トーキング・マイノリティ

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外人部隊 その一

2015-08-28 21:40:17 | 読書/欧米史

 外人部隊や傭兵というと、闘う男の集団というだけで奇妙な憧れを抱く男性が少なくないらしい。そのためか劇画や小説にも取り上げられ、闘うヒーローとして描かれている。私は未見だが、「サハラ 女外人部隊」という女の外人部隊を主人公とした劇画もあるほど。実際に女に外人部隊が務まるのかはともかく、女ということもあるためか私は外人部隊や傭兵に対しては、悪印象と嫌悪感が自然にこみ上げてくる。
 2010-04-30付でスポンジ頭さんから、イタリアのイギリス人傭兵隊長の話を紹介して頂いたことがある。ジョン・ホークウッドというイングランド出身のイタリア傭兵隊長がいたことは初耳だったし、スポンジ頭さんはこうコメントしていた。

かなり虐殺をした人らしく、イタリア人の書いたルネッサンスの本を以前読んでいたら、とにかく「前代未聞」の残忍さだったそうで、ある街で部下が修道女を取り合っていた所、修道女を一刀両断にして「二人で分けろ」と言ったそうです。外国人だから残忍になったのか、この人物が特異な性格だったのか知りませんが、「略奪と虐殺、これがホークウッドの理想の生活」とまで書かれていました。私の記憶違いもあるかも知れませんが、「この時代に生まれなくてよかった」、と思ったのは本当です

 ジョン・ホークウッドは14世紀の人物だが、彼の活躍の場は殆ど異国なのだ。もし祖国で戦っていたら、これ程の残忍な振舞いをしたのか、想像したくなる。傭兵にとって略奪と虐殺が理想の生活でも、対象とされる側は堪ったものではない。
 ルネサンス時代のイタリアは傭兵中心の戦いであり、自らの土地を持つ領主が同時に他の所で傭兵として戦うのが普通のことだった。イタリアの傭兵はイタリア人ばかりではなく、先のジョン・ホークウッドのように外国人も珍しくなかった。多くの民族が混在する欧州では他国で傭兵をして稼ぐのは当たり前であり、フランスやドイツのような大国もまた多くの外人部隊を抱えていた。現代でもフランス外人部隊は有名だし、ここに関心を持つ日本人もいるほど。

 4人のローマ法王を描いた塩野七生氏の著書『神の代理人』第3章は、ユリウス2世が主人公。この中で私が愕然とさせられ、最も忘れ難い個所がある。カンブレー同盟戦争時の1512年2月19日、フランス軍の手に落ちたブレッシアの町の様子だ。ちなみにフランス軍といえ、全員がフランス人で成り立っているのではなく、半分はイタリア人傭兵と、後に名を聞けば泣く子も黙ると言われたドイツ傭兵(ランツクネヒト)を集めた、いわば混成軍だった。
 フランス軍率いるガストン・ド・フォワはフランス国王ルイ12世の甥で、当年22歳の若者。若年ながら優れた指揮官ぶりを発揮したが、彼が占領したブレッシアの町を、塩野氏はこう書いている。

ガストン・ド・フォワは町の処置を兵に任せた。ヴェネツィア軍と呼応して、支配者フランスに反旗を翻したブレッシア人への懲罰と、難行軍に耐え、良く戦ったフランス軍兵士への報酬である。結果は、火を見るより明らかだった。イタリア人の傭兵たちは略奪と強姦だけで満足したが、フランス人とドイツ人はそれでは済まなかった。彼らは略奪した後の家に火を放ち、強姦した後で四つ裂きにした。幼児の死体が、城門の上に点々と大釘で打ち付けられた。彼らはそれを、凱旋門と称した。
 ブレッシア陥落の知らせを受け、その惨状を聞かされたローマのジュリオ(イタリア式呼称)2世の口から、憤怒と悲痛に震える言葉がほとばしり出た。
「フォーリ・イ・バルバーリ(野蛮人は外へ)!フォーリ・イ・バルバーリ!」

 このような地獄図を淡々と書くのか塩野作品の特徴だが、『神の代理人』の上の箇所を見て、言葉を失わない日本人読者は殆どいないだろう。ドイツ傭兵は1527年のサッコ・ディ・ローマ(ローマ劫掠)でも、大いなる蛮行に励んでいる。一般にドイツ傭兵にはカトリックを敵視するルター派が多かったにせよ、当時からドイツの蛮勇は世界に冠たるものだったようだ。
その二に続く

◆関連記事:「アラトリステ

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