そのⅠの続き
『十字軍物語』で、年代記作家の遺した記録を参照して塩野七生氏は、ウルバヌス2世の後半の説教を以下のように描いている。
-イスラム教徒は地中海にまで勢力を拡大し、お前たちの兄弟を攻撃し、殺し、拉致しては奴隷にし、教会を破壊し、破壊しなかったところはモスクに変えている。彼らの暴行を、これ以上許すべきではない。今こそ彼らに対し、立ち上がる時が来たのだ。そして、一段と声を張り上げて続けた。
何故ならこのことは、わたしが命じているのではない。主イエスが命じているのである。かの地に向い、異教徒と戦い、たとえそこで命を終えたとしても、お前たちは罪を完全に許された者になる。わたしはそれを、神から授与されている権限をもって、はっきりとここで約束する。
昨日まで盗賊であった者はキリストの戦士に変わり、兄弟や縁者と争っていた者は、異教徒に対しての正当な闘いの場でその怒りと恨みを晴らす時が来たのだ。これまでは僅かのカネで雇われ、つまらない仕事で日々を過ごしていた者も、これからは神の望む事業に参加することに酔って永遠の報酬を得ることになるだろう。
出発は、先に延ばしてはならない。各自は、ひとまずは帰宅する。そして、冬が過ぎて春になるや、主の導くままに東方に向って進軍を始めるのだ。神が望まれる、聖なる責務の遂行のために…(20-21頁)
法王の説教を聞いた群衆を、作者は続けて描いている。
-聴いていた人々は、一人残らず感動した。群衆の間からは自然に、「神がそれを望んでおられる」(Deus lo vult)の声が湧きあがり、その大歓声の中で、聖戦に志願する最初の一人が演説を終えたばかりの法王の前に進み出た。そして法王の前にひざまずき、遠征参加への誓いを行ったのである…(21頁)
さすが法王に登りつめるだけあり、ウルバヌス2世はアジテーターとしての才も抜群だと感じられた。新聞やТVもない中世で、教養人といえば教会の高位聖職者くらいだったし、民衆には「知らしむべからず」と、教育を施さず神の名で絶対服従を強いていた。そんな社会で、神聖ローマ帝国皇帝すら屈服させ、権威溢れるローマ法王のご託宣なら、その影響力は計り知れない。かくして法王に煽られた信者による2世紀に及ぶ十字軍が開始された。
だが、これは中世欧州特有の現象だろうか?新聞やТV、ネットまであり、識字率は格段と上がっている現代さえ、私も含め大衆はしばしば、マスコミに盛んに登場する威勢の良いアジテーターに惑わされることもある。昨年末頃、ブロガー「ブルガリア研究室」さんから意味深いコメントを頂いた。共産主義エリート達にとっても、余計なことは一切考えない市民が必要だったという。「反抗しない、自分で考えない、従順な労働者、市民でさえあれば、都合がよいから」だ。
資本主義社会も手を変え品を変え様々な煽動がメディアを飾る。高名な人物となれば盲従する人間も少なくないし、特に女はその傾向が強い。著名人への懐疑主義や批判者の方にこそ問題がある、との意見もあるので、中世からあまり人類は進歩していないようだ。
ウルバヌス2世の説教にもあるように、ムスリムがキリスト教徒を「攻撃し、殺し、拉致しては奴隷にし、教会を破壊し、破壊しなかったところはモスクに変えて」いたのは概ね事実である。先ず、圧倒的な軍事力で支配権を確立したのはイスラム側だった。破壊されたのはキリスト教会だけでなく、他宗教の神殿も標的になった。イランや中央アジアなどアラブ・ムスリム新月軍の侵攻が実態だったし、第1回十字軍の約半世紀前、ガズナ朝のマフムードなど、ジハードを掲げ盛んにインド侵略を行っていた。ヒンドゥーは未だにマフムードの虐殺を口にする。
しかし、欧州でも奴隷は19世紀まで当たり前だったし、欧州人キリスト教徒が異教徒を攻撃し、殺し、拉致しては奴隷にし、神殿を破壊し、破壊しなかったところは教会に変えていたのである。つまり、キリスト教徒にとって異教徒を攻撃するのは正義でも、その逆は悪だったのだ。
そのⅢに続く
◆関連記事:「イスラムの寛容」
「加害者としてのイスラム」
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『十字軍物語』で、年代記作家の遺した記録を参照して塩野七生氏は、ウルバヌス2世の後半の説教を以下のように描いている。
-イスラム教徒は地中海にまで勢力を拡大し、お前たちの兄弟を攻撃し、殺し、拉致しては奴隷にし、教会を破壊し、破壊しなかったところはモスクに変えている。彼らの暴行を、これ以上許すべきではない。今こそ彼らに対し、立ち上がる時が来たのだ。そして、一段と声を張り上げて続けた。
何故ならこのことは、わたしが命じているのではない。主イエスが命じているのである。かの地に向い、異教徒と戦い、たとえそこで命を終えたとしても、お前たちは罪を完全に許された者になる。わたしはそれを、神から授与されている権限をもって、はっきりとここで約束する。
昨日まで盗賊であった者はキリストの戦士に変わり、兄弟や縁者と争っていた者は、異教徒に対しての正当な闘いの場でその怒りと恨みを晴らす時が来たのだ。これまでは僅かのカネで雇われ、つまらない仕事で日々を過ごしていた者も、これからは神の望む事業に参加することに酔って永遠の報酬を得ることになるだろう。
出発は、先に延ばしてはならない。各自は、ひとまずは帰宅する。そして、冬が過ぎて春になるや、主の導くままに東方に向って進軍を始めるのだ。神が望まれる、聖なる責務の遂行のために…(20-21頁)
法王の説教を聞いた群衆を、作者は続けて描いている。
-聴いていた人々は、一人残らず感動した。群衆の間からは自然に、「神がそれを望んでおられる」(Deus lo vult)の声が湧きあがり、その大歓声の中で、聖戦に志願する最初の一人が演説を終えたばかりの法王の前に進み出た。そして法王の前にひざまずき、遠征参加への誓いを行ったのである…(21頁)
さすが法王に登りつめるだけあり、ウルバヌス2世はアジテーターとしての才も抜群だと感じられた。新聞やТVもない中世で、教養人といえば教会の高位聖職者くらいだったし、民衆には「知らしむべからず」と、教育を施さず神の名で絶対服従を強いていた。そんな社会で、神聖ローマ帝国皇帝すら屈服させ、権威溢れるローマ法王のご託宣なら、その影響力は計り知れない。かくして法王に煽られた信者による2世紀に及ぶ十字軍が開始された。
だが、これは中世欧州特有の現象だろうか?新聞やТV、ネットまであり、識字率は格段と上がっている現代さえ、私も含め大衆はしばしば、マスコミに盛んに登場する威勢の良いアジテーターに惑わされることもある。昨年末頃、ブロガー「ブルガリア研究室」さんから意味深いコメントを頂いた。共産主義エリート達にとっても、余計なことは一切考えない市民が必要だったという。「反抗しない、自分で考えない、従順な労働者、市民でさえあれば、都合がよいから」だ。
資本主義社会も手を変え品を変え様々な煽動がメディアを飾る。高名な人物となれば盲従する人間も少なくないし、特に女はその傾向が強い。著名人への懐疑主義や批判者の方にこそ問題がある、との意見もあるので、中世からあまり人類は進歩していないようだ。
ウルバヌス2世の説教にもあるように、ムスリムがキリスト教徒を「攻撃し、殺し、拉致しては奴隷にし、教会を破壊し、破壊しなかったところはモスクに変えて」いたのは概ね事実である。先ず、圧倒的な軍事力で支配権を確立したのはイスラム側だった。破壊されたのはキリスト教会だけでなく、他宗教の神殿も標的になった。イランや中央アジアなどアラブ・ムスリム新月軍の侵攻が実態だったし、第1回十字軍の約半世紀前、ガズナ朝のマフムードなど、ジハードを掲げ盛んにインド侵略を行っていた。ヒンドゥーは未だにマフムードの虐殺を口にする。
しかし、欧州でも奴隷は19世紀まで当たり前だったし、欧州人キリスト教徒が異教徒を攻撃し、殺し、拉致しては奴隷にし、神殿を破壊し、破壊しなかったところは教会に変えていたのである。つまり、キリスト教徒にとって異教徒を攻撃するのは正義でも、その逆は悪だったのだ。
そのⅢに続く
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やはり、アジテーション、煽動の技術は、今も昔も共通するんでしょうか。わが国でも数年前、ルーピーや空き缶の政権交代を煽ったマスコミのアジテーションは、酷いものがありましたから。
仰る通り、民主党政権を誕生させたマスコミのアジテーションは凄まじかった。やはり音と映像を駆使するメディアの力は今でも強大で、ネットの影響力はたかが知れています。戦前はこのような調子で、戦意を煽ったのでしょうね。