トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

夢をあきらめた人々

2007-04-20 21:21:23 | 世相(日本)
 実際に会ったことはないが、母の友人の息子で学生時代バンド活動に明け暮れた人物がいる。せっかく有名大学に入れたのに、音楽にすっかり夢中になり退学 を余儀なくされたそうだ。バンド活動は程ほどにするよう親が何度注意しても聞かず、心配した母親が息子の住むアパートを訪ねて行ったら、栄養失調状態にま でやせ細り、カップ麺ばかり食べていた我が子を目にする。息子のバンドもうまくいかず、結局親に連れられるかたちで音楽活動を止めたらしい。彼は現代は生 協に勤めているが、就職した時にドラムその他の楽器を全て処分したという。そして今は趣味としても音楽を全くやってないとか。

 私の父は 若い頃詩人になりたかったらしい。しかし、詩人で生計を立てていくのは極めて稀な例だ。趣味としてなら良いが、生活が掛かっているなら詩作などやってられ ない。結局は平凡な勤め人で終わったが、それでもよく詩や本を読んでいた。勤めていた時もよく書類を書いていたが、仕事ばかりではなく文章を書くのが好き だったのだ。たぶん文書作成を楽しんでやっていただろう。

 活字離れが言われて久しいが、結構本好きなブロガーも少なくない。本好きな人 は、どうしても読んだ本のことを語らずにいられない。その印象や読んで特に面白いと感じた箇所を列記したくなる。本を読んでブログ記事にする動機は人様々 だろうが、私の場合は備忘録の目的もある。同じ本を何度も読み返す時間はないので、読了した本の内容を簡単にまとめたり、印象を書き綴っては記録に残す。

 本好きを「知識オタク」 と皮肉ったブロガーがいる。「知識オタク」とは音楽や映画を消費するように書物を「消費」し、本を読んで知識を蓄えることが大好きで、その蓄積そのものに 愉悦を覚える人たちだそうだ。彼らは知識披露と知識自慢を延々としているだけ、つまり知的自慰行為を繰り返しているだけとのこと。
 私には何故書物と音楽、映画を切り離して考えるのか、まるで不可解だ。書物も映画や音楽のように消費される対象であり、知識を蓄えられなければ、作者も作品を書いた意義も意味もない。

「人は己の経験に基づいて書く」と言ったのは確かフロイトだと思うが、このような解釈をした人物こそ、まさに自分が行っていることを露呈しており、自分のやり方を他人と混同しているのだろう。実際このブロガー自身マルクスやソルジェニーツィンの『収容所群島』、果てはサドマゾの元祖マルキ・ド・サドの 『ジュスティーヌ』など一般に読まれない本を挙げており、「どうだ、オレはマルクスを読んでいるんだ。スゴイだろ」の得意顔が文面から浮かぶ。ブログの他 にHPも立ち上げ、2ちゃんねるにも盛んに書き込んでいるという相当なネット三昧生活を送る左翼崩れの中年でもあったが。読書を映画や音楽鑑賞より高等な 趣味と見なしているのなら、いくら本を読んでも教養は身に付かなかった訳だ。

 別にネットの目的が知識自慢、披露だろうが、それは全く構 わない。それで興味深い知識が得られるなら大いに結構だし、ネットの醍醐味でもあるのだから。また本の紹介など一種口コミのようなもので、どこそこのラー メンが美味しかった類の食べ物屋の紹介例と質は同じだ。人は興味のあることに強い関心を示すものであり、好きこそ物の上手なれと言うではないか。金にもな らぬブログなど、どれも知的自慰行為に過ぎない。テーマもある人は料理、又は絵や写真、映画、音楽など趣味の延長にある。

 いかに本好き でも、読書家全てが作家になれるはずもない。職業作家のブロガーもいるし、作家を目指している方もいる。だが、それ以外の人はそれなりにエッセイ、紀行、 頑張れば伝記くらいは書けるかもしれないが、それも同人誌レベルが関の山であり、プロとして自活する才能には恵まれない。職業作家になるのは文才や発想、 努力ばかりでなく、何か運のようなものも必要だ。作品を消費する側ではなく、消費される側になれるなら、どれだけ素晴らしいことだろう。ブログだけで手一 杯の私はつくづく自分の凡庸さを思い知らさせる。

 よくTVのキャッチフレーズに使われるのが「夢をあきらめない」だ。しかし、夢を実現させた人など至って少ないのが現実なのだ。夢をあきらめた人々が大半の凡夫であり、夢を実現できるのは天性の才能と運を与えられた稀有な人である。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あなたの夢を、あきらめないで♪ (Mars)
2007-04-22 19:21:08
こんばんは、mugiさん。

「夢」という言葉には、他者から見て、他愛もないものから、壮大なものまで、人それぞれですね。
また、私を含めた、多くの凡人にとって多少の「夢」を抱きつつ、現実に挫折し、世の流れに迎合する。
いつまでも「夢」を追い続けるのが志が高いのか、現実を見ないのかの評価は、これも悲しいかな、結果次第でしょうね。

mugiさんにとっての、現在の夢は存じませんが、恥ずかしげも無く、自分の「夢」を語れる国こそ、「美しい国」ではないでしょうか?

(ささやかでも、自らの「夢」を語れないようになったのも、一世紀前とは違うのかもしれませんね。)
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夢見る頃を過ぎても (mugi)
2007-04-22 21:16:05
こんばんは、Marsさん。

いわゆる成功者でも自分の夢が全て叶った人はまずいないと思います。
それでも夢をみずにはいられないのが、人間なのでしょうね。希望やささやかな願い、理想も含まれますから。

自らの「夢」を実現するには、努力と天性の才能と運が必要です。
たとえ自分に「夢」を叶える力がなくても、努力し続けている人はスゴイと思いますが、その才能もないのにあるフリをしてアルコールやネットに溺れ、世の流れから取り残される者もいる。
夢を見るのは結構でも、それで何も行動してないなら、単なる白昼夢で終わりです。

恵まれすぎると、逆に自分の「夢」を語れなくなるのかもしれません。
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