トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

蒼穹の昴 その三

2012-10-24 21:30:35 | 読書/小説

その一その二の続き
 主人公、副主人公の春児、史了は共にいい人過ぎる…と感じた読者も少なくないのではないか?特に史了など科挙をトップで合格した士大夫である。動乱の清朝末期でも超エリートだし、故郷では厄介者扱いだったとしても、進士となれば一転して一族郎党が群がり、職権乱用と収賄が当たり前だったはず。にも拘らず公正無私で真摯に戊戌の変法を進めていく若き官僚…
 実際にこのような“清官”もいない訳ではなかったにせよ、中国史上では至って稀な存在だろう。73章に史了を指して、「日本人が永遠に憧れ続ける、支那の叡智そのもの」という表現があり、これぞ著者・浅田次郎氏が創作した士大夫の理想の極致ではなかったか。

 史了が日本に亡命する際、日本人、欧米人記者たちが一丸となって彼を暗殺から守り、無事日本の客船に乗るシーンも違和感があった。欧米人同士といえ、国益を露骨に表す帝国主義時代、国籍の違う記者たちは互いに気まずい関係で、協調精神は薄かったはず。ジャーナリストの矜持を描いたにせよ、細かいことだが気にかかる。それも小説ゆえの展開だろうか。

 主人公ということもあってか、春児に至っては殆ど聖人の様な宦官。宮廷で権力者となれば、権勢頼みで驕り高ぶり、贅沢極まりない暮らしをするものだが、彼もまた無欲で、唯一の肉親とも疎遠となっている始末。54章末の彼の台詞を一部挙げたい。

人間の幸福は決して金品では贖えない。人を心から愛すること、そして人から真に愛されること、それこそが人間の人間たる幸福なのだと、慈禧(じき・西太后のこと)様は御身を以て私に教えて下さいました。世界中で最も不幸な慈禧様が、そう教えて下さったのです。私はせめて慈禧様の分まで、人から愛されたいと思います。人を愛したいと思います…
 だからお願いです。あなた方(外国人)も私を愛して下さい。肌の色が違う、不思議な風土と習慣で彩られたこの国の民を、同じ人間として、心の底から愛して下さい。それだけが――すべての人間に幸福をもたらす、唯一の方法なのですから。

 物語の終盤で明らかになるが、実は春児は韃靼人の老婆占い師の予言が嘘であることを知っていたのだ。予言では彼の家族全員が貧困で死に絶えてしまう徴が出ていたが、それを隠し嘘を付いたのだ。気休めの嘘と気付いても、夢を与えてくれたと思い、貧しさから抜け出す覚悟を決意、ひたすら努力し続け、ついに予言を実現させた。春児は史了に、「お告げなんてそんなもんだ。運命なんて、頑張りゃいくらだって変えられるんだ」とも言っている。

 この辺はどうも日本人的と感じたのは私だけだろうか。著者が日本人ということもあり、春児や史了以外の登場人物もどこか日本的なものの考え方が反映されているような。歴史小説とは違う設定の中で現代人を描く試み、と言った人物もおり、舞台こそ19世紀末の中国だが、日本の志士と重なる。もし中国人がこの小説を読んだら、どのような感想を抱くのだろう。

 中国の街並みの様子や季節の移り変わりが細かく描かれているため、さぞ著者は長く現地に滞在、綿密な取材で『蒼穹の昴』を執筆したと思いきや、現地を訪れることなく書かれた作品だったことがwikiに載っていた。「現地を見ないで書いた方が、ロマンのある作品になるともいう」理由だが、資料文献だけでこれだけの作品を書いたとはスゴイ。やはりプロの作家の感性と表現力は違う。
 この小説のコピーは、「この物語を書くために私は作家になった」。それが真実かは不明だが、歴史小説としては第一級の面白さだった。『蒼穹の昴』は日中合作でТVドラマ制作となり、NHKでも放送され、番組を紹介したサイトもある。昨年放送していたのは知っていたが、関心がなかったので見なかった。小説を読んだので、DVDもレンタルして鑑賞しようと思っている。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本的な価値観 (motton)
2012-10-25 01:05:14
同感です。
作者の作風もあると思いますが、日本的な価値観(浪花節や無常観など)で書かれていると私も思いました。(1998年ごろ読みました。)
同時期に金庸の武侠小説も読んでいたため、そちらのドライで殺伐とした中国的価値観との違和感がかなりありました。

また登場人物を美化しすぎているため、龍玉の存在や西太后が意図的に清を滅ぼそうとしているといったちょっと無理な設定が必要になっていますね。

小説としては面白かったのですし、日本のアニメや漫画で育った中国人もあまり違和感なく読めるのではと思いますが。
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RE:日本的な価値観 (mugi)
2012-10-25 22:22:40
>mottonさん、

 やはり貴方も登場人物や物語に日本的な価値観を感じられましたか。金庸という作家は知りませんでしたが、中華圏では有名な人物だったとは。日本語版は全て徳間書店から出版されており、面白そうですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%BA%B8

 西太后だけでなく乾隆帝、李鴻章も美化しすぎな印象でした。亡き乾隆帝が表れて西太后と対話するだけでなく、子孫の房事を見ていたという個所は面白かったですが。
 この小説に限らず吉川英治の三国志や水滸伝も、日本的な価値観が見られます。やはり日本人の中国ものだと、浪花節的な要素が入ってくるのやら。ドライで殺伐とした価値観は一般の日本人読者には受けないのでしょう。
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