その①、その②、その③の続き
むしろ他宗教の方が忍び寄るヒンドゥー教に恐れを感じていたと、ヴァルマ氏は見ている。古代ヒンドゥー教というべきバラモン教から分離したジャイナ教は、仏教と異なりインドで途絶えることはなかったが、教義とは裏腹に夥しいカーストがあるそうだ。キリスト教に改宗したインド人もかなりいるにせよ、改宗後も己の属するカーストを確認するのだ!16世紀に誕生したシク教も聖典にはヒンドゥーの神の名が見られる。
大半の日本人がインドに敬意を払うのは仏教発祥の国という点だが、インド仏教も国内で改宗した者は少なく、7世紀玄奘が訪印した時、既に衰退宗教となっていた。12世紀のインド仏教滅亡に止めを刺したのはムスリムの侵攻だが、例えムスリムがインドで迫害を行わなくとも遠からず滅んでいただろう。イエスの始めた宗教がユダヤ人ではなく異民族に信仰された様に、仏教も国外で多くの信者を獲得する。
インドと好対照だと感じさせられるのがイラン。インド人とイラン人は同根の民族であり、後者の民族宗教ゾロアスター教はバラモン教と関連がある。ムスリムによる侵攻、支配では同じなのに、数世紀は要するもイランは結局イラスム化、ゾロアスター教は衰退した。国内に残った信徒の一部はインドに亡命、ヒンドゥーの庇護を求める。インドがゾロアスター教徒の難民を受け入れなかったならば、この宗教は滅亡していた可能性もある。ヒンドゥー教が倫理性が高く、ゾロアスター教がそうでなかったのではなく、むしろ逆で統一性が高かった後者はそれがマイナスに働いたようだ。
武力で中東やインドを屈服させたイスラムさえ、インドではアイデンティティを失うのでは、といった懸念が表明されているらしい。イスラムの優勢なイデオロギーは常にその政治手腕や経済力でヒンドゥーに対抗してきたと自負している。だが、一方でゆっくりした・催眠性のある・鎮静作用を持つヒンドゥーに圧倒されるのではないかと、日々恐れを感じているとの見方もあるのだ。
昨年2月、ヒンドゥーはもちろん釈迦が説法したことで仏教徒にも聖地となっているヴァラナシについて、見事な記事を書かれたブロガーさんからTBを頂いた。読んでみたら、何とこの聖地にはモスクがいくつも混在しているとある。メッカやローマに異教の寺院など考えられないではないか。後者にある古代ローマの神殿跡など破壊された遺跡に過ぎず、もはや宗教施設とは言えない。中世以降のイスラム征服者はこの聖地でしばしばヒンドゥー寺院を偶像崇拝の象徴として破壊したにも係らず、ヒンドゥーがモスクを破壊尽くさないのは驚く。
1999年12月24日に起きたインド機ハイジャック事件は、実に興味深い。インド関連ニュースゆえ、何時もながら日本の新聞ではベタ記事扱いだったが、ハイジャック犯の要求どおり服役中のパキスタン人テロリスト3人を釈放、年内解決したこの事件の顛末を私も憶えている。インド政府の対応にも驚いたが、「インド人の消極性」の事例としてヴァルマ氏はこの件に触れている。そして釈放したテロリスト3人はインド外相自らが乗り込んだ飛行機で護送されたことも。
このエピソードはインド政府にとり優先順位が何であるか、よく表している。インド大統領報道官、外務省公式スポークスマン等も務めるヴァルマ氏の見解は立場上政府寄りにせよ、政府は初めから人質の生命が最優先で、イスラエルや中国と違い、人質の命を犠牲にしてテロリストを倒すことは頭になかったと言う。人質たちの家族は首相官邸やメディアの前で半狂乱になって救出を要請、国益を犠牲にしても、テロリストを無条件で即時釈放するという“平和的解決”を求め、インド政府もそれに応じたのだ。この事件の不幸な犠牲者は新婚の若者1人であり、喉を斬られ絶命した。ヴァルマ氏は後知恵で批判するのは容易いが、強行突入すれば犠牲はより拡大したと居直り気味だ。
インドの事件と1977年のダッカ日航機ハイジャック事件と比較するのも一興かもしれない。日本政府は“超法規的措置”として日本赤軍の要求を受け入れ、テロリストを釈放、その対応を非難する向きもあったが、インドも似た様なことをしていたのは苦笑した。日本赤軍が事件を起したのがインドのムンバイ空港離陸後というのも妙な思いにさせられる。テロへの弱腰対応は日本だけではなかったらしい。
チャーチルによるインド評は惨い。「赤道が国ではなく地理上の一表現に過ぎないように、インドもまた国ではない」。中東統治には音を上げ、こんなことなら領土をそっくりトルコに返したほうがよい、とまで愚痴った彼も、殆ど抵抗しなかったインドをこう見ていた。武力行使する中東に対し、インドの場合、目の前の問題に組み付くより、ゆっくりだが確実に反対者の毒牙を抜き、脅威を呑込み吸収するという。目先の問題に囚われ過去の逸脱を責めるより、未来をつかもうとするのがインド式だとするヴァルマ氏。これなら独立運動も性急にならなかったはずだ。イギリスは例外にせよ、逆に文化変容させられたのはインド人に奉仕された異民族支配者の側だったろう。
◆関連記事:「インド知識人と池田会長の対談」
「イスラム化したイラン、イスラム化しなかったインド」
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むしろ他宗教の方が忍び寄るヒンドゥー教に恐れを感じていたと、ヴァルマ氏は見ている。古代ヒンドゥー教というべきバラモン教から分離したジャイナ教は、仏教と異なりインドで途絶えることはなかったが、教義とは裏腹に夥しいカーストがあるそうだ。キリスト教に改宗したインド人もかなりいるにせよ、改宗後も己の属するカーストを確認するのだ!16世紀に誕生したシク教も聖典にはヒンドゥーの神の名が見られる。
大半の日本人がインドに敬意を払うのは仏教発祥の国という点だが、インド仏教も国内で改宗した者は少なく、7世紀玄奘が訪印した時、既に衰退宗教となっていた。12世紀のインド仏教滅亡に止めを刺したのはムスリムの侵攻だが、例えムスリムがインドで迫害を行わなくとも遠からず滅んでいただろう。イエスの始めた宗教がユダヤ人ではなく異民族に信仰された様に、仏教も国外で多くの信者を獲得する。
インドと好対照だと感じさせられるのがイラン。インド人とイラン人は同根の民族であり、後者の民族宗教ゾロアスター教はバラモン教と関連がある。ムスリムによる侵攻、支配では同じなのに、数世紀は要するもイランは結局イラスム化、ゾロアスター教は衰退した。国内に残った信徒の一部はインドに亡命、ヒンドゥーの庇護を求める。インドがゾロアスター教徒の難民を受け入れなかったならば、この宗教は滅亡していた可能性もある。ヒンドゥー教が倫理性が高く、ゾロアスター教がそうでなかったのではなく、むしろ逆で統一性が高かった後者はそれがマイナスに働いたようだ。
武力で中東やインドを屈服させたイスラムさえ、インドではアイデンティティを失うのでは、といった懸念が表明されているらしい。イスラムの優勢なイデオロギーは常にその政治手腕や経済力でヒンドゥーに対抗してきたと自負している。だが、一方でゆっくりした・催眠性のある・鎮静作用を持つヒンドゥーに圧倒されるのではないかと、日々恐れを感じているとの見方もあるのだ。
昨年2月、ヒンドゥーはもちろん釈迦が説法したことで仏教徒にも聖地となっているヴァラナシについて、見事な記事を書かれたブロガーさんからTBを頂いた。読んでみたら、何とこの聖地にはモスクがいくつも混在しているとある。メッカやローマに異教の寺院など考えられないではないか。後者にある古代ローマの神殿跡など破壊された遺跡に過ぎず、もはや宗教施設とは言えない。中世以降のイスラム征服者はこの聖地でしばしばヒンドゥー寺院を偶像崇拝の象徴として破壊したにも係らず、ヒンドゥーがモスクを破壊尽くさないのは驚く。
1999年12月24日に起きたインド機ハイジャック事件は、実に興味深い。インド関連ニュースゆえ、何時もながら日本の新聞ではベタ記事扱いだったが、ハイジャック犯の要求どおり服役中のパキスタン人テロリスト3人を釈放、年内解決したこの事件の顛末を私も憶えている。インド政府の対応にも驚いたが、「インド人の消極性」の事例としてヴァルマ氏はこの件に触れている。そして釈放したテロリスト3人はインド外相自らが乗り込んだ飛行機で護送されたことも。
このエピソードはインド政府にとり優先順位が何であるか、よく表している。インド大統領報道官、外務省公式スポークスマン等も務めるヴァルマ氏の見解は立場上政府寄りにせよ、政府は初めから人質の生命が最優先で、イスラエルや中国と違い、人質の命を犠牲にしてテロリストを倒すことは頭になかったと言う。人質たちの家族は首相官邸やメディアの前で半狂乱になって救出を要請、国益を犠牲にしても、テロリストを無条件で即時釈放するという“平和的解決”を求め、インド政府もそれに応じたのだ。この事件の不幸な犠牲者は新婚の若者1人であり、喉を斬られ絶命した。ヴァルマ氏は後知恵で批判するのは容易いが、強行突入すれば犠牲はより拡大したと居直り気味だ。
インドの事件と1977年のダッカ日航機ハイジャック事件と比較するのも一興かもしれない。日本政府は“超法規的措置”として日本赤軍の要求を受け入れ、テロリストを釈放、その対応を非難する向きもあったが、インドも似た様なことをしていたのは苦笑した。日本赤軍が事件を起したのがインドのムンバイ空港離陸後というのも妙な思いにさせられる。テロへの弱腰対応は日本だけではなかったらしい。
チャーチルによるインド評は惨い。「赤道が国ではなく地理上の一表現に過ぎないように、インドもまた国ではない」。中東統治には音を上げ、こんなことなら領土をそっくりトルコに返したほうがよい、とまで愚痴った彼も、殆ど抵抗しなかったインドをこう見ていた。武力行使する中東に対し、インドの場合、目の前の問題に組み付くより、ゆっくりだが確実に反対者の毒牙を抜き、脅威を呑込み吸収するという。目先の問題に囚われ過去の逸脱を責めるより、未来をつかもうとするのがインド式だとするヴァルマ氏。これなら独立運動も性急にならなかったはずだ。イギリスは例外にせよ、逆に文化変容させられたのはインド人に奉仕された異民族支配者の側だったろう。
◆関連記事:「インド知識人と池田会長の対談」
「イスラム化したイラン、イスラム化しなかったインド」
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初めまして。拙ブログへのコメントを有難うございました!
インドの宗教や哲学思想は実に奥が深く、私も極めて皮相的な知識しかありません。西欧とは違った思想が面白いと感じますね。イスラム、キリスト教に長く支配されても屈しなかったヒンドゥー教もすごい。
私自身はブルガリアにはまるで無知で、せいぜい某大手メーカーのヨーグルトやかの国の出身力士が浮かぶ程度です。
貴方のブログもかなり濃い内容の記事のようで、これからじっくり拝見させて頂きます。
すっかりネットからの隠居状態が続いております。おかげで、拙ブログの紹介までして頂いたのにも気付かずじまいでした。
この度、しばらく、ブログのほうに連載していた「ヴァラナシ」ですが、第一章全文を「ヴァーラーナシー通史」として、「Hinduism & Vedanta」の方にアップいたしました。
ムスリム関係や英国史は言うに及ばす、なんとインド史にも疎い自分にとっては、中々骨の折れる仕事でした。
mugiさんの貴重なご指摘やアドバイスが頂ければと思っております。
また、第二章以降の翻訳も、引き続き続けることになりました。三年で400ページのノルマを課せられたのですが、早くも達成不可能という状況です
今は「ヴァーラーナシーの社会環境」を翻訳しているところです。ヒンドゥーとムスリムの関係や、カーストとロストカースト、間引き、さらにはサティーについて書かれているようです。
また、上記のテーマに関して何らかの形でご報告したいと考えております。
では、きょうはこの辺で失礼致します。
以前、腰痛を患われたそうですが、その後、お変わりありませんか?
外国語の書籍を邦訳をされるだけで、語学力ゼロの私には途方もない難事にしか思えません。素晴らしいことです。
便造さんのブログ記事に見える、ヒンドゥーの聖地にモスクが幾つも混在している…の箇所には本当に驚きました。'92年アヨーディヤのバーブリー・マスジド破壊事件も起きてますが、シーア派のような少数派の宗教施設への襲撃が頻発しているパキスタンと好対照です。
「ヴァーラーナシー通史」、実に興味津々な内容ですね。ネットでこれだけ奥の深いサイトを見れるのだから、本当に有難いものです。じっくり拝読させていただきます。第二章以降も楽しみですね。わくわく。
腰痛は、だましだまし行く以外になさそうです。
それ以上に困っているのが、目でしょうか。
PCのモニターを眺めているだけで、すぐ辛くなってしまいます。
おかげで、ブログやHPの更新も停止してしまっている状態です。
この度の一年ぶりの更新の余勢をかって、どんどん更新していきたいところなのですが^_^;
第二章以降も、面白そうなテーマなどがありましたら、ブログの方ででも紹介していきたいと考えております。
そのときには、また色々とTBさせて頂こうと思っております。
腰も大切ですが、目はさらに大事です。PCのモニターは目にはよくないし、私も最近ドライアイ気味です。目に優しいモニターが開発されることを願いたいものですが、技術的に難しい?
第二章以降も楽しみにしておりますので、TBをよろしくお願い致します。翻訳も大切ですが、何よりもお体をお大事に。