ローマ法王ベネディクト16世が今月12日の演説でイスラムのジハード(聖戦)を批判したことに対し、イスラム世界の怒りと反発が高まっている。法王はかつて神学を教えたドイツ・レーゲンスブルク大で講演し、「ムハンマドが新しくもたらしたものは何かといえば、彼が説いた真理を剣で広めよという命令のような、邪悪さと残酷さだけだ」と評したビザンチン皇帝の発言を引用。そして「原理主義はムハンマドの教えに反する」として、テロを行うイスラム原理主義者の宗教的根拠を否定した。
法王発言に対し、直ちにパキスタンの下院は「法王の声明はムスリムの感情を傷付けるもので(宗教による差別撤廃をうたった)国連憲章に違反する」との決議を全会一致で採択。インドネシアのイスラム教団体指導者も「法王がイスラムを正しく理解していない事が明白になった」と指摘。数々のテロの歴史を持つエジプトの原理主義組織「ムスリム同胞団」最高指導者ムハンマド・マハディ・アキフ氏は14日の声明で、法王はイスラムの正確な理解に基づいていないと批判し、「宗教観の敵意を煽る発言についての謝罪」を要求した。その他インド北部ジャム・カシミール州やパキスタン南部カラチで法王に見立てた人形や写真を燃やすデモが行われた。
これに対しローマ法王庁は16日この発言を法王が「極めて遺憾に思っている」ことを明らかにするが、事実上の謝罪である。ロイターなどによると、法王庁のベルトーネ国務長官は「法王は演説でムスリムの感情を傷付けるような内容があったとすれば、極めて遺憾に思っている」と声明を出し、さらに法王がムスリムに対し尊敬の念を抱いているとして、法王の発言の真意が正しく理解されることを願うと協調した。
クリスチャンでもなくムスリムでもない私から見れば、どっちもどっちとしか思えない。かつて十字軍を大々的に行い、未だにその精神がくすぶっているキリスト教と、教祖が説いた真理をまず剣で広めたイスラム。イスラム史を見れば、ビザンチン皇帝の「真理を剣で広めよという命令のような」は的をついている。一応コーランには「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは侵略者を愛さない-2章190節」とあるが、ムハンマド以下正統カリフ全て、この精神に反した行いをしているが、これは異教徒の見解だろう。何故なら信仰正しきムスリムが侵略など行わないというのが大前提だからだ。
パキスタン下院の決議は滑稽そのものだ。宗教による差別撤廃精神に最も薄い国であり、十数年ほど前にもムハンマドの悪口を落書きした14歳のキリスト教徒の少年に死刑宣告を出した国でもある。ムスリムの少年がキリストの悪口を幾ら書いてもお咎めなしだが、そもそもシャリーア(イスラム聖法)自体がムスリムと異教徒の不平等を高らかに定めたものだから、当然の帰結だろう。
そしてムスリム指導者が異口同音に「イスラムへの理解が足りない」だが、イスラムくらい他宗教への理解はおろか研究も行わぬ宗教もないのだ。現代他宗教との共存に最も後ろ向きなのがイスラムなのは明らかである。異教徒への謝罪は要求しても、自らの過ちは絶対謝罪しないのが基本姿勢なのだから。小説「悪魔の詩」事件を思い出させる。
ローマ法王の取って付けた様な「遺憾」「ムスリムに対し尊敬の念を抱いている」も白々しい。ドイツ人法王ベネディクト16世について書かれたブログ記事を見ると、いかに異教徒からすれば保守、カトリックから見れば正統派主義の持ち主なのが分かる。度々女性・同性愛者・教義問題についての自由主義的な見解を叱責しているのは、イスラムと全く同じなので同類嫌悪かもしれない。
聖戦思想ならイスラム、キリスト双方に見られるうえ、己に神がついているなら、敵は悪魔と共にあるとなり、一片の情も掛けずに異教徒を殺害できる邪悪で残酷な行為に大義を与えられる。
多神教徒との血みどろの戦いの果て創始したイスラムゆえ、コーランにはこんな文句がある。
8-17. あなたがたがかれらを殺したのではない。アッラーが殺したのである。あなたが射った時,あなたが当てたのではなく,アッラーが当てたのである。(これは)かれからの良い試練をもって,信者を試みになられたためである。 本当にアッラーは全聴にして,全知であられる。
9-29. アッラーも,終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から,禁じられたことを守らず,啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには,かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め,屈服するまで戦え。
全く異教徒からすれば物騒極まる教義だが、こんな章句もある。
109-1. 言ってやるがいい。「おお不信者たちよ,
109-2. わたしは,あなたがたが崇めるものを崇めない。
109-3. あなたがたは,わたしが崇めるものを,崇める者たちではない。
109-4. わたしは,あなたがたが崇めてきたものの崇拝者ではない。
109-5. あなたがたは,わたしが崇めてきたものの,崇拝者ではない。
109-6. あなたがたには,あなたがたの宗教があり,わたしには,わたしの宗教があるのである」
この言葉をそっくりイスラム過激派に返したいものである。
新華社電によると、18日中国イスラム教協会の陳広元会長は法王発言に対し「イスラムとムハンマドへの侮辱」と非難、公式の場での直接謝罪を求めた。以前の記事「回教から見た中国」「馬明心」でも触れたが、清朝時代から共産主義国家になっても中国くらいムスリムを弾圧した国もない。現代の回族は豚肉を食べ豚を飼うことと引き換えに生きのびた者たちの子孫なので、中共の命とあらば再び文革時代のように豚食いやらモスクやゴンバイ(殉教者の聖徒墓)の破壊も行なうかもしれない。
◆関連記事:「加害者としてのイスラム」「イスラムの寛容」
よろしかったら、クリックお願いします
法王発言に対し、直ちにパキスタンの下院は「法王の声明はムスリムの感情を傷付けるもので(宗教による差別撤廃をうたった)国連憲章に違反する」との決議を全会一致で採択。インドネシアのイスラム教団体指導者も「法王がイスラムを正しく理解していない事が明白になった」と指摘。数々のテロの歴史を持つエジプトの原理主義組織「ムスリム同胞団」最高指導者ムハンマド・マハディ・アキフ氏は14日の声明で、法王はイスラムの正確な理解に基づいていないと批判し、「宗教観の敵意を煽る発言についての謝罪」を要求した。その他インド北部ジャム・カシミール州やパキスタン南部カラチで法王に見立てた人形や写真を燃やすデモが行われた。
これに対しローマ法王庁は16日この発言を法王が「極めて遺憾に思っている」ことを明らかにするが、事実上の謝罪である。ロイターなどによると、法王庁のベルトーネ国務長官は「法王は演説でムスリムの感情を傷付けるような内容があったとすれば、極めて遺憾に思っている」と声明を出し、さらに法王がムスリムに対し尊敬の念を抱いているとして、法王の発言の真意が正しく理解されることを願うと協調した。
クリスチャンでもなくムスリムでもない私から見れば、どっちもどっちとしか思えない。かつて十字軍を大々的に行い、未だにその精神がくすぶっているキリスト教と、教祖が説いた真理をまず剣で広めたイスラム。イスラム史を見れば、ビザンチン皇帝の「真理を剣で広めよという命令のような」は的をついている。一応コーランには「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは侵略者を愛さない-2章190節」とあるが、ムハンマド以下正統カリフ全て、この精神に反した行いをしているが、これは異教徒の見解だろう。何故なら信仰正しきムスリムが侵略など行わないというのが大前提だからだ。
パキスタン下院の決議は滑稽そのものだ。宗教による差別撤廃精神に最も薄い国であり、十数年ほど前にもムハンマドの悪口を落書きした14歳のキリスト教徒の少年に死刑宣告を出した国でもある。ムスリムの少年がキリストの悪口を幾ら書いてもお咎めなしだが、そもそもシャリーア(イスラム聖法)自体がムスリムと異教徒の不平等を高らかに定めたものだから、当然の帰結だろう。
そしてムスリム指導者が異口同音に「イスラムへの理解が足りない」だが、イスラムくらい他宗教への理解はおろか研究も行わぬ宗教もないのだ。現代他宗教との共存に最も後ろ向きなのがイスラムなのは明らかである。異教徒への謝罪は要求しても、自らの過ちは絶対謝罪しないのが基本姿勢なのだから。小説「悪魔の詩」事件を思い出させる。
ローマ法王の取って付けた様な「遺憾」「ムスリムに対し尊敬の念を抱いている」も白々しい。ドイツ人法王ベネディクト16世について書かれたブログ記事を見ると、いかに異教徒からすれば保守、カトリックから見れば正統派主義の持ち主なのが分かる。度々女性・同性愛者・教義問題についての自由主義的な見解を叱責しているのは、イスラムと全く同じなので同類嫌悪かもしれない。
聖戦思想ならイスラム、キリスト双方に見られるうえ、己に神がついているなら、敵は悪魔と共にあるとなり、一片の情も掛けずに異教徒を殺害できる邪悪で残酷な行為に大義を与えられる。
多神教徒との血みどろの戦いの果て創始したイスラムゆえ、コーランにはこんな文句がある。
8-17. あなたがたがかれらを殺したのではない。アッラーが殺したのである。あなたが射った時,あなたが当てたのではなく,アッラーが当てたのである。(これは)かれからの良い試練をもって,信者を試みになられたためである。 本当にアッラーは全聴にして,全知であられる。
9-29. アッラーも,終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から,禁じられたことを守らず,啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには,かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め,屈服するまで戦え。
全く異教徒からすれば物騒極まる教義だが、こんな章句もある。
109-1. 言ってやるがいい。「おお不信者たちよ,
109-2. わたしは,あなたがたが崇めるものを崇めない。
109-3. あなたがたは,わたしが崇めるものを,崇める者たちではない。
109-4. わたしは,あなたがたが崇めてきたものの崇拝者ではない。
109-5. あなたがたは,わたしが崇めてきたものの,崇拝者ではない。
109-6. あなたがたには,あなたがたの宗教があり,わたしには,わたしの宗教があるのである」
この言葉をそっくりイスラム過激派に返したいものである。
新華社電によると、18日中国イスラム教協会の陳広元会長は法王発言に対し「イスラムとムハンマドへの侮辱」と非難、公式の場での直接謝罪を求めた。以前の記事「回教から見た中国」「馬明心」でも触れたが、清朝時代から共産主義国家になっても中国くらいムスリムを弾圧した国もない。現代の回族は豚肉を食べ豚を飼うことと引き換えに生きのびた者たちの子孫なので、中共の命とあらば再び文革時代のように豚食いやらモスクやゴンバイ(殉教者の聖徒墓)の破壊も行なうかもしれない。
◆関連記事:「加害者としてのイスラム」「イスラムの寛容」
よろしかったら、クリックお願いします
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/bc/b8a24b0b147b4f9d1137e6cbf27c87e2.png)
私も クリスチャンでもなければ、ムスリムでもないので、どっちもどっちとしか見えませんね。十字軍の蛮行もさることながら、魔女狩りを主導したキリスト教が、この事に関して全く謝罪もしていないところを見れば、どの口で邪悪で残酷なんて言えるか、全くもって、理解に苦しみます。
また、イスラムにしても、この件で報復を匂わす者もいれば、かの者を批判する者もいない。これでは、法王の言を、自ら肯定するようなものではないでしょうか?
(自分も含め)宗教に疎い日本人ならば、政教分離の言葉も知っていれば、国家や政府が特定の宗教に肩入れをする事を禁じている事を存じているものは少なくないと思います。が、同様に、宗教が国家や政府に圧力をかける事も禁じているはずですが。パキスタンの例など、まさしく、非政教分離国家ではないでしょうか?(まぁ、下院の可決だけで、上院が否定すれば、そうでない事を立証できるのでしょうけど、、。)
人間というものは恐らく、自分の考えと違う者を容易に理解できるほど、心は広くできていないと思います。が、自分の考えは違っても価値観や正義を考えるものです。それを押し付け、時に暴力するのであれば、善でもまったくないと思うのですが(自爆テロなど、ただの人コロシであって、正義も何もない卑怯者がする事でしょう)。
まぁ、私のような者の身に何かあっても、損失はゼロでしょうけど。mugiさんはそうではないので、ご注意される事をお勧めします。
私は何故法王があの発言をしたのか、疑問です。単なる気配りを欠いた失言だったのか?
あらかじめムスリムの反応を予測しており、挑発したのではないか、とも思えてくるのです。イスラム圏でのヒステリックな反応で、ほら、あの通りムスリムは宗教に狂った連中なのだ、と知らしめるのに効果的ですから。早々ムリスムは報復行為を行ってますから、バチカンとしては、願ったりだったのではないか、と。
イスラム自体が政教一体で、分離が出来ない宗教ですからね。何しろイスラムを侮辱するなら自分の父親でも殺す、と公言する者までいます。母親ならどうするか、と突っ込みたくなりますが、妻や娘なら確実に殺すでしょうね。本当にインドとパキスタンは好対照。
私は自爆テロ実行犯よりも、テロを煽りながら自分は安全圏におり、しかも自分の子供にはテロ実行をさせない精神的指導者の方が遥かに悪辣だと思います。この種の卑劣漢は援助(オイルマネーや善男善女の喜捨もあり)もばら撒くので、尊敬を受けている。
西欧の諺どおり「宗教は賢い者は利用し、愚かな者は信じる」
私のような一介の弱小ブロガーに出来る事など限られてますが、かつての北朝鮮に対するように沈黙している方が損失が大きい。
他宗教を理解していないムスリムは、いざとなれば反論も難しいでしょうね。「イスラムを理解してほしい」の一点張り。