河北新報の付録「ひまわりクラブ」に『民話散策』というコラムがあり、執筆している佐佐木邦子さんによれば、日本の民話には年越しを扱ったものが多いそうだ。『傘地蔵』もそのひとつだが、その背景にある恐るべき実態が初めて分った。
『傘地蔵』のあらましは正月準備も出来ない貧しい老夫婦の物語。お爺さんは菅傘を作り町に売りに行く。だが、正月を控え菅傘など誰も買いもしない。お爺さんがしょんぼり帰る途中、道端のお地蔵様が雪を被っていたのを見る。お地蔵様は6体だが、持っていた傘は5個。お爺さんは売れなかった傘をお地蔵様に被せ、足りない一つは自分のそれをのせ、家に戻る。その夜、傘を貰ったお地蔵様が米や餅を運んできて、お爺さんとお婆さんはよい正月を迎えたという結末。
私は小学校の頃、『傘地蔵』を聞き、いいお話だと思った。しかし、佐佐木さんのこの民話にある背景の解説に愕然とさせられた。以下は佐佐木さんのコラムからの抜粋。
-凄まじい、と思う。きれいなメルヘンを感じさせながら、とんでもなく残酷なことをさらりと言っている。少し昔、1年で1番御馳走を食べるのは年越しの晩だった。お正月は長い冬篭りの季節だから、その前日まで様々な食糧を集め、「これだけ用意できました」と神様にお礼を言う。新しい着物も冬中の薪も皆用意する。年越しの晩は腹いっぱいご馳走を食べ、冬篭りの間は神棚に備えたものを少しずつ降ろして春まで食いつなぐ。
年越しの晩に神様にあげるものがないというのは、冬篭りの食糧がないということだ。唯一売れそうだった傘も売れず、すごすご戻ってくるお爺さんは餓死を目前にしている。
そんなお爺さんが道端のお地蔵様に目を止めた。お地蔵様にすがり付いて手で必死に雪を払うお爺さんは、どうにかして生き延びたいという思いと、それが出来ないのなら、せめて死んだ後は安らかでありたいという祈りの塊だ。
このお地蔵様は、死んだ子供ではないかと言った人がいる。そうかもしれない。乳幼児が育ちにくい時代だった。このお爺さんとお婆さんは2人きりで暮らしている。生まれた子供が全部死んで、年とっても養ってくれる者がない。死んだ子への愛しさと哀れさが、現代の貧しさに連なる。
年越しを扱った民話が多いのは、冬篭り期間の食糧確保が死活問題だったからだ。ぎりぎりのところで暮らす、ぎりぎりの願いを、今は誰が受け止めてくれるのだろう。
これには衝撃だった。私自身飢えた経験がないため、戦後暫らく経ても、貧しくて年越しもろくに食べられない人々がいたのは当り前だったということを、完全に失念していた。昨年7月にも記事にしたが、佐佐木さんは食をめぐり殺害に及ぶホトトギス兄弟の民話を紹介されていた。お菓子の家で日本でも有名なヘンゼルとグレーテルの童話も、実は口減らしのため親により森に捨てられた兄妹の話だ。実際は捨てられた子供たちは森で餓死しただろうが、せめてお話の中では幸福な結末に変えたと言われる。
飽食と言われる現代の日本は、年末年始以外にもご馳走を頂くのが当り前となった。だが、これはいつまでも続くとは限らない。無事、年越しを過ごせるだけで感謝しなくてはならないと思う。
◆関連記事:「こんにゃく幽霊-食い物の恨み」
よろしかったら、クリックお願いします
『傘地蔵』のあらましは正月準備も出来ない貧しい老夫婦の物語。お爺さんは菅傘を作り町に売りに行く。だが、正月を控え菅傘など誰も買いもしない。お爺さんがしょんぼり帰る途中、道端のお地蔵様が雪を被っていたのを見る。お地蔵様は6体だが、持っていた傘は5個。お爺さんは売れなかった傘をお地蔵様に被せ、足りない一つは自分のそれをのせ、家に戻る。その夜、傘を貰ったお地蔵様が米や餅を運んできて、お爺さんとお婆さんはよい正月を迎えたという結末。
私は小学校の頃、『傘地蔵』を聞き、いいお話だと思った。しかし、佐佐木さんのこの民話にある背景の解説に愕然とさせられた。以下は佐佐木さんのコラムからの抜粋。
-凄まじい、と思う。きれいなメルヘンを感じさせながら、とんでもなく残酷なことをさらりと言っている。少し昔、1年で1番御馳走を食べるのは年越しの晩だった。お正月は長い冬篭りの季節だから、その前日まで様々な食糧を集め、「これだけ用意できました」と神様にお礼を言う。新しい着物も冬中の薪も皆用意する。年越しの晩は腹いっぱいご馳走を食べ、冬篭りの間は神棚に備えたものを少しずつ降ろして春まで食いつなぐ。
年越しの晩に神様にあげるものがないというのは、冬篭りの食糧がないということだ。唯一売れそうだった傘も売れず、すごすご戻ってくるお爺さんは餓死を目前にしている。
そんなお爺さんが道端のお地蔵様に目を止めた。お地蔵様にすがり付いて手で必死に雪を払うお爺さんは、どうにかして生き延びたいという思いと、それが出来ないのなら、せめて死んだ後は安らかでありたいという祈りの塊だ。
このお地蔵様は、死んだ子供ではないかと言った人がいる。そうかもしれない。乳幼児が育ちにくい時代だった。このお爺さんとお婆さんは2人きりで暮らしている。生まれた子供が全部死んで、年とっても養ってくれる者がない。死んだ子への愛しさと哀れさが、現代の貧しさに連なる。
年越しを扱った民話が多いのは、冬篭り期間の食糧確保が死活問題だったからだ。ぎりぎりのところで暮らす、ぎりぎりの願いを、今は誰が受け止めてくれるのだろう。
これには衝撃だった。私自身飢えた経験がないため、戦後暫らく経ても、貧しくて年越しもろくに食べられない人々がいたのは当り前だったということを、完全に失念していた。昨年7月にも記事にしたが、佐佐木さんは食をめぐり殺害に及ぶホトトギス兄弟の民話を紹介されていた。お菓子の家で日本でも有名なヘンゼルとグレーテルの童話も、実は口減らしのため親により森に捨てられた兄妹の話だ。実際は捨てられた子供たちは森で餓死しただろうが、せめてお話の中では幸福な結末に変えたと言われる。
飽食と言われる現代の日本は、年末年始以外にもご馳走を頂くのが当り前となった。だが、これはいつまでも続くとは限らない。無事、年越しを過ごせるだけで感謝しなくてはならないと思う。
◆関連記事:「こんにゃく幽霊-食い物の恨み」
よろしかったら、クリックお願いします


>飽食と言われる現代の日本は、年末年始以外にもご馳走を頂くのが当り前となった。だが、これはいつまでも続くとは限らない。無事、年越しを過ごせるだけで感謝しなくてはならないと思う。
なぜか日本のマスゴミは話題にしませんが、こんな恐ろしい事態になっているようです↓
http://www.forth.go.jp/cgi-bin/promed/search.cgi?title_link=20070416-0010&button_detail=on
日本の主食はコメですが、世界全体で見れば圧倒的に小麦。それが伝染病に犯されて収穫できなくなったら……、考えるのも恐ろしい。
今年、マスゴミは食品偽装タタキに狂奔しましたが、賞味期限が多少ずれたくらいで我々は食中毒になったりしません。それよりも、わが国の食糧自給率がついに40%を切ったことの方が重大問題です。
実は世界の穀倉地帯といわれている殆どの地域が、再生不能な地下水を水源として穀物生産をしている。石油と同じで取りすぎになりやすい地下水は、枯渇したらそれで終わり。アメリカもオーストラリアもアラル海を日干しにした旧ソ連と同じことをやってます。これでは以前のような穀物の収穫を見込めない。
その時、穀物を輸入に依存している日本はどうなるのか? 我々は少し頭を冷やして考えるべきだ。西の大陸の国は、毒入り食材を平然と今でも売りつけているのだから。
小麦さび病という言葉自体初耳ですが、世界に感染拡大とは恐ろしいことです。
日本国内の小麦の自給率など10%そこそこであり、小麦の世界的不作となれば、完全にお手上げ状態。
今のところ米は自給できますが、米どころの東北でも米の価格が下がり続け、後継者不足もあり放置されている農地も出てきました。
私はマスゴミによる食品偽装バッシングは、日本の食品も危ないと信用を失墜させ、外国産食品へのアレルギーを取り除くためのキャンペーンの一環では?と疑っています。もちろん偽装は法律違反ですが、まだ食べられる食品を捨てるのこそ、もったいない。そして、メディアは同じ外国産でも西の大陸の国の偽装は記事の扱いが小さめ。かなり怪しさが感じられます。
昭和一桁生れの私の母は、「世の中には食べたくても食べられない人が大勢いる。食べられるだけで有難く思え」と言っていました。今の飽食は異常です。
バブルの頃、TV番組でエコノミスト、大前研一氏は「百姓はオーストラリアに行って農業をすればよい」と発言していたのを憶えていますが、私はこの一言で大前氏を信用しなくなりました。