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十字軍物語1 そのⅢ

2011-01-08 20:44:26 | 読書/欧米史
そのⅠそのⅡの続き
 これまで十字軍と言えば、食い詰め者やゴロツキ同然の騎士が豊かな東方に亘り、悪逆非道を行ったというイメージが流布していたが、実際は民衆も多く参加しており、民衆十字軍もあった。率いたのこそ隠者ピエールと呼ばれる司祭だったが、彼の呼びかけに多くの貧民が加わっている。イスラム側の記録にも「美しく高慢な女たち」(娼婦を指す)もやってきて、キリスト教の騎士たちを堕落させたことが見える。
 この民衆十字軍の総勢だが、『十字軍物語』には「ヨーロッパを発った時点では十万人であったのがアジアに入る時には五万人になっていたとしても…」とあり、数に誇張があったとしても凄まじい。十字軍の提唱者ウルバヌス2世は、「十字軍に参加したい者はまず、その者が属す教区の司祭に申し出、その許可を得た後で十字架に誓い、その後初めて出発することが出来る」と注意していたが、民衆十字軍の発生は計算違いだったようだ。

 西欧に救援を要請したビザンツ帝国皇帝アレクシオス1世は、騎士のようなプロの傭兵を期待していたが、西欧の民衆が大挙して押しかけるとは予想外だったらしい。民衆は西欧からハンガリーを横切り、バルカンを南下してビザンツに入る。武器もろくに持たず、ボロをまとった群衆が万単位で来たのだから、皇帝以下帝国住民も驚愕したのは書くまでもない。
 武器も食料も満足にない民衆十字軍は、ビザンツに入る前から方々で略奪や殺人も行い、特にユダヤ人居住地区は標的とされた。食料の配給が得られぬ場合、キリスト教徒の農家や市場を略奪するのもためらわず、バルカンでは町を占領し略奪・放火もしている。

 十字軍の蛮行は西欧、中東ともに様々記録されており、聖地エルサレム“解放”時以前に、アンティオキア(現シリア)陥落後の虐殺も知られている。この大都市にはムスリムだけでなくキリスト教徒も住んでおり、後者には十字軍に協力する者がいたにも関わらず、陥落後はムスリム諸共虐殺された。15世紀末の西欧の細密画「アンティオキアの虐殺」の部分絵を見たことがあり、犠牲者が白皙金髪で描かれているのはご愛嬌だが、血まみれの女子供が裸で横たわっている。
 住民は殺されずとも、奴隷として売り払われた。このような場合、現れるのは中東でもユダヤ人だったという。そのために中東のイスラム、キリスト教徒双方から重宝されていたそうだが、アブラハムの時代からユダヤ人は奴隷商人として辣腕を振るっていたのだ。

 いささか十字軍に関心がある人なら、マアッラ(現シリア)における人肉食事件(1098年)は知っているだろう。十字軍の蛮行でも特に悪名高く、ムスリムにとってこれは「フランク」(西欧人をムスリムは当時そう呼んだ)の残虐性を象徴する事件となった。マアッラ攻囲戦は11月末頃行われたため、冬も近く十字軍側には食糧が決定的に不足しており、さほど豊かな町でなかったので略奪も期待できない。降伏すれば安全を保障する、との十字軍の司令官の約束を信じたマアッラ市民は、降伏後裏切られることになる。この町に住む男たちは全て虐殺され、女子供も皆奴隷に売り払われた。

 住民の絶えたマアッラにも守備兵は置かれた。残された兵士たちは極度の飢餓に苦しみ、殺したムスリム市民の遺体を食べ始めた。彼らは司令官レーモン・ド・サンジルの隊の兵士であり、さすがに諸侯たちはサンジルを非難した。これに対しサンジルがやったのは、兵士を極刑にしたのではなく、証拠隠滅とばかりにマアッラの町全体に火を放ち焼き尽くすことだった。この出来事を塩野七生氏は次のように書く。

だがこの一件が、イスラム側に、キリスト教徒イコール食人種、という噂を広めることになる。イスラム側の史料によれば、人喰い事件が起こったのはこの町が陥落した時となっており、喰われた人間もこの町の住民全てという感じだが、マラト・アヌマン(マアッラ)の町が陥落したのは前年の12月12日で、この事件の一か月前のことなのだ。また、この惨事を唱った詩では住民十万人となっているのも、現代のイスラム側の研究では、1万人前後であったと定められている。惨劇というものは常に誇張されて伝えられるという、これも一例なのであった…(160頁)

 wikiのマアッラの解説には、十字軍によるマアッラ攻囲戦時で住民は2万人ほどとあり、西欧側の記録『ゲスタ・タンクレディ』(Gesta Tancredi) からの引用が紹介されている。「マアッラでわが軍勢は異教徒の大人らを生きたまま鍋に入れて茹でた。彼らは子供らを焼き串に刺して火にあぶり貪り食った」。
 wikiもしばしば誤りがあり、完璧に程遠いが、果たしてどちらが正しいのだろう?新大陸でも西欧人は原住民を食べており、彼ら自身もそれを記録している。飢えれば人種を問わず人肉を口にするが、この事件も誇張された惨劇のひとつかもしれない。
そのⅣに続く

◆関連記事:「アラブが見た十字軍-アミン・アマルーフ著
 「暗黒の医療-十字軍時代の西欧人

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9 コメント

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奴隷商人 (スポンジ頭)
2011-01-10 17:25:46
 某掲示板でも書いたのですが、ユダヤ人が奴隷商人でもあると言う話は、当時奴隷売買が合法であると理解していても、ユダヤ人が弱者というイメージと食い違うな、と思ったものです。教科書だとキリスト教徒が嫌う高利貸しか職業がなかったと書かれますが、奴隷売買の話は見たことがないです。ただ、大航海時代以降の黒人奴隷の売買はキリスト教徒がメインでしょうか?
 アラビアンナイトだと、奴隷商人はペルシャ人やアラブ人でユダヤ人は出てこなかったのですが、なにか社会構造的に奴隷商人にならない理由でもあったのでしょうか。 
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RE:奴隷商人 (mugi)
2011-01-10 21:32:56
>スポンジ頭さん、

 19世紀までは全世界で奴隷は当たり前だったし、奴隷商人自体は蔑まれても必要な存在だったのでしょう。仰る通り教科書にはユダヤ人の職業は高利貸しとしか書かれていませんよね。考えてみればこれは不思議です。大航海時代以降の黒人奴隷の売買となれば、キリスト教徒も関わってきており、中心となったのかは不明ですが。

 そういえば、アラビアンナイトで奴隷商人のユダヤ人は登場しませんでしたね。塩野氏の著書で十字軍の際に、ユダヤ人がどこからともなく現れたとあったので、やはり奴隷商人をしていたのか…と思いました。ムスリムは奴隷として売買してはいけないことになっており、そうなると異教徒が活躍する面もあった?
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アラビアンナイトの奴隷 (スポンジ頭)
2011-01-11 21:44:15
 アラビアンナイトで奴隷商人が売る奴隷は基本的にイスラム教徒に見えますね。ペルシャ人の奴隷商人が美しい女奴隷を大臣のところに連れてくるのですが、特に彼女の宗教について言われませんでしたし、他にも女奴隷が出てきますが、キリスト教の奴隷は一人だけ、それも途中で改宗してしまいました。
 ペルシャ人が連れてきた女奴隷はその商人が高い教育を授けたという設定でしたが、高等教育を施して売る、もしくは売られると言う心境がちょっと理解出来ません。奴隷を教育して長く召使うと言うならそれ相応の訓練として分かるのですが。
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RE:アラビアンナイトの奴隷 (mugi)
2011-01-12 21:22:33
>スポンジ頭さん、

 仰る通り、アラビアンナイトに登場する奴隷商人が扱う奴隷たちは、確かに非ムスリムには見えませんよね。『イスラーム世界の二千年』で著者のバーナード・ルイスはイスラム時代の奴隷制を次のように述べています。

-大規模な広域奴隷売買は主としてイスラム時代に発達したもので、それがイスラム法の人道的な面に負うところが大なのは歴史の悲しい皮肉である。イスラムの基本事項によれば、ムスリムであれ他の公認の宗教(ユダヤ、キリスト教)の信者であれ、武装した叛徒以外、ムスリム国家で自由の身で生まれた臣民は誰でも借金や犯罪を理由に奴隷にすることは出来なかった…

 ただ、これもアラビアンナイトから、実際は建前だったことも考えられますね。確かにアラビアンナイトに登場する女奴隷は、奴隷の言葉とは裏腹に強気なタイプが多いような。記憶があいまいですが、若く美しい女奴隷が買おうとする男を逆に値踏みしていた話があったのを憶えています。男たちが女に気に入られようと、ご機嫌を取っている。
 奴隷に高等教育を施して売るというのも、王侯貴族のための後宮女官養成が目的だったのかもしれません。不適切なたとえかもしれませんが、花魁も教養を身に付けていたし、単にSex Slaveだけではなかったから。
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機転の利く女奴隷 (アラビアンナイトの奴隷)
2011-01-14 20:59:48
>若く美しい女奴隷が買おうとする男を逆に値踏みしていた話
 ありました。自分が気に入る美青年に当たるまで奴隷商人の言う事を聞かず、その青年に買われると高級な織物を織って金持ちにしてくれる話でした。そして悪人の手に陥ったりして青年と離ればなれになると、知恵と機転で危機を逃れ、最後は自分と別れて困っている青年と再会してハッピーエンド。この手の話だと青年がどちらかというと気弱で女性の方が気が強く、聡明だったと思います。他にも女奴隷が機転を利かせて主人を悪者や危険から救う話がありますね。貧乏になった主人を救うため、学者と賭けをして知識を競い、賭けに勝つ女奴隷や、アリババと四十人の盗賊でアリババの家の女奴隷、マルジャーナが盗賊集団を返り討ちにする話ですね。男の奴隷が主人を救う話はなかったような気がします。何故?

 >奴隷に高等教育
 モンテクリスト伯でも、トルコに反乱を起こしたパシャの娘が奴隷に売られ、アルメニア人に買われて教育された後、再び奴隷市場に出ている所をモンテクリスト伯が買う話があります。これは小説ですが、1830年代でも(日本は天保時代)アラビアンナイトのような話があるのが奇妙な感じもします。もっとも、西太后の死去や宦官の廃止も20世紀になってからですので、現代人から見たら中世に見える話も、意外に近い時代に発生してますね。
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Unknown (スポンジ頭)
2011-01-14 21:00:45
すいません。上の書き込みは私です。
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RE:機転の利く女奴隷 (mugi)
2011-01-14 21:56:02
>スポンジ頭さん、

 アリババと四十人の盗賊のヒロイン、マルジャーナはあまりにも有名だし、ある女性ブロガーさんは、この女奴隷を「女軍師のようだ」と書いていました。知恵と機転で盗賊を倒し、むしろアリババの影は薄い。これでは息子の嫁にしたくなるのも当然でしょう。彼女に限らずアラビアンナイトの女奴隷は、行動的なタイプが多い。
 対照的に男の奴隷はあまり印象的な人物がいなかったような…仰るように主人を救う男の奴隷は、果たして登場したでしょうか?女奴隷が活躍する物語の方がやはり面白いですよね。

 モンテクリスト伯に奴隷に売られたパシャの娘が登場するとは知りませんでした。どちらかといえば、西欧の姫が奴隷としてパシャに売られるケースが多いように感じられるのですが…1830年代までは全世界で奴隷制は当たり前だったから、アラビアンナイトのように女奴隷が登場する話は普通だったのでしょうね。
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アリ・テブラン (スポンジ頭)
2011-01-15 18:40:06
 モンテクリスト伯に登場する、奴隷身分に身を落としたパシャの娘の話ですが、この人がそのパシャです。まさか、実在の人とは思いませんでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%9A%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%A3
 この娘はキリスト教徒の母親を持ち、自分もキリスト教徒として育ちます。結局、アルメニア人が購入した後、トルコの後宮に転売されていました(前のは記憶違い)。ギリシャ系のキャラクターです。
 ギリシャ独立戦争が一部この娘の話に絡むのですが、この小説が発売された当時のフランス人にとっては、ほぼ現代の事件を絡めて身近に読める小説だったようです。
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RE:アリ・テブラン (mugi)
2011-01-16 21:10:45
>スポンジ頭さん、

 アリ・テブランことテペデレンリ・アリー・パシャが、モンテクリスト伯に登場していたとは知りませんでした。アリー・パシャの豪勢な暮らしは同時代の欧州でも知られ、「ヤニナの獅子」「ヤニナのダイヤモンド」の異名で呼ばれたそうです。増長したアリーを始末したため、それまで彼に抑え込まれていたギリシアの民族運動が勢いづいたのは、オスマン帝国にとって皮肉な結果になりました。
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