その①の続き
フォーサイスの青少年時代の話も実に面白かった。13歳で彼はトンブリッジ・スクールというパブリックスクールに入学するが、当時の学風は今とはかなり違っていたらしい。中でも彼が入った寮は一番荒っぽいことで知られ、虐めと体罰が日常茶飯事だったという。教師が籐(とう)のステッキで尻を打つ体罰が普通に行われ、著者は3年半の間だけで、74発をくらったと言っている。不良ではなかったにも関わらず、この体罰数はいったい何を意味するのだろう?
この伝統ゆえなのか、英国人には尻を打たれて快感を覚える変態的性癖が多いそうだが、フォーサイス曰く、「幸い私はそんなものを憶えずにすんだ」。その代り、2つのものを身に付けたという。それは黙って痛みに耐える能力と苛酷で理不尽な権力への軽蔑心。
学業は極めて優秀、わずか15歳で大学進学資格試験に合格している。特に語学力は抜群、16歳にしてドイツ語、フランス語に堪能、ロシア語も会話なら出来たとか。天性の語学力もあるが、これは著者の父がまだ10代の少年である息子に対し、積極的に海外でのホームステイを勧めたことが大だった。
しかも父親は、海外を頻繁に行き来している国際ビジネスマンや学者ではなく、造船学校を出ただけの商店主なのだ。尤も戦前は大恐慌のため、“若者よ、東を目指せ”というスローガンの影響で、マラヤのゴム園で働いた体験もあった。当時は東洋のことを何も知らない若者が派遣されたり、東洋勤務に挑戦する若者はごく普通にいた時代だった。マラヤのゴム園で父は、一日本人と運命的な出会いをすることになる。
「外国語」という章で、著者が外国人だと気づかれずに話す方法を3つ挙げている。まずは発音。英国人は外国語の発音を真似るのが見事にまで不得意だ、という彼だが、これは極東の島国の住民にも当てはまる。発音を身に付けるには、低年齢の時から訓練を始め、外国の家族と共に暮らすのが良い。但しその家族は、こちらの言葉を殆ど話せないのというのが条件。
発音の次はスラング。学校で教わるような正しい言葉遣いをすると、早々に外国人だと分ってしまう。3つめは、マスターするのがさらに難しいボディーランゲージ。どの言語も顔の表情や手ぶりを伴うからだ。
駐仏ジャーナリストだった頃の著者は、英国訛の強い片言のフランス語しか話せないフリをしていたそうだ。そうして周囲のフランス人に彼らの会話が理解できないと思わせることができたという。実際にはしっかり理解していたが、そうすることで取材も捗ったようだ。欧州大陸の諸君は英国人旅行者を人畜無害なお馬鹿さんと思いたがる傾向があるので、それを利用した訳だ、と著者は書いている。
人畜無害なお馬鹿さんと思われているのは極東の島国の旅行者も同じだか、それを逆手に取る芸当はまず無理だろう。いかに秘密情報部に協力していた人物だったにせよ、この辺りは英国人の底知れぬ強かさを感じてしまう。
著者は5歳の時に初めてスピットファイヤに乗せられたことでパイロットに憧れ、その夢の実現を果たす。彼の10代の頃、英国にはまだ兵役があり、戦闘機パイロットになりたいがために空軍に志願する。誰もが嫌がる兵役にいたのも、戦闘機パイロットへの夢というのも、アウトサイダーを自称する彼に相応しい。
英国もとうに国民兵役が廃止されており、国民兵役の弊害が散々論じられてきたそうだ。それに対し著者は他の方法では不可能な、次の3つの役割を果たしてことは否定できないという。
第一に全国各地から若者が集まる機会を作ったこと。第二に、色々な社会集団や経歴の人間が集まることで、若者の視野が広まった点。恵まれた境遇の若者は、そうでない人たちを見下してはならないことを教えられた。
第三に国民兵役は、親の家で生まれ育ってそこから1度も出たことがなく、そのままいけば結婚して、また別の家庭に入るだけという若者たちをママの元から引き離し、男ばかりの世界に投げ込んで、全て自分で何とかしなければならない状況を体験されたこと。
当時の通念では、パブリック・スクール卒業生が空軍に志願、訓練所に入るなど奇行としかいいようがなかった。トンブリッジの学校当局は著者の父を呼び出し、校長や寮監、教頭、牧師ら4人掛りで父を訓戒する。
貴方の御子息は重大な問題を犯そうとしている、あと2年、当校で学べばおそらくオックスフォードやケンブリッジの奨学生になれるだろう、大学でいい成績をとれば官僚で出世する道が開ける、或いは教員として当校に戻って来られるかもしれませんぞ……
にも拘らず、御子息は機械工に毛の生えたようなものになりたがっている、そんな奇妙な夢を追う若者を翻意させるのは父の義務というのだ。これら4人組は皆オックスフォードやケンブリッジの出だったが、造船学校出の商店主である父は、簡潔に返事をした。
「先生方、息子がイギリス空軍の戦闘機パイロットになりたいというなら、私は自分に出来る限りの援助をして励ましてやりたいと思います。それじゃ失礼」
全くこの親父殿、格好良すぎる。権威にひれ伏す傾向の強い日本人の父なら、学校当局の説得に早々に応じ、息子を叱りつけるのが大半ではないか?そもそも優秀な成績の息子が戦闘機パイロットになりたいと言った時点で、猛反対していただろう。
その③に続く