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インド人初のイギリス下院議員

2006-09-17 20:32:47 | 読書/インド史
 イギリス支配時代、意外にもイギリス下院議員になったインド人が3人ほどいる。その最初の人物がダーダーバーイー・ナオロージー(1825-1917年)で、明治25(1892)年7月6日のことだ。後の2人もだが、ナオロージーはヒンドゥーでもなければムスリムでもなかった。パールシーと呼ばれるインドのゾロアスター教徒の少数民族の出である。

  イギリスがパールシーのような少数民族を優遇したのは分割統治の一環でもあるが、特にパールシーを気に入ったのは酒や牛肉、豚肉を口に出来ないヒンドゥー やムスリムと異なり、食事のタブーがほとんどなく英国式の接待が可能だったからだ。イギリス人から見れば彼らは働き手や友としても好ましく、楽しげで社交 的に思えた。そして外貌から欧州人に近い種族と見なされ(実際彼らの血筋は現地人と混血していないアーリア系ペルシア人)、イギリス以前に訪印したポルト ガル人も同じ感情を抱いた。
 イギリスに優遇された以上彼らは支配者の忠犬となってもよいはずだし、大抵ならそうなるものだ。だが、イギリス人の期待は裏切られた。

 1866年、ナオロージーはロンドンにインド問題を討議し、インドの福祉を促進するようイギリス世論に働きかけるため東インド協会を組織する。のちにはインドの主要都市に協会の支部も開設する。彼は一生を民族運動に捧げ、まもなく「インドの偉大な父」として知られるようになった。彼はインドが生んだ最初の経済思索家でもあり、経済に関する著書の中で彼はインドの貧困の基本的な原因は、イギリスによるインド搾取と富の流出にあることを明らかにした。既に'81年、イギリス支配は「緩慢とはいえ徹底的にインドを破壊する、恒久的で日々加速する外国侵略である」と述べている。
 ナオロージーはインド国民会議議長に3度選出される栄誉も受けており、その名前を聞いただけで民衆の心がかき立てられるタイプの、人望ある民族指導者の先駆者だった。

 己の支配はインドに生命と財産の保証という恩恵をもたらしているとするイギリスに対し、ナオロージーはこう述べている。
ロマンスはインドでは生命と財産の安全が保証されているというが、現実にはそのようなものは存在しない。ある意味で生命と財産の保証はある―つまり、他人や土着の専制君主からの暴力から自由であるという意味で。しかしイギリス自身の強欲からは財産の保証は全くなくその結果として生命の保証もない。 インドの財産は安全でない。保証されている、しかも実に保証されていることがあるとすれば、それはイギリスは完璧に安全で保証されているということだ。だ からイギリスは完璧に安全に、インドからインドの財産を現在の率では年間3千万ポンドか4千万ポンドの割合で奪い、食いつぶすことが出来る…従って私に言 わせれば、インドは財産と生命の安全を享受していない…インドの何百万の人々にとって、生命とは単に「半分飢えた状態」か飢餓、或いは飢餓と病を意味する に過ぎない

 イギリスの法と秩序に関しても、ナオロージーは辛辣である。
「「背中を殴っても腹は殴るなと いうインドの諺がある。土着の専制君主の下で、時に背中に暴力を味わっても、人々は自分たちが生産したものを確保し享受する。英領インドの専制君主の下 で、人は平和に暮らし暴力はない。しかし彼の富は目には見えないかたちで、平和的に巧妙に吸い取られる―彼は平和に飢え、平和に死んでいく、法と秩序のもとで!

 何やらこのような覇権国家の支配形態は現代も基本的には変わらないのではないか。生命と財産の保証、法と秩序の美辞麗句を振りかざすのは覇権国家の十八番のようだ。

  インド国民会議は国内の世論ばかりでなく、イギリス世論の啓蒙にも努力する。この目的のため彼らはイギリスで盛んに宣伝活動を行い、指導的なインド人から なる代表団がインド人の見解を宣伝するためにイギリスに送られた。1889年にはインド国民会議のイギリス委員会が創設され、翌年からこの会は「インド」 という機関誌を発行する。ナオロージーはイギリス国民にインドの立場を知らしめるため、彼の人生と収入の多くの大部分をイギリスで費やしたのだった。商才 に長けたパールシーらしく事業で得た彼の財は、これでかなり失われる。

 ナオロージーはインド全般の民族運動ばかりでなく、自分の属するパールシー内部の改革も怠らなかった。1851年、彼は仲間たちと共にゾロアスター教徒改革者協会を 創設する。同協会は保守、形骸化したゾロアスター教の正統主義に議論を起こし、女子教育、婚姻、女性の地位向上といった社会慣習の近代化にも努めた。サ ティーのような悪習はなく、ヒンドゥーに比べパールシーでは女子の地位は高かったが、それでも幼児婚は彼らの間にもあった。パールシーにもともと幼児婚の 習慣はなかったが、朱に交われば何とやらで、ナオロージー自身も11歳(!)で結婚している。
 近代以前はインドに限らず女子が教育を受ける機会 は限られていたが、ナオロージーたちの改革の影響で、パールシーの家庭では娘たちへの就学を歓迎するようになる。この点では教育を受けた女は寡婦になると 説いた者さえいたヒンドゥーや、隔離状態にあったムスリムよりは恵まれていた。

 92歳で永眠したナオロージーの葬儀にはM.ガンディーが弔辞を述べたという。それにしても、何と精力的な生涯を送った人物だろうか。さらにインド民族運動に身を捧げる姿勢といい、華僑にこのような人物はまず出ないだろう。

※参考:「近代インドの歴史」山川出版社、ビパン・チャンドラ著

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10 コメント

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パールシー (スポンジ頭)
2006-09-18 00:09:19
パールシーはユダヤ人やシナ人と異質な感じですが、違いが出た原因は何でしょうか?たしかパールシーは異教徒の改宗を認めないのですよね?その点排他的な印象がありますが、インドのために行動するので不思議です。

ちなみにシナ人はタイを除いて暴動の対象になっていますね。タイではバンコクだったかの水田開発をしたそうですが、タイ以外の功績が浮かびません。
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TBさせて頂きました (柿の木)
2006-09-18 11:59:23
こんにちは



バールシーはイランの南東にあるバルチェスタンと関係あるのでしょうか?



非常に克明で綿密な調査に頭が下がります!!!



久しぶりに更新しましたので、TBさせて頂きました。

宜しくどうぞ!
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Is This The World We Created? (Mars)
2006-09-18 21:17:58
こんばんは、mugiさん。



インド人にとって、イギリス人にとって、そして多くの世界の人々にとって、どうなのでしょう。



I want it all, I want it nowでは、全ては得られないものかもしれません。が、すべては無理にしても、少しでもとっておくのはよいかもしれませんね。



世界なんてとは、とても言えませんが。ただ世界とは裏返しても地上があるように、狭い範囲では見えないことがあるのではないかと思います。

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パールシー と華僑 (mugi)
2006-09-18 22:28:33
>スポンジ頭さん

私も何故ユダヤや華僑との違いが出たのか、その原因を考えてみましたが、宗教や文化的背景だけでなく、民族精神もあるような気がします。イギリスの著名なイスラム学者バーナード・ルイスは、イスラムに圧倒されてしまったゾロアスター教徒をこう表現してました。

「ユダヤのようにしぶとく生き残る技術もなければ、キリスト教のように外部からの強力な支援のないゾロアスター教徒は悲運だった。彼らは唯一の受け入れ先であるインドに逃避する他なかった」



まさに、ユダヤや華僑のように異教徒、異民族を徹底利用する悪どさ、しぶとさがなかったのです。パールシーは勤勉、正直、活動的と言われますが、正直はユダヤ、華僑には美徳ではありませんね。



仰るとおり未だにイランも含めゾロアスター教徒は異教徒の改宗は認めませんし、純血主義を貫いてます。この点は日本人改宗者でも受け入れるユダヤより排他的です。パールシー内部でも異教徒受け入れに関しては激論がありますが、小集団があまり開放的になれば多数派に飲み込まれる危険性も大なのです。



数年前、私の母が何かのセミナーで日本人と結婚したタイ人女性の話を聞きましたが、彼女の話ではタイ人と華僑はあまり友好と言えないとか。食べられればそれでよし、とするタイ人に対し、華僑はとかく稼ぐ。当然リッチになり、現地人を乞食と馬鹿にするそうです。これでは嫌われるのも当然ですね。東南アジアでは印僑もいるはずなのに、彼らに対する暴動はあまり聞いた事がありません。
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バルチェスタン (mugi)
2006-09-18 22:30:27
こんばんは、柿の木さん



パールシーとバルチェスタンとは特に関係はないと思われます。

パールシーの祖先はイラン東北部ホラサーン地方のサンジャーンの町からインドに移住しました。彼らは住んだ地にサンジャーンと名付けています。インドに来る途中、バルチェスタン出身の同教徒も合流した可能性はあるかもしれませんが、主流はホラサーン出身者です。

パールシーとはヒンドゥーからの呼び名で、「ペルシアから来た人」、つまりペルシア人の意味です。
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One Vision (mugi)
2006-09-18 22:32:41
こんばんは、Marsさん。



インド人とイギリス人では世界観が異なりますからね。

輪廻転生とキリスト教の天国、地獄と死後の世界観や価値観も違う。日本人からすれば、前者の方が馴染み深いですが。



One Vision や One World といった世界観はいかにも一神教的発想です。英米のロックの歌詞によくこの言葉が登場するにつけて、やはり一神教の思考が表れていると感じさせられますね。
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うーん (スポンジ頭)
2006-09-18 23:17:18
ユダヤ人もパールシーも日本からしたら過酷な環境の民族で、シナの歴史も百万単位、近年では千万単位の殺戮ですが、パールシーにそういうあくどさが出ないのが不思議です。

ちなみにユダヤ人とシナ人は仲が良いんですね、確か。

改宗の話、少数派が多数派に飲み込まれる危険性を考えてのことなのですね。でも、そのために信者自体が減少しているで難しいですね。



私の会社に勤めていた在パキスタンの駐在員から聞いた話ですが、東南アジアでは「インド人と毒蛇を見たら、インド人を殺せ」と言う諺があるそうです。これを見る限り、東南アジアの人からしたら印僑もあくどいのでしょうが、確かに対印僑暴動って聞きませんね。



>>タイ人と華僑はあまり友好と言えないとか。



タイはタクシン首相が華人で、タイの政治家は一般的に華人が多いのではないでしょうか?私の勤務先はタイで華人との合弁企業を持っていますが、そこのある華人管理職の娘さんはシナ語が全くできず、タイ人の意識が強いそうです。人によりけりでしょうか。

仲が悪いのに経済を握られていても暴動がおきないとは、そちらの方が分かりません。
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近親憎悪 (mugi)
2006-09-19 21:58:29
>スポンジ頭さん

私も苛酷な環境におかれた歴史を持つにも係らず、パールシーにユダヤのような悪どさがないのが不思議です。

ユダヤは伝統的に親中ですし、韓国もユダヤと友好的ですね。商売だけでなく選民と中華思想で馬が合うのかも。

ちなみに以前、「インドのユダヤ人」というエントリーを書いてますので、気が向いたらご覧下さい。

http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/b7d4cf171bcc2639dd306cfa8b0c30f7



パールシーも19世紀までは5~6人の子供がいるのは当り前でしたが、日本より早く晩婚、少子高齢化が進んでいるのは、彼らも非常に頭を痛めています。



「インド人と毒蛇を見たら、インド人を殺せ」とは過激ですね(笑)。

印僑もあくどい面はあるでしょうが、パキスタンとインドは犬猿の仲だし、近親憎悪というか、近い人種の方が憎まれるのかも。



タイでは華人系住民が四分の一ちかくいると聞いてますが、どうなのでしょうね。

仰るとおり暴動が起きないタイも珍しい。国民性もあるのでしょうか。

タクシン首相も華人でしたか。麻薬取締りに強権を発揮し、国連から非難されても「国連は私の父親ではない」と言ったのを憶えています。
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インドのユダヤ人 (スポンジ頭)
2006-09-19 23:49:14
「インドのユダヤ人」読ませて頂きました。パールシーが異常に模範的なのでしょうが、ユダヤ人に対しては「もう少しインドのために行動しろ」と言いたくなりますね。



アメリカはナチスから逃れたユダヤ人が大勢いて、イスラエルはアメリカで持っていますが、アメリカに国家の危機が迫ったらどうするのかと思いますよ。
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インドその他のユダヤ人 (mugi)
2006-09-20 21:36:50
>スポンジ頭さん

パールシーの模範はむしろ例外ですが、いかにカーストの国で平等に扱われないといえ、インドでユダヤ人への迫害はありませんでした。

にも係らず、インドのユダヤ人は外国人と話す時、いかに自分たちが苦難の道を歩んできたか、苦労してるか、訴えるようです。

イスラエル建国時にインドから移住したユダヤ人もいますが、彼らは欧州系ユダヤ人との結婚は許されませんでした(現代は不明)。それでもインドでいかに大変だったかは、口にするようです。

作家・井沢元彦さんとユダヤ人との対談が載っている本を立ち読みしましたが、このユダヤ人もイスラム圏で自分たちがいかに差別されていたか、強調してました。ユダヤだけでなくキリスト教徒もイスラム圏では同じ扱いでしたが、もちろんそんな事は触れない。



アメリカの経済やマスコミを牛耳っているのはユダヤ系であり、彼らは徹底してイスラエルに協力してますよね。あの気質ではアメリカに国家の危機が迫っても、より有力な陣営に鞍替えするかもしれません。

ホロコーストさえビジネス化しています。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb811.html
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