先日の記事「イラン人が見た明治の日本」に、「2人のピアニスト」さん、「佐久間象川」さんから鋭いコメントを頂いた。「この同じ時代に日本を訪れた外国人の多くが、日本人の国民性を高く評価していたのに、たった一世紀の後の現在、その様でなくなったのは、何故でしょうか」という質問だが、私自身も何故?と感じていた。これは実に興味深いテーマだと思い、私なりに考えてみた。
まず20世紀初頭から現代まではたった一世紀経たに過ぎないが、その前の江戸時代から明治時代の移り変わりの一世紀に比べて変化の度合いが激しすぎる。明 治36(1903)年当時の日本と現代では生活水準が全く違っている。来日したイラン人は裕福だったにせよ、日本人の生活の質素さにも驚いている。当時は 現代のように品物、食糧は溢れかえっておらず、一世帯あたりの子供の数も多かった。現代日本は質素な生活など失われた。モノに恵まれすぎれば、人間の精神 にも影響を及ぼすのは自然の流れだろう。
教育方針もまた明治時代と現代は大きく異なる。20世紀初めは欧米も盛んに愛国教育がなされて おり、その欧米に見習った日本も同じ道を歩む。イランや中国は統一国家の態を為してなかったゆえ、それが出来なかったのだ。愛国教育といえば、現代では ファシズム的な禍々しい響きを持つが、同時に国内に結束と秩序をもたらすプラス面もある。
所詮キイロとキイロの争いである日清戦争までは黙殺していた欧米も、シロが負けた日露戦争後は日本に警戒の目を向けるようになり、「黄禍論」が浮上。2大国相手に勝利した日本も増長が生じたのは確かだ。昔の人は「勝って兜の緒を締めよ」といいことを言ったが、成功して驕るようになるのが人間の性なのだ。謙虚な覇権国家など、人類史上ひとつもない。
そして敗戦。GHQは日本が再び軍事大国にならぬよう徹底した贖罪意識を植え付け、戦前の価値観を全否定する教育のもとを作る。日本人は未だに敗戦のトラ ウマを引きずっており、過去の亡霊に悩まされている。特に戦後の我国の知識人は欧米基準こそ何でも正しいと盲目的に従うようになり、欧米人学者の発言をご 神託のように有難がる始末。欧米人が言っただけで保守派も左派もその発言を重視する。本心では褒めてもらいたいくせに、欧米人のお説教の方をより多く取り 上げる。
かつて週刊新潮に「東京情報」というコラムがあり、SPI特派員ヤン・デンマンが 書いていた。コラムでデンマンはしきりに「アメリカ(または英国、フランス、ドイツetc)人記者が言った」と外国人記者による日本社会批評を載せていた が、SPIなんて通信社はない。これだけ外国人記者と付き合いがあるなら、デンマンは外国人記者の溜まり場にいなくてはならないはずだが、それらしい人物 は存在しなかった。実はヤン・デンマンの正体は斎藤十一という日本人編集者と考えられているが、あのコラムではそう思われて当然だろう。
この傾向を明治以来の欧米コンプレックスや島国根性に結びつける人がいる。しかし、私は日本特有の現象とは思えない。インドの近代史を見ると、日本との共通点が多いのは興味深い。独立前のインド知識人が記した書物を読むと、いかにセポイの反乱の 敗北を心痛していたのか伺える。インド支配を確立した英国は2度と反乱を起こさないように、徹底した封じ込めとインド文明への否定並び西欧の価値観の強要 を図る。あの悠久の歴史と文明を持つインド人にも、西欧文化にひれ伏した者もいた。逆に宗教に拠り所を求めた者もいる。
「新興中間層は政治的意識を強めていたのであって、宗教を探し求めていた訳ではなかった。それでも彼らは、拠り所になる何かしらの文化的ルーツ、自分自身の価値を確認できる何か、外国による征服と支配が生んだ挫折感、屈辱感を軽減してくれる何かを欲していた」(ネルー)のだ。
日本に滞在する欧米人の意見も必ずしも当てにはならない。題は忘れたが20年以上前に読んだ本に、明治時代のジャパン・タイムズ紙の記事が載っていたが、その中に「西洋化した日本女性」 というものがあった。しかも、書かれたのが家父長制絶対時代とされる19世紀末なのだ。貞淑(今や死語か)が美徳だった日本女性は、その伝統を捨て去ろう としているとかいう内容だったのを憶えている。一ヶ月そこそこの滞在でありながら、当時の日本を見抜いたヘダーヤトの鋭い批評眼とは、何という違いだろ う。
平成の現代、来日する外国人は明治時代に比べ日本人の国民性を高く評価しなくなったと言われる。これは交通事情もある程度影響して いるのではないか、と私は見ている。現代は庶民でも気軽に海外旅行できるようになったが、明治に来日した外国人は総じてエリートであり、知的水準も高かっ た。
さらに外国人の意見を取り上げる日本のマスコミにも問題があると思う。人間は褒めるよりもけなすことを好む生き物だが、世論を啓蒙したい知 識人は外国人の厳しい意見を恣意的に選んでいるのではないか?自分から説教するより「アメリカ人がこう言った」と紹介した方が、より効果的だから。これで は好意的な評価などメディアから後退してしまう。
◆関連記事:「イラン人が見た明治の日本 その①」「その②」
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まず20世紀初頭から現代まではたった一世紀経たに過ぎないが、その前の江戸時代から明治時代の移り変わりの一世紀に比べて変化の度合いが激しすぎる。明 治36(1903)年当時の日本と現代では生活水準が全く違っている。来日したイラン人は裕福だったにせよ、日本人の生活の質素さにも驚いている。当時は 現代のように品物、食糧は溢れかえっておらず、一世帯あたりの子供の数も多かった。現代日本は質素な生活など失われた。モノに恵まれすぎれば、人間の精神 にも影響を及ぼすのは自然の流れだろう。
教育方針もまた明治時代と現代は大きく異なる。20世紀初めは欧米も盛んに愛国教育がなされて おり、その欧米に見習った日本も同じ道を歩む。イランや中国は統一国家の態を為してなかったゆえ、それが出来なかったのだ。愛国教育といえば、現代では ファシズム的な禍々しい響きを持つが、同時に国内に結束と秩序をもたらすプラス面もある。
所詮キイロとキイロの争いである日清戦争までは黙殺していた欧米も、シロが負けた日露戦争後は日本に警戒の目を向けるようになり、「黄禍論」が浮上。2大国相手に勝利した日本も増長が生じたのは確かだ。昔の人は「勝って兜の緒を締めよ」といいことを言ったが、成功して驕るようになるのが人間の性なのだ。謙虚な覇権国家など、人類史上ひとつもない。
そして敗戦。GHQは日本が再び軍事大国にならぬよう徹底した贖罪意識を植え付け、戦前の価値観を全否定する教育のもとを作る。日本人は未だに敗戦のトラ ウマを引きずっており、過去の亡霊に悩まされている。特に戦後の我国の知識人は欧米基準こそ何でも正しいと盲目的に従うようになり、欧米人学者の発言をご 神託のように有難がる始末。欧米人が言っただけで保守派も左派もその発言を重視する。本心では褒めてもらいたいくせに、欧米人のお説教の方をより多く取り 上げる。
かつて週刊新潮に「東京情報」というコラムがあり、SPI特派員ヤン・デンマンが 書いていた。コラムでデンマンはしきりに「アメリカ(または英国、フランス、ドイツetc)人記者が言った」と外国人記者による日本社会批評を載せていた が、SPIなんて通信社はない。これだけ外国人記者と付き合いがあるなら、デンマンは外国人記者の溜まり場にいなくてはならないはずだが、それらしい人物 は存在しなかった。実はヤン・デンマンの正体は斎藤十一という日本人編集者と考えられているが、あのコラムではそう思われて当然だろう。
この傾向を明治以来の欧米コンプレックスや島国根性に結びつける人がいる。しかし、私は日本特有の現象とは思えない。インドの近代史を見ると、日本との共通点が多いのは興味深い。独立前のインド知識人が記した書物を読むと、いかにセポイの反乱の 敗北を心痛していたのか伺える。インド支配を確立した英国は2度と反乱を起こさないように、徹底した封じ込めとインド文明への否定並び西欧の価値観の強要 を図る。あの悠久の歴史と文明を持つインド人にも、西欧文化にひれ伏した者もいた。逆に宗教に拠り所を求めた者もいる。
「新興中間層は政治的意識を強めていたのであって、宗教を探し求めていた訳ではなかった。それでも彼らは、拠り所になる何かしらの文化的ルーツ、自分自身の価値を確認できる何か、外国による征服と支配が生んだ挫折感、屈辱感を軽減してくれる何かを欲していた」(ネルー)のだ。
日本に滞在する欧米人の意見も必ずしも当てにはならない。題は忘れたが20年以上前に読んだ本に、明治時代のジャパン・タイムズ紙の記事が載っていたが、その中に「西洋化した日本女性」 というものがあった。しかも、書かれたのが家父長制絶対時代とされる19世紀末なのだ。貞淑(今や死語か)が美徳だった日本女性は、その伝統を捨て去ろう としているとかいう内容だったのを憶えている。一ヶ月そこそこの滞在でありながら、当時の日本を見抜いたヘダーヤトの鋭い批評眼とは、何という違いだろ う。
平成の現代、来日する外国人は明治時代に比べ日本人の国民性を高く評価しなくなったと言われる。これは交通事情もある程度影響して いるのではないか、と私は見ている。現代は庶民でも気軽に海外旅行できるようになったが、明治に来日した外国人は総じてエリートであり、知的水準も高かっ た。
さらに外国人の意見を取り上げる日本のマスコミにも問題があると思う。人間は褒めるよりもけなすことを好む生き物だが、世論を啓蒙したい知 識人は外国人の厳しい意見を恣意的に選んでいるのではないか?自分から説教するより「アメリカ人がこう言った」と紹介した方が、より効果的だから。これで は好意的な評価などメディアから後退してしまう。
◆関連記事:「イラン人が見た明治の日本 その①」「その②」
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先の大戦(狭義のです。つまり1941年暮れ以降)を始める理由は何だったのか。いずれ終わらせなければならないが、どのような形で終わらせるべきか。思ったように戦争の帰趨が展開しない場合、次善の措置はどのようなものか。
当時の国家の指導者たちが、このような開戦に当たっての根幹となる事項について、全く考慮した様子が見られません。ただ、F.D.ルーズベルトの圧力にずるずると追い詰められただけで、1940年の大統領選挙でこの「隠れ共産主義者」を追い落とす(つまり共和党候補に勝利させる)プロパガンダすら考えようともしていない。「戦争は政治の延長であり、戦争はいつかは終わるが政治は永遠に続く」ということさえ、全く理解していなかったと考えざるを得ません。誠に情けない話ですが、「当時の戦争指導者、そして今の日本の指導的地位にある者たちも、ヒトラーはおろか、金正日の外交手腕にすら遠く及んでいない」と結論せざるを得ません。
そして細かい話ですが、「真珠湾の騙し討ち」を結果として生ぜしめた当時の駐米日本大使館員の、正に「国賊的不祥事」について、今まで外務省(OB含む)の誰にも責任を取らせていない。あの12月7日、日曜日の出勤当番が大幅に遅刻した(その原因はあまりの馬鹿馬鹿しさにここに書くのも躊躇われる)ために「真珠湾の騙し討ち」となったというのに、この当番外交官、その後次官にまで上り詰め、あまつさえ陛下から勲章を受けて平然としているのですから、あの頃から官僚の鉄面皮は凄まじいものがあったとわかります。
これに引き換え、ほぼ100年前の日露戦争に際しては、国民国家が一丸となって事に当たったのはいわずもがなですが、国の指導者はどうやって戦争を終わらせるか、どの国に仲介させるか、戦後処理はどうするかまで(当たり前だが)綿密に検討して当時の大国ロシアに勝利したのです。
>昔の人は「勝って兜の緒を締めよ」といいことを言ったが、成功して驕るようになるのが人間の性なのだ。
全くそのとおりですが、大変困ったことに、その「性」を全く反省することなく、指導的地位に居座り続け、国民の代表である政治家を手玉にとっている官僚たちは、その悪巧みを今に至るまで絶えることなく継続しているのです。これには、国民の代表である政治家について、ひたすらたたきまくるしか能のないマスゴミにも多大の責任があるといわざるを得ません。
真に代表たるにふさわしい人物を有権者が「評価」できるようなきちんとした情報をメディアは提供してきたでしょうか。私は否と言わざるを得ない。
お書きになっていることの幾つかは、我々同士が話し合った内容と同一であるが、また、例に依って、私等の知らなかったことを教えて頂けた事を、有難く思います。
それは、コメントを寄せている「のらくろ」 さんのご意見に付いても全く同じです。
ただ、「のらくろ」さんのご意見には同感だが、何故「先の大戦の総括も出来ていない『官僚』や『マスコミ』が居座っていられるのか』、に付いても、お考えを伺いたかった。
以上は、この記事をを拝見して直ぐに「ピアニスト」と電話で話して意見が一致し、今度は彼がお礼の記事を書け、と言ったのだが、「後で・」と横着を言っていて書かない。
今週、日本一周の船旅に出る彼は、我々と同年輩の老女ブロガー「モナミ:http://blog.goo.ne.jp/bonju-ru19/e/10804011ac6f5f32d34f52bd23519a5e」にコメントを入れて、船旅に誘い出そうと企み、それが先だ、などと抜かしている。
「昔のダンスホール:http://blog.goo.ne.jp/gookyaz/e/de2a08a8a34878d852c10697a35538f0」なんてものばかり、書いていて、仕様のない奴である。 「雀百まで」ということらしい。
取りあえず私が、彼の分も含めて、お礼を申上げて置く。
本当に、お手数を掛けて申し訳有りませんでした。
併せて、「のらくろ」様にも、二人分のお礼を申上げます。
仰るとおり先の大戦への総括が日本では未だに為されてませんね。何故それが出来ないのか?
私は良くも悪くも曖昧さを求める日本人の性格もあると思います。これが欧米や儒教圏なら、革命、政変などで倒された前政権関係者は徹底した総括対象ですが、日本ではそうした事はまずない。徳川一族も他の文化圏なら抹殺されて当然ですが、ちゃんと爵位まで与えられる始末。前政権関係者を取り込むのが日本のやり方です。
明治の元勲たちはさすがに幕末、維新を体験しただけあり、戦争終結やその処理まで考えてました。ところが、その後の国家の指導者は修羅場を体験することがなく、エリート意識だけが強いひ弱な者たちが政治家になったのが、先の戦争に繋がりました。
日本は良くも悪くも独裁者が生まれない土壌があります。東条さえもが軍から祭り上げられた指導者でした。ヒトラーを罷免する事などドイツで絶対ありえません。同じファシズムでも先の戦争指導者は、ドイツ、イタリアのような絶対的指導者に率いられたものではなかったのです。
インドのエリートICS(インド文民団)について、ネルーはこう書いてます。
「ICSは人民によって任命されたものではなく、人民に責任を負うものでもなかったので、人民に最も関係の深いこれらの部門には何も関心を払わなかった。こんな環境の下では、当然のことながら彼らは尊大に構え、世論を軽視することになった。ものの考え方の狭く偏った彼らは、自分たちが地球上で最も賢明な人間であるかのように思い上がった。「インドのため」ということは、彼らにとりまずもって「彼ら自身の任務のため」と同じ事であった。彼らは一種の馴れ合い社会を形づくって、ひっきりなしにお互い同士で仲間を褒めあった」
科挙に合格した優れた文官も、時代の変化には為す術もなかった、と言ったのは作家・井沢元彦氏です。日印中とも官僚根性は同じです。
エリート意識を持っている点でメディアも同じ。記事に挙げたように左右マスコミ共にきちんとした情報を提供してきたとは思えません。
未だに「先の大戦の総括も出来ていない『官僚』や『マスコミ』が居座っていられるのか」ですが、彼らは政治家と違いGHQからも裁かれませんでしたね。それどころか統治のために利用し、官僚やマスコミは今度はこぞって米軍に協力しました。今でこそ左派新聞と散々ネットで批判されている朝日も、戦争中は戦意高揚の旗振り役でした。
それにしても、「ピアニスト」さんがゴールデン・ウイークに日本一周クルーズとは素晴らしい。私もこのような悠々自適の老後を過ごしたいものです。ダンスホールのお話も拝読しましたが、「粋な遊び人」など平成の今はまずいなくなってしまったのではないでしょうか?「粋」そのものが死語になりかけてます。
私が昔通ったディスコなど、「粋」などあったものでなく、ナンパの場になってました。
万人が納得する総括なんてありません。総括しなければ先に進めないのなら、全体主義のように思想統一するしかなくなります。そのため極左や極右は内ゲバを起こすのです。
あるいは「大戦への総括」という言葉そのものが日本を先の大戦に縛り付ける「呪」かもしれません。
敢えて総括するなら、戦争になったのも負けたのも貧しかったからに尽きます。
戦後、アメリカの豊かさを見た日本人はきちんと理解して豊かになったわけで、それで十分だと思います。
私のような愚昧な者には、「総括」なんて恐れ多いことですが、、、。それでも一言いわせていたでけるのであれば、やはり、戦前と戦後の差は「教育」の差だと思います。それも、数学や英語ができるといったものだけではなく、道徳や思いやり、ものの善悪や祖先・両親を敬う気持ちだと思います。
昨今言われているような学級崩壊も、元をたどれば、ダメ教師に限らず、ダメ親にあぐらをかくダメ生徒がいるからでしょう。
それも、最近の若いものは、という世代がダメ教師・ダメ親をロクに教育できず、ダメ子が出来た結果でしょうが、その事に対する反省・自戒はないので、始末に負えません。
現代の教育の問題点は、変な平等・権利(義務も果たさない者、他人の権利を奪った者、そもそも権利がない者を守ろうとする逆差別・権利)のみならず、やはり、自虐史観で祖先・両親等を敬う事ができない事でしょう。
古今東西を問わず、祖先や先達を尊敬できない者がどうして、自国や自国の文化に敬意を表せるのでしょうし、そんな者を、子や後輩が敬意を表せるのでしょうか?
長文、駄文で、本当に申し訳ないです。
私が「総括」の言葉を憶えたのが子供の頃で、連合赤軍内のリンチ殺人事件のニュースからでした。
子供の頃なので、「ソーカツ」とはリンチの代名詞くらいに思った同級生が多かったと思います。実際「ソーカツ」と言っては、友人の頭を小突いたりした生徒もいた(笑)。あの事件はそれだけ日本中を震撼させました。
>>戦争になったのも負けたのも貧しかったからに尽きます
日本はまさにそうですが、大英帝国やアメリカのような覇権国家も戦争を仕掛けますね。
>こんばんは、Marsさん。
何年も前、アメリカ人タレントのケント・ギルバートが日本には「修身」が必要なのではないか、と言ったのを憶えてます。戦後はGHQにより「修身」は廃止されましたが、今はこの言葉を知らない方も少なくないでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E8%BA%AB
仰るとおり道徳教育が廃れれば、人心の荒廃を招くでしょう。教育の基本は家庭にありますが、家庭でろくにしつけも為されてない子供が学校に行けば、教師に従うはずなどない。その結果は学級崩壊。何でも教師のせいにする親の方が責任が重い。
権利には当然義務が伴いますが、義務も果たさないで権利ばかり主張する大人が増えれば、子供の教育環境にいいはずがない。
そして自虐史観を振りかざす左派教師に教えられるなら、子供がどうして祖国の文化を誇りに思えるでしょうか?子供は社会を映す鏡といわれます。大人がおかしくなれば、子供もまともに育たない。
ご紹介いただいた内容は、まさしく、目から鱗です。
この1ページだけでも、現在の日本を象徴するようですね。
>敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) は、国史・地理と並んで、修身が軍国主義教育とみなし、授業を停止する覚書きを出した。
国史の停止→日本の歴史を破壊し、特アの、西欧の傲慢・欺瞞に満ちた自虐史観をそのまま現していますね。
地理の停止→独島(本当は竹島)、魚釣島(本当は尖閣諸島)、北方領土、沖縄等、地理も国土も主権も侵されても、無関心な日本人を作るのに、成功しましたね。
>理性ある社会人を育てるべく改めて作られたのが「道徳」である。
え、特ア人、欧米人に、「道徳」のある人間や、理性的で理論的な人間はどの位いるのでしょうか?
まして、特ア人、欧米人にとって、日本人的、自省・自制心があれば、自殺ものでしょうけど。
自分の事は棚に上げ、他者を批判できる根性こそ、日本人は特ア人、欧米人に学ぶべきでしょうね。
それでも、それを潔しとはしない日本人もいると思います。外交は虚々実々でしょうが、それを分からない、インテリ外交官も少なくないようで。
ただ、日本を憂う者がいる事こそ、日本も捨てたものではないのかもしれません。
そう、日本が大嫌いで、批判しかできない者でなければ、、、。
>私が「総括」の言葉を憶えたのが子供の頃で、連合赤軍内のリンチ殺人事件のニュースからでした。
子供の頃なので、「ソーカツ」とはリンチの代名詞くらいに思った同級生が多かったと思います。実際「ソーカツ」と言っては、友人の頭を小突いたりした生徒もいた(笑)。あの事件はそれだけ日本中を震撼させました。
そういう時代がありましたね。しかし、「連合赤軍」以前から総括ということばは存在していました。「三国人」もそういう「本来の言葉の意味を逸脱した印象を世間に与えている言葉」のひとつかも知れません。
先のカキコで私はタイトルにこそ「総括」という言葉を使いましたが、要は「敗戦責任」がきちんととられているのかどうかということです。
>敢えて総括するなら、戦争になったのも負けたのも貧しかったからに尽きます。
一概にそうとは言い切れないでしょう。国力≒経済力という点では、日米開戦時の両国よりも日露開戦時の両国の方が落差は大きかったのではないでしょうか。
あるいはベトナム戦争当時のアメリカとベトナムの落差はどうでしょうか。戦争の勝敗は「戦争目的が達成できたか否か」です。ですから、あれだけの大損害を出しながらベトナムはアメリカに『勝った』。日本はロシアに『勝った』。ただし100年前の日本人は、ロシアに『勝った』ことの意味を十分に把握できず、日比谷事件を起こしました。
ですが、100年前の日比谷事件を起こした当時の日本人に比べて、我々世代は進化しているでしょうか。むしろ劣化していませんか。わが国に数十、いや数百という核ミサイルの照準を合わせている某国(以下「A国」とします)に、またぞろODAを再開する愚かな選択をした政府も怪しからんですが、それをけしかけたのはただ単に「景気向上」を求めるチョー利己的財界人たちではないですか。当該国と国交が断絶し、一切の貿易が止まったからといって、我が国は別の某国(以下「B国」)のように国民の何割もが「飢餓」状態に晒されるというわけではありません(実際餓死が現代日本の中に存在するのは、収益の再配分が機能していないからであって、絶対的な「飢え」の結果ではありません)。にもかかわらず、日本国内のセーフティネット構築を放置してまでA国に対しODA(原資はいわずもがなですが我々の税金)をばら撒かせる「財界人」は、かつてのような日本財界の代表者ではなく、A国での収益を求める「社長」の集合体に過ぎなくなっている。その原因は実際に責任があるにもかかわらず、それを問われることなく「光栄な」人生を全うした先の大戦時の「指導者」(就中、官僚)にあると私は考えます。このような「指導者」は、不始末を起こしても責任は隠し通せる、自分が一生を終えても永遠に責任を問われることはない、という悪しき前例を残したため、「官尊民卑」で劣位にあった民間≒財界人がそのおこぼれにあずかれると錯覚しているのです。
あと一点あるとすれば、(1年程度のブレはあるかもですが)「大正35年」と考えると、現在の我々は時間軸で本当に厳しい転換点に差し掛かっていると認識できます。我が国は国難からスタートして一世代40年は遮二無二突き進んで国力、国民の豊かさを引き上げて来るのですが、国難を知る世代が去っていくと下り坂に入り、ある時から勾配が一気に強まって奈落の底へと転落して行きます。で、大正35年説ならば、大正19年、濱口総理、東京駅で凶弾に倒れる。大正20年、満州事変、大正21年、5.15事件、大正25年、2.26事件-
あとはカキコするまでもないでしょう。今年は平成19年です。
こんばんは、Marsさん。
実は私も「修身」など、高校の頃まで知りませんでした(汗)。
これを知ったのは、私の母方の伯父が口にしたからです。きょとんとする私に伯父が、「今の若者は修身など知らないようになったのか」と嘆息してました。
歴史や皇民化教育の否定ばかりでなく地理も停止させたところに、GHQの深謀が伺われます。
GHQの定義する「理性ある社会人」とは、自国の歴史や伝統、地理も知らず、欧米や特アに言われるまま何事も従う日本人なのでしょう。まさにその通りの日本人を育て上げましたね。
このような「理性ある社会人」は、外交官ばかりでなく一流大学教授にも少なくありません。
日本が大嫌いで、批判しかできない者の憂いは、日本国民が「真実」を知り、自分たちの存在が脅かされることでしょう。
残念なことに日本を憂う者がまだ少ないですね。