前回の記事で書いたとおり、東京タワーの特別展を見てそこで昼食をとった後、真直ぐ上野に向った。上野の国立西洋美術館で開催されているプラド美術館所蔵の「ゴヤ/光と影」展を見る。NHK教育ТVの「日曜美術館」でゴヤ展の紹介があり、展示品には彼の傑作「着衣のマハ」が含まれていると知り、それだけでも絶対見たかったのだ。美術館に置かれたチラシの見出しには、こうある。
-《着衣のマハ》、40年ぶり来日。プラドの誇るゴヤの真髄を一堂に。
チラシの案内によれば、「この展覧会は、ヨーロッパ絵画の宝庫として名高いプラド美術館のコレクションから選ばれた油彩画、素描など 72点を中心に、国立西洋美術館などが所蔵する版画約50点を加え、ゴヤ芸術のさまざまな側面を紹介します」とある。特に誇大宣伝ではなく、実に見応えがあった。
直に目にした《着衣のマハ》は、同性から見てもやはり美しい。もし、この美女に「ねぇ、こちらに来て。ダーリン」(卑俗で失礼)と言われたならば、大抵の男はメロメロになるだろう。出来ればペアとなっている《裸のマハ》も見たいが、こちらは展示されていない。
ゴヤは首席宮廷画家を務めたし、王侯貴族を中心とした優雅な肖像画も多く手掛けている。上は「スペイン王子フランシスコ・デ・パウラの肖像」。西洋絵画に浅学な者が見ても明るく美しい絵だし、特に母親ならば子供の愛くるしさに惹きつけられるはず。
だが、46歳でゴヤは不治の病に侵され聴力を失った以降は作風も変わってきたという。特にスペイン独立戦争を題材にした版画シリーズ《戦争の惨禍》は、かなりおぞましい。作品自体は小さいが、かなり衝撃的な版画集である。便利なことに《戦争の惨禍》一覧サイトもあり、まさに戦争の惨禍を今に伝えている。
上は《戦争の惨禍》2番「理由があろうとなかろうと」と、37番「これはもっとひどい」(下側)。ゲリラという言葉が生まれたのはこの戦争からで、抵抗したスペイン民衆に徹底した弾圧をする侵攻者フランス軍の蛮行が数多く描かれている。
戦争には暴行が付きものであり、この時も多くのスペイン女性がフランス軍に連行され、暴行を受けたり虐殺されたりした。上は11番「どうしても嫌だ」
ただ、ゴヤはスペイン人ゲリラ=正義、フランス軍=悪としているのではなく、民衆側の蛮行も同時に描いている。上は3番「同じことだ」。
フランス軍と闘ったのは男たちばかりではない。女側も抵抗運動に加わり、上の7番「何と勇敢な!」には男たちの屍をこえて大砲を撃とうとする女が描かれている。
しかし、ゴヤは闘う女の勇敢さを讃えただけでなく、フランス兵をなぶり殺しにする女たちも描いている。5番「やはり野獣だ」にはフランス兵を串刺しにする女、石を振りかざす女が見え、戦地では女も野獣同然になるということか。そうでなければ生き延びることも難しかったのだろうが、これこそが《戦争の惨禍》なのだ。
ゴヤの有名な風刺画に《ロス・カプリーチョス》(気まぐれの意)があり、この特別展では何点も展示されていた。これまた有難いことに作品の一覧サイトがある。ゴヤの風刺画には堕落した聖職者を描いた作品が数多くあり、特権を貪る聖職者にはかなり腹を立てていたと思われる。ただ、当時のスペイン社会に私は無知なので、風刺に込められた意味がよく分からなかった。
ゴヤといえば、アルバ女公爵を連想する人も多いはず。ブログ記事「ゴヤ-女公爵アルバ・一閃の稲妻」には女公爵の生涯が詳細に書かれている。この記事に紹介されている女公爵と“ラ・ベアータ”(信心深い女)と呼ばれていた女中頭との絵は展示にあり、本当に綺麗だった。
《ロス・カプリーチョス》61番の「彼女は飛び去った」も展示されており、このブログ記事を見なければ女公爵を描いたものとは分からなかっただろう。
◆関連記事:「ゴヤの絵画」
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