録画していた3月11日放送の『英雄たちの選択』を見た。放送日はちょうど東日本大震災から9年目に当たるが、今回取り上げたのは震災ではなく水害だった。今回のタイトルは「水害と闘った男たち~治水三傑・現代に活かす叡智~」、以下は番組サイトからの引用。
―毎年のように日本を襲う想定外の水害。どうすれば人々の安全と未来を守れるのか?今回、歴史の知恵を防災に活かすべきと唱える磯田道史が、大治水事業に挑戦した3人の英雄を選りすぐり、彼らの遺産を検証する。
信玄堤で知られる武田信玄。「利水」の発想で岡山を救った岡山藩士・津田永忠。天竜川の治水に生涯を捧げた金原明善。“三傑”から学ぶ治水の極意を紹介。現代に活かすべき叡智を令和の日本に問いかける。
番組で初めて津田永忠の名を知った。武田信玄は戦国時代に関心がなくとも知らない日本人はいないし、確か小学校か中学校の教科書に載っていたため金原明善も名前だけは知っていた。
しかし、一般に東北では津田は知られざる人物だろう。岡山県民には大変申し訳ないが私的に岡山といえば、思い浮かべるのは桃太郎くらいでなじみが薄い。尤も岡山でも東北は殆ど知られていないだろうが、津田のような人物が岡山にいたとは素晴らしい。番組司会者の磯田氏も岡山出身。
土木工学に関しては全く無知だし、海や河川に近い処に住んだことがないため、治水事業の重要性さえ認識していなかった。これまで水害に遭ったことがないのは幸いだが、そのような人は治水自体が分かっていないことが多いだろう。単に堤防を築けばよいというワケではなく、百間川のような人工河川を作り、洪水を放水させたりする。
津田の提唱した治水の費用は膨大な額にのぼり、銀五百貫(約十億円)にもなったという。当然藩の上層部は認めず、支出できるのは半額と一蹴された。それでも津田は諦めず、藩主・池田光政の理解と同意を得て干拓事業を行う。
干拓の後、津田は干拓地に新たな新田開発を始める。新田開発もまた費用がかかり、これまた藩上層部は許可しなかった。そこで津田は商人たちから資金を募り、新田開発を実行した。新田開発には影口を叩く者もおり、売名目的だといった中傷もあった。これに対し津田は毅然としてこう反論した。
「名誉が欲しいなら新田開発は行わない。天道または天下への御奉公と思うだけ」
天道または天下への御奉公と言ってのける気骨は素晴らしい。このようなセリフを吐いた藩士が岡山にいたのだ。但し磯野氏は津田は気骨だけの藩士ではなく、新事業のプレゼンテーションが巧みな人物だったのではないか……と推察していた。商人が資金提供したのも、将来的に新田開発は儲かると見ていたらしい。
そして藩主が津田の事業を許可した点も大きい、という磯田氏。氏に言わせると、このような人材は元禄までは採用されたが、それ以降は秀才主義が蔓延り、排斥されるようになったとか。現代日本と同じく平和が長引くと、組織は何よりも前例を重んじるようになる。
津田の尽力により岡山藩は最も新田開発が進み、ずっと洪水から城下は守られることになったそうだ。治水事業とは完工して終わりではなく、絶えずメンテナンス作業が求められる。水害でも起きなければ、予算が削られやすい部門でもあるのだ。
昨今の社会は、「今だけ、自分だけが儲かればよい」という考えが珍しくないが、そのような姿勢では結局のところ自分自身も守られないのではないか……と述べる磯田氏。
藩士としては申し分のない津田だが、実は不肖の息子に悩んでいたことがwikiに載っている。
―藩の基盤整備に尽力した永忠であったが、嫡子の八助永元(梶坂左四郎)には苦労していたようである。博打に手を染めるなど放蕩を繰り返し、座敷牢に押し込められたが逃亡し行方不明となるなどしていたようだ。これにはさすがの永忠も堪忍袋の緒が切れたようで元禄11年(1698)に廃嫡している。
西日本水害のあと磯田先生の岡山講演では津田の功績にはなしでしたから、知る人ぞ知るというレベルだったと思われます。、
磯田氏はwikiには岡山市出身とありますが、正確には岡山市北区の津高地域だったのですね。
地元でもそれほどメジャーではなかったとは驚きました。今回は治水がテーマだったので取り上げられたのですが、銅像も映ったし、他県の視聴者は岡山ではよく知られた偉人と思ったはず。
立派だと思います。しかし3大治水となると異論
がありあります。
信玄堤は2019年の台風でも効果を発揮したくらいですから一角を占めるのには異論はありません
残り二つを選ぶなら
利根川と荒川の流れを変えて氾濫を抑えた上に、
農地拡大にも成功、江戸への流通の助けににもなった家康の治水
薩摩藩士平田靱負が行った、日本有数の大河 木曽川長良川 揖斐川の3つが合流する輪中地帯の大規模治水 宝暦治水。伊勢湾台風まで破られることは
なかったはずです。
私ならこの3つを選びます。
家康の治水は意外に知られていませんよね。そして薩摩藩士・平田靱負の名は初めて知りました。とても参考になる情報をありがとうございます。こうなると3大治水の選び方もスタッフにより変わるのでしょう。