トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展

2016-05-20 21:10:04 | 展示会鑑賞

 宮城県美術館の特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」」展を、先日見てきた。今回の特別展名を聞き、ついにダ・ヴィンチの手による代表作が東北の地方都市でも見られるのか、早合点したあわて者もいたのかもしれない。しかし、目玉の絵画「アンギアーリの戦い」は模写であり、その作者も不詳なのだ。美術館のチラシ裏には次の解説がされていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチの未完の大壁画計画《アンギアーリの戦い》は、今も多くの謎と痕跡を残しています。同壁画はイタリア・ルネサンス美術の歴史の中でも、最も野心的な装飾計画のひとつです。シニョリーア宮殿(現ヴェッキオ宮殿)を舞台にレオナルドとミケランジェロが戦闘画において競演したエピソードは大変有名ですが、その計画の全貌はいまだ明らかにされていません。

 本展のメイン作品は、失われたレオナルドの壁画の中心部分をなす強烈な「軍旗争奪」の戦闘場面を描いた、日本初公開の《タヴォラ・ドーリア(ドーリア家の板絵)》として知られる著名な16世紀の油彩画です。本展ではさらにミケランジェロが構想した壁画の原寸大下絵を模写した、同じく日本初公開の16世紀の板絵《カッシナの戦い》が出品されます。原作が失われた二大巨匠の壁画が、いずれも本邦初公開の貴重な16世紀の板絵作品により500年の時を超えてならびあう、イタリア美術史上初の展示が日本で実現します。
 レオナルドの構図に基づくその他の模写作品や派生作品、関連する資料類、関連する歴史的人物の肖像画など「アンギアーリの戦い」に関する作品・資料が一堂に集結する世界でも初めての企画展。レオナルドが試みた視覚の革命を検証し、イタリア美術史上の一大エピソードである失われた壁画の謎と魅力に迫ります。

 展示されていた《カッシナの戦い》も、ミケランジェロの下絵の模写に過ぎず、特別展ではミケランジェロ自身の作品は一点もない。どうりで特別展名が「レオナルド・ダ・ヴィンチ「アンギアーリの戦い」」ではなく、「レオナルド・ダ・ヴィンチ「アンギアーリの戦い」」という訳だ。
 さらにダ・ヴィンチの傑作「レダと白鳥」(展示№55)、「聖アンナと聖母子」(№56)も作者不詳の模写だった!後者の写真はチラシ裏に載っていたが、下に小さな文字で“作者不詳”と説明がある。

 たとえ作者不詳の模写でも、素晴らしい絵画なのは素人目にも分かろう。会場の説明にも、1440年に起きたアンギアーリの戦いを描いた作品とあり、南進してきたミラノ公国フィレンツェ共和国が勝利した戦いである。会場には当時のイタリアの地図も展示されていたが、意外だったのは古戦場となったアンギアーリは、フィレンツェ共和国やミラノ公国の領地ではなかったこと。
 この絵で最も印象的なのは赤い帽子を被り、剣を振り上げて威嚇する戦士の姿。その左隣にいる戦士の不敵な面構えもよい。実に表情豊かだが、解説がなければ2人は勝利したフィレンツェ共和国の戦士と思ったかもしれない。しかし、実際はミラノ公国側の人物であり、赤帽の男は当時最も知られた傭兵隊長、左隣はその息子とか。

 この“ドーリア家の板絵”を見た年配の来場者は、「実際に見ていないのに、よく描けるね」と漏らしていた。ダ・ヴィンチがフィレンツェ共和国から依頼を受けたのが1504年、テーマは64年前の戦だった。1452年生まれのダ・ヴィンチが、アンギアーリの戦いを目撃出来るはずはないが、見ていない場面を見て来たかのように描くのが画家である。



 特別展で私が最も見たかったのは目玉の“ドーリア家の板絵”ではなく、マキアヴェッリの肖像画。フィレンツェ共和国がアンギアーリの戦いをダ・ヴィンチに依頼する際、その契約書にサインしたのこそマキアヴェッリだった。上がそのマキアヴェッリの肖像画(展示№9)だが、見た印象は冷徹なマキアヴェリストというよりも、陽気なイタリア男だった。失意のうちに死んだマキアヴェッリだったが、生前には友人に恵まれていたというのも、肖像画から頷ける。
 但し、この画の制作年は1570年頃とされており、マキアヴェッリは1527年、とうに故人となっている。あまりにも有名なマキアヴェッリの肖像画でも、これまた実際に見ずに描かれていたのだ。

君主論』で、理想的な君主像のモデルとされたチェーザレ・ボルジアの肖像画も展示されていた(№8)。チェーザレの横顔を描いた作品だが、出来は平凡だったし、気迫や美も感じられない一貴族の肖像画にしか見えなかった。この肖像画も1568年以前制作とされ、チェーザレの死から約60年が経っている。

 模写やレプリカが多い特別展だったが、ダ・ヴィンチによる本物の手稿も展示されていた。細かい字でぴっちり書かれた手稿だったが、当時は紙が高価だったためか?女性の解剖図もあり、さすが万能の天才と謳われただけある。
 ダ・ヴィンチの手稿に基づいて作られた機械のモデルも多く展示されており、計算機まであったのは驚いたが、そのサイズのデカいこと。これなら地面に直接書いて計算した方が早いと思ったが、初期のコンピュータもとかく場所を取るほど大きかった。今のスマホからはとても考えられないが。



 特別展の中心が作者不詳の模写だったにせよ、見応えのある作品ぞろいだった。モナ・リザの複製画まであったのは笑えたが、微笑む人物を描いたもうひとつの傑作「洗礼者聖ヨハネ」のそれはなかった。上がその作品だが、モナ・リザに比べ、日本ではあまり有名ではない。
 この絵はダ・ヴィンチの弟子ジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ)がモデルと言われ、絵に描かれたような巻き毛の美男だった。容貌は美しくとも不品行な人物であり、ダ・ヴィンチ自身もサライを盗人、嘘吐き、強情と言っていた。にも拘らず、ダ・ヴィンチは彼を寵愛し続け、常に側に置いていたという。万能の天才もお気に入りの弟子には、凡人並みに甘かったのだ。

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る