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図説 妖怪画の系譜 その二

2020-01-26 21:40:06 | 読書/ノンフィクション

その一の続き
「マンガの源流としての妖怪画」を書いた香川雅信氏は、明治初期に来日した「お雇い外国人」の著作を紹介している。1901年、クルト・ネットとゴットフリード・ワグネルが共著で『日本のユーモア』という書を著しているが、これは浮世絵などの作品に表れた日本人のユーモア感覚について、数多くの実例を挙げて解説した書物。その中には少なからぬ妖怪画が取り上げられており、こう述べられている。

総じて、人間の形をカリカチュアにしてにせよ、人間の形を動物の形と結び付けてにせよ、死んだものを生き返らせてにせよ、多くは実に滑稽な、ばかげた人物がたくさん創作された。なんでもみな利用される。釘付けにされていずにうごめいているものはみな、時にはこの釘付けにされているものさえ、妖怪として一つの役割を演じるためには、想像力が創作するデフォルメを承知せねばならない。
――ここでいう妖怪は、身の毛のよだつような恐ろしいものではなくて、むしろ、その仲間に入った初めのうちは少なからず人を驚かせるが、間もなく罪のない冗談にその方向を転じるような妖怪である。

 このお雇い外国人は江戸時代の妖怪の本質を見事に見抜いていた。江戸時代の妖怪は笑いをもたらす滑稽な存在でもあった。妖怪が登場する風刺画も珍しくなかった。
 明治になっても妖怪画は受け継がれ、当時誕生したばかりの新しいメディアである新聞の記事をそのまま錦絵にして描いた新聞錦絵にも妖怪を描いたものが見られた。新聞錦絵は十年も経ずに廃れたが、妖怪画の衰退が決定的になったのは日露戦争後の社会変化だった。近代国家体制が確立、妖怪画は「古臭いもの」として退けられ、顧みられなくなっていく。

 しかし、大正期に興った風俗研究のなかで妖怪画の収集と研究が行われるようになり、一部知識人や好事家の間で妖怪画が再び脚光を浴びる。この妖怪研究が後に水木しげるを通じ、現代の妖怪イメージの大部分を作り上げることになるのだ。
のらくろ」で知られる戦前の人気漫画家・田河水泡は「滑稽とは何か」を見極めたいという思いから、江戸時代から明治・大正期に至る戯画関係資料を収集し、その中には妖怪画も多数含まれていたという。この時に収集した資料は後に博物館に寄贈された。ちなみに田河は滑稽の最も適切な定義として、アリストテレスの言葉「滑稽とは害にならない醜」を挙げていた。

 水木しげるといえばゲゲゲの鬼太郎、この作品が空前の妖怪ブームの火付け役になったのは書くまでもないが、実はこの妖怪マンガは水木のオリジナルではなかったことを本書で初めて知った。ゲゲゲの鬼太郎の前身は墓場鬼太郎で、アニメ化によりタイトルが変えられたことを知っているファンも多いだろう。しかし墓場鬼太郎の原点自体が戦前の紙芝居にあったのだ!
 街頭紙芝居が流行りだして間もない昭和7年(1932)頃、「墓場太郎」が登場して人気を呼んだ。ひとりの妊婦がいじめ殺されるが、埋められた墓場から這い出て生まれた赤ん坊が母の屍肉を食べて生き延び、復習を遂げるという話である。この「太郎」の物語は紙芝居の世界でも様々な作家により描かれた。

 そのひとつを描いていた水木しげるは、この紙芝居物語を後に貸本マンガ「墓場鬼太郎」として生まれ変わらせる。初期の鬼太郎は怪奇物の主人公に相応しい風貌と性格を持つ、恐ろしい存在として描かれていて、アニメで知られる心優しきヒーロー像とはかなり違っている。もしアニメ化されなかったならば、妖怪ブームはそれほどのものにはならなかったかもしれない。
 鬼太郎の大ヒットで様々な妖怪マンガが制作されるようになるが、平成になっても多くの作品が生み出されていたことは知らなかった。1990後半頃からは妖怪の退治や怪異の解明ではなく、妖怪と人間の心の交流が妖怪マンガの主題となってきたらしい。多文化共生が叫ばれるご時世らしく、人間の主人公が妖怪との共存の道を探ろうとする作品があるそうだ。

 時代によってキャラクターやストーリーが異なっても、やはり日本人は妖怪モノが好きなのだ。江戸時代と同じく滑稽で害にならない娯楽だし、何時の時代も庶民は気晴らしの娯楽を求める。やはり妖怪と漫画は日本文化に根付いていて、暮らしからは切り離せられない。未だに兵庫県立歴史博物館と京都国際マンガミュージアムには行ったことがないが、もし行く機会があれば妖怪画を存分に鑑賞したい。

◆関連記事:「鬼太郎大全集
日本の妖怪、外国の妖怪の違い

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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (牛蒡剣)
2020-01-27 00:23:43
良くも悪くも日本のエンタメは江戸時代の影響が
強いと思います。例えば南総里見八犬伝なんて
「前世からの因縁のある8人の選ばれし勇者が
特殊能力と協力なアイテムで戦い世界(主家)
を危機より救う」なんて用語と人名を変更すれば
現代の漫画 アニメ ゲームのプロットで十分通用
しそうですし。ボーカロイド文化なんて
人形浄瑠璃の現代版にしか見えませんし、好色一代男なんてコミケで売られる二次創作エロ同人誌のセンスですわwww。これも識字率の高さと余暇に消費活動ができる江戸時代生産性の高さのたまものですね。

「アーロン収容所」なんかを見ると暇と紙があれば
日本人は読み物を作りたくて仕方ない人種なんだと思います。同署だと英国兵は創作活動は庶民
がやることではないと思ってるように見えます。
こういう裾野の広さがあるのは本当に恵まれてる
と思います。私の爺様も戦中、近衛兵だったのです。ちょっとマニアックですが日本政府首脳はポツダム宣言で軍隊の解体は受け入れざるを得ないが、
治安維持のため重武装な半警察半軍隊みたいな組織が最低限必要と考え敗戦後数か月間ですが陸軍の残余の小銃 機関銃 装甲車で武装した禁衛皇宮衛士隊に選ばれてしまい、復員が遅れた上にGHQが再軍備のもとに使われると警戒され活動がろくにできない状態で暇だったようで、ガリ版の文集を作っていがようで我が家に現存してたりします。思い思いに敗戦を受け入れこれからどうすべきかというテーマ
で皆書いておりましたね。ただの兵ですから多くはいいとこ高等小学校どまりなんですが皆見事な漢文長の言い回しで文章を書いていて驚きました。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2020-01-27 22:05:59

 歴史教育ではあまり取り上げられない江戸時代の文化は現代にも受け継がれているということですね。そうなると南総里見八犬伝も現代風にアレンジできるし、ボーカロイド文化が現代版人形浄瑠璃という指摘は鋭い。古典のイメージがある好色一代男にも、二次創作エロ同人誌のセンスがあるという意見は目からウロコ!

 私的には「アーロン収容所」は英国人の尊大さと日本人の卑屈さが強調され、とかくネガティブな印象のある書です。しかし見方を変えれば日本人は読み物を作りたくて仕方ない人種とも言えます。アーロン収容所にはインド人捕虜もいたはずですが、こちらも創作活動は庶民がやることではないと思ってる点では同じ。

 牛蒡剣さんのお爺様のエピソードは興味深いですね。ガリ版の文集といえば学生時代を思い出します。油紙に鉄筆で原稿を書いた……と言っても、今の若い方は分からないでしょう。
 それにしても多くは高等小学校どまりだった兵たちが、皆見事な漢文長の言い回しで文章を書いていたとは知りませんでした。ひょっとすると現代の自衛隊員より文章が上手かったりして。このような文集が現存していることは一般には知られていないかも。
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ニャル子さん (スポンジ頭)
2020-01-28 22:59:05
 クトゥルー神話のニャルラトホテプは奇怪で不気味な存在ですが、滑稽なのが妖怪なら、ライトノベルのニャル子さんはこの分だと「妖怪」のカテゴリーになりそうですね。ウィキでニャル子さんのあらすじを見ましたが、クトゥルー神話を知って視聴すると、さぞかし楽しい事でしょう。ルルイエがテーマパークと言うのが笑えます。ラヴクラフトに見せて反応を知りたいですね。
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Re:ニャル子さん (mugi)
2020-01-29 22:16:56
>スポンジ頭さん、

 ライトノベルのニャル子さんはアニメ化されていて、動画を見たら完全に今風の美少女キャラになっていたのは笑えました。しかもストーリーはラブコメだそうですね。あのラヴクラフトのニャルラトホテプからは想像も付かない。

 たぶんラヴクラフトがニャル子さんを見たら激高するでしょう。尤も「萌え絵を奇形差別として規制すべき」秋葉原を壁に囲まれた特区にしろ」とほざいた青山学院大学客員教授もいますが。
https://togetter.com/li/1423515
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ご報告 (鳳山)
2020-01-30 10:56:13
記事と関係ないコメントでごめんなさい。鳳山でございます。

この度無事に手術を終え何とか生還しました。お見舞いのコメントありがとうございました。徐々にではありますがブログを再開する予定ですので、今後も宜しくお願いいたします。
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明代 (motton)
2020-01-30 14:58:21
「南総里見八犬伝」には「水滸伝」の影響があります。
明代の中国には「西遊記」や「封神演義」などもあり、後者はほとんど SF です(光の剣やら BC兵器ら)。

ただ、中国のものは、人間に化ける器物や獣などはいますが、基本的に人間の物語です。中国文明には人智を超越した存在への畏怖がありません。
クトゥルー神話のような価値観からして人間には理解不能というものはいません。日本の神や鬼や妖怪にいます。

あと、柳田國男の「遠野物語」(1910)は無視できないと思います。これが無ければ、日本の色々な妖怪は地方毎のマイナーな存在だったのではないかと思います。
その他、マンガの源流としては有名な「鳥獣人物戯画」もありますね。

ところで、ラヴクラフトは、日本人のクトゥルー神話の受容に対して激高するのでしょうか?元々シェアワールドなので案外好意的かもしれません。ニャルラトホテプは異名だらけの何でもありのトリックスターですし。
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Re:ご報告 (mugi)
2020-01-30 21:34:18
>鳳山さん、

 手術も無事に済み、今日退院されたそうで安心しました。取り合えず今は静養とリハビリに専念されて下さい。ブログ再開後のご健筆を心よりお祈り申し上げます。
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Re:明代 (mugi)
2020-01-31 22:01:03
>motton さん、

 仰る通り「水滸伝」がなければ「南総里見八犬伝」は生まれなかったかもしれません。「水滸伝」も明代の作品でしたね。「西遊記」や「封神演義」は、ひょっとするとインドの影響もある?と見ています。

>>中国文明には人智を超越した存在への畏怖がありません。

「聊斎志異」には「鬼」(日本での幽霊)や狐、悪神、化物が登場しており、結構恐れているように感じましたが、この解釈は興味深いですね。

 本書では何故か「遠野物語」への言及がありませんでした。「鳥獣人物戯画」はありますが、前者は「画」ではないためかも。

 先にラヴクラフトがニャル子さんを見たら激高するだろう、と書いたのは日本人のクトゥルー神話の受容に対してというよりも、受容の仕方について怒るのでは……と思ったのです。何しろニャルラトホテプが美少女キャラになっているし、ラヴクラフトの性格からあの手の絵を好まないだろうと想像したのです。
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妖婆 死棺の呪い (スポンジ頭)
2020-02-02 13:36:05
 ずっと前に「妖婆 死棺の呪い」というソ連のホラー映画を見たことがあります。その後、水木しげるの妖怪漫画を読んだところ、映画に酷似する漫画がありました。もしかしたら、映画が元になっていないか?と感じていたのですが、先日ネットで調べると、映画はゴーゴリの小説が原作で、小説に基づいて水木しげるが翻案したものだと分かりました。片方はロシア(ウクライナ)の神話、片方は日本が舞台ですが、日本に置き換えても違和感がないので、妖怪関連は精神的に同様な基盤が両国にあるようです。

 しかし、このソ連映画、「妖婆」がタイトルでも妖婆は一瞬登場するだけ、主人公が対決時間の殆どを費やすのは美少女の姿になった「妖婆」ですので、タイトルが若干ズレているなあ、と思います。タイトルは日本で付けたものです。
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Re:妖婆 死棺の呪い (mugi)
2020-02-03 22:16:31
>スポンジ頭さん、

「妖婆 死棺の呪い」で検索したら、けっこう評価の高い作品でしたね。タイトルは何とも不気味だし、「呪い」の言葉はホラー作品にはやたら使われています。レビューからは面白そうな作品なので、機会があれば見てみたい。
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