トーキング・マイノリティ

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蒼穹の昴 その二

2012-10-23 21:10:30 | 読書/小説

その一の続き
 中国人は赤の他人とよく義兄弟の関係を結んでおり、小説の副主人公・梁文秀(史了)は春児の義兄。春児と同郷の静海県出身だが、貧農の出自の主人公と違い庶子ながら郷紳の息子。故郷では不良視されていた史了は見事に科挙状元(トップ)で合格、進士という中華帝国のエリートとして人生を歩み始める。
 しかし、19世紀末の清朝は内憂外患の激動の時代であり、進士といえど安泰ではなかった。国内の改革を目指す第11代皇帝・光緒帝に仕える史了は、保守派の西太后に仕える義弟の春児と対立する立場となってしまう。春児、史了共に架空の人物だが、後者は梁啓超(世界四大文明論の提唱者)がモデルと言われる。物語のラストで戊戌の政変により改革派が敗れ、史了が日本に亡命するのも梁啓超と同じ。

蒼穹の昴』では実在の人物が数多く登場するが、一般に知られる稀代の悪女というイメージとは違い、比較的よく描かれていたのが西太后。中国でも確か西太后は呂后武則天と並び、中国三大悪女にされていたはず。1984年制作の中国映画『西太后』を見たことがあり、ラスト近くでライバルの麗妃の手足を切断、かめの中で生殺し状態で飼うという残酷なシーンがあった。しかし、これは完全なフィクションで、危害を加えられるどころか皇帝の死後、麗妃は静かな余生を送っていたことがwikiに載っている。他の側室たちも粛清されなかったらしい。

 特に意外だったのは、公式の場以外での西太后は寡婦の習慣として化粧もせず、黒い衣装を常に身に付けていたこと。その代り大変な食道楽と芝居好きで、政務のストレスを発散していた。これが史実なのかは不明だが、『蒼穹の昴』ではそう描かれている。
 中国駐在の欧米人ジャーナリストは根拠もない様々な憶測やでっち上げ記事を書き連ねており、西太后の悪評の殆どはそれが根拠になっていると、小説では指摘していた。登場人物の一人にニューヨーク・タイムズ紙の記者トーマス・バートン(架空の人物)がおり、彼は紫禁城に巣食う怪物のような女帝として西太后を紹介していた。当人はそれが嘘八百であるのを承知の上だし、そのほうが米国の読者に受けるからだ。ブラックジャーナリズムの典型だが、この類の記者は現代でも言論界を闊歩している。

 出版が1970年代半ばといささか古いが、『歴史をさわがせた女たち 外国篇』(永井路子著、文春文庫)の中でも西太后は、「清朝をつぶした時代錯誤夫人」として取り上げられており、「大時代がかった豪奢な生活の愛好者」の面が描かれている。そこから一部引用したい。

死ぬまで大変なおしゃれで、年齢をあかすことを嫌い、お化粧には大変な時間をかけた。また衣装道楽も気ちがいじみていて、2千着はもっていたというから、日に2、3回着替えるとしても、1年かかっても着れない勘定である。そのためか、彼女には妙な趣味があった。その衣装を3着ずつ朱塗りの箱に入れて持って来させて点検する。観兵式ならぬ観裳式である。2千着なら7百箱に近い大行列だ。しかも4、5日に1回やったというから、ご苦労様な話である。
 靴にしても工女8人と監督2人がかかりきりでせっせと作るのだが、履くのはせいぜい3、4回。しかもこの靴の番人として、宦官が2人つきっきりだった。

 同性特有の厳しさで永井氏は次の感想を述べている。

彼女にとって権威とは、結局、こうした馬鹿げた贅沢をすることだったのか。抑制を失った女の欲望をあからさまに見る思いで、少し浅ましくなる。
結局、西太后にとっては、政治とは陰謀と暗殺でしかなかった。この大時代的な政治感覚では、歴史の流れは捉えられない。

 永井氏の挙げた“観裳式”の出所は不明だが、西太后悪女説から出ているのは確かだろう。西太后に限らず殆どの女は年齢をあかすことを嫌うが、衣装に注目するのはやはり同性ならでは。仮に持っている衣装数が半分だったとしても、やはりスケールは桁外れとしか言いようがない。グルメにエステ、ファッションに夢中になるのはいかにも女らしいが、それだけで満足するのが私も含めた凡婦なのだ。
その三に続く

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