛の千夜一冊」の29夜「レスボスの女王」で、彼女のことが取り上げられている。
バーネイは男装する趣味があり、上はその画像。但し常に男装をしていたのではなく女の服装もしている。バーネイは美女狩りに熱中していただけでなく、男性とも広く交流があり、60年間超に亘り幅広く社交や文学、美術、音楽どな話題を議論、週に1回の集まりである文学サロンを主催している。そして男性作家たちに支援と霊感を与えた女でもあった。
ドラッククイーンのように、女装した男も先進国では認められるようになったご時世、男装の麗人には古き時代が感じられる。但し、女装男が公認されているのは一部の先進国に過ぎず、全世界の多くはそうではない。初版が1981年9月だが、『イスラムからの発想』(大島直政著、講談社現代文庫)には仰天する話がある。著者にトルコ在住のユダヤ人の知人がおり、彼はイスラエルで女性に徴兵制度があるのを怒っていたそうだ。
大島氏は件のユダヤ人がフェミニスト(この場合は女に優しい男の意味)だからと思っていたが、大変な誤解だったことを後で知る。彼の反対理由は、「女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない」(申命記22-5)というモーセの教えに反するからだったという。
このユダヤ人は極例かもしれないが、現代でも第三世界では上のような考えの持ち主がいるのだ。21世紀にもチーズバーガーを食べないイスラエル国籍のユダヤ人も多い。「子やぎをその母の乳で煮てはならない」(出エジプト記23-19)から、ユダヤ教では肉類と乳製品を一緒に食したり、同じ皿に盛るのはタブーなのだ。
教条的ユダヤ教徒に対し、イスラエル軍広報はどのように説明しているのか、ふと想像してみた。軍服は必ずしも男の着物ではないので、女が軍服を着ても問題ないとでも云うのだろうか?或いはモーセの教えに、女は敵対する異教徒と武器を取って戦ってはいけないとは書かれていない等。いずれにせよ、男装や女装が認められる国は平和なようだ。
ブルガリアの場合は、ブル人、トルコ系、ジプシー系の3つの社会で、「女装」の事例があります。
伝統的な祝祭日の行事、或は結婚式などに際して、若い男性が女装し、結婚初夜の性交のやり方を教えたり、或は、出産時の女性の役目を演じたりして、おふざけするようです。
しかし、女性による男装の事例は、あまり聞きません。女性は女性らしく、と言うのが基本的考え方かも。ブルでは、軍人、警官などの制服姿の女性も、ほとんど全く見ることは無かったように記憶します。少しはいたはずだけど、どうも見た記憶が無い。男社会に入るのは、危ないから、志願者もいなかったのかも。
とはいえ、びっくりすることもありました。ブルでは、と言うかバルカン半島では、伝統的には、女性は決して髭を剃らないものでした。だから、1967年、初めてブルに行った時、日本人女性から、「自分が髭を剃っていたら、お手伝いのブル人女性が、本当にびっくりしてしまったので、逆に自分がびっくりした」と言っていた。
そこで、小生も気を付けて見回すと、確かにブル人女性は、一生髭を剃らないせいか、中年女性などは、相当長い口髭を平気で付けていました。また、海水浴場などで観察すると、腋毛も剃っておらず、本当に驚きました。
ともかく、そういうわけで、女性の化粧には制約が多く、社会主義時代には、美容術も発達していなかったので、かつ、髭、腋毛、のせいもあり、美人が少なく見えた。自由化後の今日は、その意味でも、旧社会主義圏の女性が美しくなったと言えるでしょう。
やはりブルでは「女装」はあっても「男装」は、ほとんど見ることは無かったのですか。結婚前の伝統的な祝祭日の行事での女装はあっても、「男装の麗人」は基本的に存在しない社会のようですね。軍人、警官などの制服姿の女性さえ見かけなかったというのは驚きました。社会主義圏なので、この分野には女性は進出していたと思っていましたが、そうではなかったとは…
そしてブル女性が、ヒゲというか産毛を一生剃らないという習慣には仰天させられました。昔、「うちの女房にゃ、ヒゲがある」という歌がありましたが、若い女性でも剃らないのですか??
一般にブル女性は日本女性と比べ、体毛が濃いはず。それで剃らないならば、長い口髭状態になりますね。ブル男性はその方がイイ?イスラム圏では女性の体毛は不浄という考えがあります。トルコでは蜂蜜とレモンを混ぜ合わせたワックスで脱毛したりしますが、ブルにはその習慣は伝わらなかった?本当に世界には、日本人の理解しにくい習慣がありますね。
バルカン半島では、本当に20世紀の半ばまでは、体毛処理をしなかったと思う。
ギリシャ映画の、美人女優ですら、鼻の下の産毛が相当目立って、小生には違和感があったほど。この映画を見たのは、60年代末頃ですから、その頃でも、バルカン半島では、産毛を剃らないというのは当然の習慣だったようです。
もちろん、ギリシャでは、80年代から現代化して産毛処理、体毛処理をするようになったし、ブルなどの旧東欧圏でも、自由化後の90年代からは体毛処理も当たり前になった。スーパーで、西欧から輸入された、女性用の、体毛処理用のカミソリが売られるようになったからです。
何とバルカン半島では、20世紀の半ばまでは体毛処理をしなかったのですか??西欧式の体毛処理の影響がなかったのやら。旧ソ連映画の「アンナ・カレーニナ」でも、ヒロインを演じた美人女優の鼻の下の産毛がかなり目立っていたそうで、それを見た日本人が興ざめしたそうです。
ある日本の映画評論家が、これでは佳人薄命のイメージがない…とロシアの映画監督に言ったら、ロシアには佳人薄命のような言葉はない、という答えだったとか。
現代のロシアもおそらく産毛処理、体毛処理をするようになったと思います。それにしても、女性用の体毛処理用のカミソリは、西欧からの輸入品だったとは!