その一、その二、その三の続き
ゴードンはあり余るほどのスター性がある軍人であり、官僚のしきたりを守るタイプではなかった。ベアリングの判で押すように機密な時間を繰り返す日々はゴードンには無縁のものだった。
ベアリングは午前中には役所でデスクに向かい、夜はカイロの欧州人社交界で過ごしている。この規則正しいさは官僚のトップに上り詰める人間には自然であっても、ゴードンは生涯を通じて結婚や社交を退けた。
ゴードンは強情で、ベアリングの助言を無視して無視して冒険に走りがちだった。何もベアリングが杓子定規式の典型的官僚という訳ではない。公正かつ鋭敏にして辛抱強かったのはベアリングの方で、部下を褒めることで自分を際立たせる技術に長けていたという。
こうしたベアリングが、ゴードンにあからさまな嫉妬を表すはずはなかった。とはいえ、対等のパートナーとして認めない冷ややかな無視は、辣腕官僚の心の奥底にあるスター軍人へのやっかみをオブラートで包んでいた。
晩年のベアリングは、ゴードンが絶えず計画を変更し、本国の命令に従わず、任務遂行に失敗した上に敗北する原因を自分で作ったと公言した。クローマー伯爵となった後に出した著書では、ゴードン支援の任務に自分が不適当だったと考証しつつも、政治責任を逃れようとする弁明の書でもあった。
ゴードンは「アラビアのロレンス」のように矛盾に満ちた複雑な性格を持つ人物であり、「世の中に私ほど気の変わりやすい男はいない」と吐露したことがある。そして彼は英国の国民は誠実であるが、外交官はそうでないと述べたことがあった。彼等は「岩だぬき」だというのだ。「岩だぬき」とは、覇気がないくせに狡猾な連中(旧約聖書:箴言30:26)を意味した。
ハルツーム包囲戦でゴードンは無惨な死を遂げるが、いつの時代も世論は悲劇の英雄に分を認める。たとえ失敗したとしても、その理非を問おうとはしない。
第七章「独裁者の業」では先ずカエサルが挙げられ、「暗殺を招いた傲慢」という見出しで始まる。「終身独裁官」の地位を手に入れたカエサルの華麗な生活と人も無げな素行は、人々の嫉妬を強めずにはおかなかったというのだ。しかもカエサルは、言わずともよい挑発的な言辞を繰り返している。
例えば、「共和国は白昼夢だ。実態も外観もない」「私の発言は法律と見なされるべきだ」等の発言は、元老院議員のプライドを刺激したのは書くまでもなく、議員たちの嫉妬心は燃え上がる。『ローマ人の物語』では殆ど称賛一辺倒で描かれているカエサルだが、本書では「嫉妬と反感の渦巻くローマ政治の複雑さに足をからめとられて非業の最期をとげた」と記している。
中東・イスラム地域研究者らしく山内昌之氏は、中東史における嫉妬も紹介している。典型的なのは英雄サラディンに対する、アッバース朝第34代カリフ・ナースィルの尋常ならぬ嫉みだ。
サラディンが「勝利の王」の称号を名乗るとナースィルは、何故自分の名前を断りもなく名乗るのかといった底意地の悪い叱責を送り、エルサレム解放を素直に褒めず、難癖をつけている。サラディンがアラブ人のカリフからすれば傍流中のまた傍流ともいうべきクルド人の出自だったことも、侮蔑感のないまぜになった嫉妬心をナースィルは抱いたのだろうか。
サラディンの名声を嫉んでいながら、成果はしっかり己のものにしようと必死になるのだからカリフも落ちたものだ。ただ著者は、サラディンの方にも問題があるという。形だけの君主に謂われなき嫉妬を受けたなら、さっさと見切りを付ければよい。力も実績もサラディンの方が上なのだ。不用意に気を使い過ぎると、返って上司やライヴァルの嫉みやそねみを助長するのと同じだ、と。
ひょっとしてサラディン自身にも、クルド人たる出自のコンプレックスや、アラブの嫡流への妙な遠慮があったのだろうか。しかし、この優柔不断さこそ、サラディン自身の命を縮めただけでなく、十字軍でも決定的勝利を逃す原因となったと、著者は述べている。
14世紀に活躍した歴史哲学者イブン・ハルドゥーンによれば、戦争をもたらす復讐心は、一般に嫉妬や羨望などから起ったという。嫉妬は個人間に止まらず、国家間でも起こりうる。湾岸戦争のきっかけになったイラクのクウェート侵攻は、豊かな隣国クウェートの富に対するイラクによる嫉みだけでなく、クウェートの富に対するアラブ世論のやっかみがもたらした、と著者はいう。日本の“アラブ通”に、このような見方をした者がいただろうか?
平等主義を理想化する社会では嫉みが蔓延り易いが、特にマルクス主義と共産主義の罪は深いと著者は考えている。これは平等主義の美名のもとで、人間の嫉妬を構造化し、密告や中傷を日常化する体制をつくりだしたからだ。
本書には古今東西の嫉妬の例が挙げられ、改めて人類史は嫉妬で動いていると感じた。次は本書の結びの一文。
「しかし、嫉妬は驚くほどたやすいのに、勇気を発揮することはむずかしいものなのだ」