その一の続き
魔女狩りに熱中したのは聖職者やマシュー・ホプキンスのように法に精通した者ばかりではなく、一般庶民もそれに加わる。ドイツで魔女狩りが盛んになると、16世紀末頃から各地の町や村で「魔女告発委員会」という組織が結成された。裁判所のやり方が生ぬるいというので、数人の委員が原告となり、魔女裁判に関する証人を手配したり、被告を裁判にかける準備を進めたのだ。
彼らの勝手なやり方に当局が文句を言うと、反対に委員会は文句を言った相手を魔女の共犯者として告発した。藪蛇になっては大変なので、裁判所も当局のほうも黙って見逃すしかなかった。
実はこの「委員会」の委員には法律の知識一つない者も多かったそうだ。当時の農民たちは家畜の病気、不作、身内の死や病気など、自分たちの身に降りかかる不幸は、全て魔女の呪いのせいだと本気で信じていた。
重税や理不尽な圧政に押し潰されていた彼らは、自分たちの不幸や不満の一切の責任を負ってくれる、一種のスケープゴードを求めていたのだ。だからこそ、魔女探しにあれほど必死になり奔走した。
彼らの凄まじい執念に当局も押され気味だったが、後者も次第にこの委員会を利用し、協力体制を組んだ方が有利だと考えるようになった。だから村の飲み会などで同席して意見交換したり、情報を伝えあったりした。飲み代は魔女とされた被告が支払わされた。
魔女の嫌疑を受けた人物が処刑されると、委員会はめでたく魔女を退治したというので、大喜びで宴会を開き騒いだものだったとか。魔女狩りで酒が飲めるとは、本書で初めて知った。
本書には1600年頃、魔女として処刑されたバイエルンのアンナ・パペンハイマーの悲惨な体験が描かれている。魔女の疑いで捕らえられた彼女は、悪魔と性的関係をもったと白状するまで拷問にかけられた。
結局、夫や2人の子供たちと共に火あぶりにされるが、処刑前にアンナの乳房は切り落とされ、彼女自身の口と2人の息子の口に無理やり押し込まれたという。本人のみならず家族まで処刑されるのが魔女狩りだったのか。
これほど酷い拷問をされれば、ありもしない罪を認めてしまうのは無理もない。尤も単なる苦痛逃ればかりではなかったようで、17世紀の英国の検事総長マッケンジー卿が火あぶりを待つ魔女を獄中に訪ねた時、魔女から以下の告白を聞く。
「私は何の罪も犯してはいませんが、いったん魔女として捕らえられたからには、たとえ放免されても私に食べ物をくれる人も住みかを提供してくれる人もいません。近所の人は私を殴ったり犬をけしかけたりするでしょう。それなら死んだ方がましだと思って、ありもしない告白をしたのです」
常に世界の模範たる文明国面する欧州だが、魔女狩りは人類史上類を見ない非人道行為である。同じ一神教でもイスラム圏はそれほど大規模な魔女狩りは発生しておらず、インドのサティーも魔女狩りに比べると拷問が伴わぬ分、マシに思えてくる。サティーで焼かれる未亡人には、予めアヘン等を飲まされることもあったそうだ。
他に欧州では異端審問という特殊制度があり、これまたイスラム圏とは対照的。異端審問の手続きには小型と大型があり、小型の方は普段に行われていたが、大型では国王即位や王族の誕生日などの祝賀行事として行われていた。そういう時のために死刑囚を大勢監禁しておき、まとめて火刑にしたのだ。
その当日、広場には前日から国王や貴族たちの貴賓席と、大審問官のための座敷が用意された。朝早く、教会の鐘が厳かに行事の始まりを告げる。朝8時には異端審問所の扉が開き、薪を運ぶ炭焼き職人の一隊が続き、白い十字架を先頭にしたドメニコ会修道士たち、真紅のビロード宗教裁判の旗を手にした高官が後に続いた。
ミサや説教や判決読み聞かせの後、いよいよ死刑囚らは鎖で繋がれ、火刑台に引き立てられる。そして薪に火がつけられ、広場での火刑となった。
天皇即位や皇族の誕生日などに恩赦が普通だった我が国と対照的に、欧州で処刑が祝賀行事の見世物だったことには驚く。これについて著者はこう述べている。
「これがめでたい祝賀行事だったというのだから、当時の人間の神経のずぶとさは、いったいどのようなものだったのだろう」
本書には他にも残虐な記述満載だったが、魔女狩りの酷さを改めて知った。これに比べれば日本のキリシタン迫害など温いが、クリスチャンはそう思わず、キリシタン迫害を糾弾し続ける。
◆関連記事:「キリスト教の本質」
「異端審問に熱狂した西欧、そうでなかったイスラム」
死刑は娯楽だったとはよく言いますが、倫理観
道徳感が当時と現在では全然違うとはいえ
悪趣味としか思えませんね。小学生の時に見た
チャウシェスク夫妻の処刑映像ですら、なんともいやな気分になりました。公開処刑なんて今じゃ北朝鮮ぐらいですものね。
魔女狩りというと私は「セイレムの魔女事件」が一番に思い浮かびます。事件自体も異様ですが、
「罪定法定主義」の原則が確立される切っ掛けになり大学の法学のテキストにも書いてありましたね。
日本ではチャウシェスクの遺体は映像公開しても、妻の方はしなかったはずです。欧米はもちろん夫婦共に公開していた。現代、公開処刑をしているのは北朝鮮以外にありますかね。サウジやイランはやりかねませんが。
悪名高い「セイレムの魔女事件」ですが、「罪定法定主義」の原則が確立される切っ掛けになったのはせめてもの救いです。欧州諸国も魔女狩りが盛んな国とそうでなかった国がありました。
期待大です。
ダークサイドミステリーの再開は嬉しいですね。魔女狩り特集、面白く見ました。番組では犠牲者はおよそ6万人と言っていましたが、あまりにも酷すぎる。