何年も前からNHKの看板番組である大河ドラマは見ていないが、かつては毎週日曜日に欠かさず見ていた。小学生の頃に夢中になって見たのは『国盗り物語』。6月21日の「麒麟がくるまでお待ちください 戦国大河ドラマ名場面スペシャル」は『国盗り物語』を取り上げており、以下は番組サイトでの紹介。
―明智光秀、斎藤道三、織田信長など「麒麟(きりん)がくる」で中心をなす武将達がこぞって登場する「国盗り物語」。1973年に放送した司馬遼太郎原作の作品だ。注目は希代の女ったらしとして描かれた“美濃のまむし”こと斎藤道三の成り上がり人生。信長と光秀との緊迫したやりとり、そして本能寺の変だ。
名場面の数々を紹介するとともに信長を演じた高橋英樹、光秀を演じた近藤正臣、深芳野役の三田佳子が当時の秘話を語る。
「「麒麟がくる」の代役「国盗り物語」を懐かしむ声「これぞ大河の中の大河という華がある」...」(J-CAST)というニュースサイトにはより詳しい紹介があり、ネットでも多くの意見が寄せられていたらしい。オープニングのメインテーマ曲が素晴らしいという声には禿同と言いたいが、中西龍のナレータも見事だった。これぞ時代劇!という重厚な声だし、今のNHKにこのような声質のアナはいないだろう。
紹介された名場面を憶えている視聴者も多かったはず。若き日の斎藤道三が深芳野を得ようとして、絵の中の虎の眼を槍で突くシーンは、本当に格好良かった。尤も子供だったためか、絵の虎を突くことになった要因はすっかり忘れていたが、主君の愛妾を盗るため…というのは面白い。オトナにならないと意味は分からないかもしれないが。
本能寺の変で白装束の信長が奮戦するシーンも忘れ難い。私的には大河ドラマの中では高橋の信長を超える役者はないと思っている。森蘭丸役の中島久之はイケメンでも男らしい風貌で、線の細い女顔のジャニーズ系アイドルが持てはやされる現代とはかなり違う。
そして印象的なのは正室・濃姫の最後。薙刀で戦い、絶命するのは創作であり、実際は彼女の死没が何時なのかも不明という。それでも子供時代は史実と思っていたし、番組では紹介されなかったが、濃姫の亡骸を見た光秀の「手厚く葬れ!」のシーンは今でも憶えている。
ドラマでの比叡山焼き討ちは、まるで憶えていない。現代でもこれを以って信長を非難する者は少なくないが、迷信深かったあの時代、よく実行できたものだと驚嘆させられる。番組では武士にすがって命乞いする僧侶が登場したが、本当に情けない。いかに破戒僧の巣窟になっていたにせよ、「心頭滅却すれば火もまた涼し」の気骨のある僧はいなかったのか?
数多い登場人物の中では光秀が人気があったようだ。私の一つ年上の従姉もドラマのファンで、近藤正臣の光秀がお気に入りだった。今はすっかり老けたが、当時の近藤はなかなか二枚目でカッコよかった。
しかし、私はさして好きになれなかった。かといって信長がイイのではなく、私が一番好きだったのは林隆三扮する雑賀孫一。野心むき出しで国盗りに狂奔する主人公たちよりも、自由闊達な生き方をする雑賀孫一の方が好ましかった。当然今回の放送では出番がなかったのは残念。
国盗り物語の制作は1973年。当時はこれだけ質の高い時代劇が作られていたのだ。撮影技術は格段に進化しているはずの現代だが、国盗り物語を見た世代からすれば、今の麒麟など見るに堪えないと感じている視聴者は少なくないのかもしれない。演出、脚本、役者が劣化している現状では、見ごたえのある時代劇は望めそうもない。
個人的な感想ですが、麒麟は結構盛り返している感があり、戦国時代を舞台にした近頃の大河ドラマでは面白い口だと思います。そう感じる理由としては、その時代を扱った大河ドラマの水準が近年ひどすぎたのもあります。出演俳優が気の毒に思えるレベルの脚本、俳優の技量でその出演場面だけまともになっている作品がありましたから。脚本家が現代と感性の違う時代を尊重する気持ちを持たずに書いているのは困ります。
国盗り物語は見たことがないのですが、通して見ようと思ってもマスターテープが上書きされて作品が現存していないのですね。半官半民の放送局でもテープの使い回しをする時代だったとは驚きです。
優れた作品は史実からかけ離れていてもドラマの通りの人物だったと印象付けられるもので、伊達政宗は独眼竜政宗の渡辺謙のイメージで固まっていて、それ以外の俳優が演じていても違和感がありますね。私は関西人の端くれとして家康が嫌いなのですが、それを決定づけたのはTBSが制作した「関ヶ原」がきっかけです。私が子供の頃父が見ていて、偶然画面を目にして途中から見ました。見終わったら家康が大嫌いになっていました(笑)。
無論、当時の社会通念や、その後の歴史研究の進歩で家康の事情や関ヶ原の戦いに関してもドラマの通りでなかったのは分かりますが、それでも感情に刷り込まれた印象は残っています。ある意味洗脳ですね。このドラマを見ていなければ、家康嫌いはそこまでなかったと思ってます。
近年の大河ドラマをかなり非難しても、今回の麒麟は褒めていた歴史ブロガーさんもいます。ただ、NHKの宣伝があまりにもうるさいのは興ざめだし、何かと麒麟と絡めて宣伝するので見る気が失せるのです。昭和時代ならこれほどまでの宣伝はなかったですよ。
国盗り物語当時はマスターテープがまだ高価だったにせよ、上書きされたため作品が現存していないのはとても残念です。この頃は質の良い時代劇が作られていたのに、現存しているのは民間人の八ミリフィルムというのは哀しい。
渡辺謙も政宗が当たり役になってしまい、大河ドラマで他の役をやっても政宗の延長にしか見えません。当たり役に恵まれると、役者にとってよいことばかりではないかも。
>>私は関西人の端くれとして家康が嫌いなのですが、
おおむね関西人は家康が嫌いと聞いたことはありますが、やはり本当でしたか!東北では家康は好かれてはいなくとも、特に嫌われてはいません。むしろ秀吉の方が人気がなく、奥州仕置が響いている?
TBSが制作した「関ヶ原」とは、家康役が森繁久彌でしたよね?私は三成役の加藤剛のファンでしたが、家康は特に悪印象はありませんでした。ドラマを見ながら、三成ってこんなにカッコ良かったの?と思いました(笑)。
NHKに限らずですが、近頃の番宣は露骨ですね。視聴率=広告費の関係もあるのでしょうが、視聴者にはっきり分かるのは興ざめです。
渡辺謙に関しては政宗の印象が強すぎて一時低迷していたイメージがありますが、昔テレビで放映していた「壬生義士伝」だと、政宗の印象はありませんでした。
>むしろ秀吉の方が人気がなく、奥州仕置が響いている?
そうですか。場所により人物に対する見方は異なりますから。近頃の秀吉は陰惨な面が知られるようになり、「真田丸」でも「結局豊臣家を自滅させた原因」と言う描かれ方でした。しかし、やはり、出世して日本を支配したイメージもまだ根強いです。個人的には、静岡などに建立されている家康の銅像写真を見ると違和感があります。
> TBSが制作した「関ヶ原」とは、家康役が森繁久彌でしたよね?
そうです。私は子供向けの偉人伝などで、家康は最終的に日本の統治者になった偉い人、と言う程度の知識はありました。しかし、このドラマを見て「こんな悪い奴やったんか」状態です(笑)。逆にそれまで単に「関ケ原で負けて殺された人」と言う三成のイメージが、このドラマをベースにしたものに上書きされてしまいました。あまり印象がないところへ名作ドラマが入り込んだのです。
しかし、今のTBSにこのレベルのドラマができるかどうか疑問です。
視聴率=広告費が重要な民放ならともかく、国営放送が毎回「見てね」ではゲンナリさせられますよね。しかもニュース以外にも韓国に絡んだ情報を入れてくるから不愉快です。
渡辺謙は「壬生義士伝」に出ていましたか。このドラマも未見ですが、米映画『ラスト・サムライ』は政宗の印象が強かったし、時期も影響していたかもしれません。
庶民から太閤にまで上り詰めたほどだから、秀吉が英雄なのは理解できます。晩年は殆ど別人格となっていますが、彼が奥州仕置を行ったため、家康も天下統一を確立できたのです。もし秀吉が奥州仕置をしなかったら、家康がやっていたはず。
「関ヶ原」を見た時は子供ではなかったので、家康=狸オヤジと既に知っており、そのためドラマを見ても「こんな悪い奴」とは思いませんでした。豊臣家を滅ぼしたやり方は実に卑劣だし、まさに狸オヤジに相応しい。それでもこれで乱世は終わり、江戸時代の平和を築いた功績は大いに評価されるものだと思います。
仰る通りTBSに限らず、今の民放であのレベルのドラマが制作できるとは思えません。結局資金に困らないNHKが時代劇をやれるのです。
TBSの看板番組だった水戸黄門はマンネリ化が進み過ぎで放映されなくなりましたが、以前TS○TAYAで水戸黄門の第一部を借りて見たことがあります。内容も迫力も段違いでした。印籠で解決するパターンはまだ存在せず、事件発生がない回もあるのですが、一番異なるのはバッドエンドになる話がある事でした。そのバッドエンドの話に加藤剛が出演していて、誠実さ故に物事が悪い方に動いて悲劇的な結末を迎えます。黄門一行も不幸な行き違いで悪人に殆ど騙されて利用されかけます。
水戸黄門で加藤剛が出る話はこれ以外に記憶がないのですが、これ以降の水戸黄門と加藤剛が得意とする役柄が合わないからでしょうか。
全話見てはいませんが、一番良かったのは田中邦衛が強盗殺人犯として登場する回で、光圀の身分も役立たない中、悪人と対決する筋立ては凝っていました。放映する番組がなければこちらを放映して欲しいのですが、無理ですかねえ。
水戸黄門の第一部は未見ですが、印籠で解決するパターンはなくバッドエンドになる話があり、加藤剛が出演していたことは初めて知りました。しかも誠実さ故に悲劇的な結末を迎える話があったとは、ワンパターン化した水戸黄門では考えられないですよね。加藤剛の大岡越前もTBSの看板番組でしたが、これにもバッドエンドの話があったのでしょうか?
田中邦衛が強盗殺人犯として登場する回も面白そうですね。水戸黄門の第一部を見たくなりましたが、こちらのTS○TAYAには置いてあるのやら。このような回は是非ТV放送してほしいものですが、何故しないのでしょうねぇ。昔の番組だと放送禁止用語があるため?
大体、助さん格さんが悪人を殺すのはともかく、光国まで人を刺し殺すのですから驚きです。史実に則っていますが、今の水戸黄門ではあり得ない内容です。
水戸黄門の身分も悪人たちには通用しない事が多く、「田舎爺として殺せば万事安泰」と言う思考で悪人たちは襲いかかってきます。悪人として実にまともな思考です(笑)。政略結婚に悩む姫君を諭す回に悪人は登場しません。
>しかも誠実さ故に悲劇的な結末を迎える話があったとは、ワンパターン化した水戸黄門では考えられないですよね。
光圀でさえ無力、と言う話ですから。この「光圀でさえ無力」と言う話は他にもあり、実に後味が悪かったです。
>加藤剛の大岡越前もTBSの看板番組でしたが、これにもバッドエンドの話があったのでしょうか?
それは分かりません。ただ、あまり酷い話は記憶にありません。放送禁止用語なら、ユー○ューブに大岡越前の第一作が一部流れており、白○狂人と言う言葉が連発されていました。あれを地上波では放映できないでしょう。
第一部の第一話、つまり番組のスタートは光圀が政治絡みで人を殺す話でしたか!佐藤慶が出演というだけで凄みがありそうですが、好々爺のイメージの強い東野英治郎の光圀が人を刺し殺すシーンなど想像も出来ませんよね。
パターン化した水戸黄門では、たまに破れかぶれで光圀に襲いかかる悪人が登場していました。それを助さん格さんや光圀自身が防ぎますが、それでもいったんは印籠にひれ伏すのです。「田舎爺として殺せば万事安泰」という考えの悪人が登場する話はリアリティがありすぎ、娯楽時代劇に相応しくないため消えていったのでしょうか。
wikiを見たら大岡越前は1970年から始まったそうです。1970年では白○狂人と言う言葉が連発されていても問題はなかった。1972年に放送されたアニメ「海のトリトン」にも「き○がい」「め○ら」のセリフがありましたが、DVD化された時には音声カットされていました。地上波で昔のドラマの再放送が難しいのは、差別用語が使われているからでしょう。
>たまに破れかぶれで光圀に襲いかかる悪人が登場していました。
破れかぶれどころか、最初から正体を知っていて殺害を企むのです。自分の野心に利用しようとするのもいて、全体的に図太いのです。
それに、黄門一行が現れた結果、事態が逆に悪化して終わった例もあり、黄門一行は決して万能ではないのです。
>1972年に放送されたアニメ「海のトリトン」にも「き○がい」「め○ら」のセリフがありましたが、DVD化された時には音声カットされていました。
ネットでつい最近見た話によると、銀英伝の小説版も本文の書き換えや用語の注釈が入りだしているとか。30年以上前の話は引っかかるようですね。
佐藤慶はあくの強い俳優でしたね。恩知らずな家老役はぴったりですが、人を殺す黄門様の話があったことを知らない人が多いでしょう。
さらに驚いたのは、最初から正体を知っていて殺害を企む悪人がいたり、黄門一行が現れたために事態が逆に悪化して終わった例もあったこと。それが一転して勧善懲悪とハッピーエンドが定着しましたが、現代ではむしろバッドエンドのストーリーも面白いかも。
銀英伝の小説版で、文の書き換えや用語の注釈が入りだしているとは初耳です。おそらく他の小説にも起きていると思いますが、このような改ざんは、米国のポリコレのようで不愉快ですよ。現代では問題のある言葉や表現でも、注釈をつけてそのまま残してほしいものです。