トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

評論家という名の似非文化人 その⑤

2010-03-04 21:28:09 | 読書/ノンフィクション

その①その②その③その④の続き
 トマスの物語から、またも山本七平は20世紀の事柄と比較するという展開をしている。再び「聖トマスの不信【その2】なぜ日本では、聖トマスが存在しないのか?」から引用する。

北ヴェトナム軍がユエで市民を生埋めにして虐殺した、と『サンデー毎日』編集次長の徳岡氏が書いておられる。これが事実なら、それは徳岡氏の思想・信条とは関係なく事実だから、もし何らかの名目で氏を非難する者がいたら、その者の頭がおかしいといわねばなるまい。これは『百人斬り競争』でも同じだし、「増原長官」の辞任問題(増原内奏問題)の一面も同じであろう。
防衛庁長官であった増原惠吉昭和天皇への内奏において、昭和天皇から戴いたお言葉を新聞記者に漏らしたことがキッカケで天皇の政治利用と批判を浴びて辞任する羽目になった。その辞任の際、増原長官は「天皇陛下から国政に関する御発言があったという事実は一切ございません」と以前本人が新聞記者に話した内容を否定したことを指す。

あったこと」を「なかったこと」にすると、正直に「あった」といった人間を「嘘つき」にしなければならない。そこである記者の話によれば彼を「捏造大臣ということにして」「記者団に虚偽の発表をした」ということにして、辞職させたそうだが、これが事実なら、実に「二重の虚偽」である。そして「トマスの不信」を認めないと、人は必ずこの「二重の虚偽」に落ちていく…

 週刊誌の編集次長は職務上、思想・信条とは関係なく特ダネを載せるにせよ、週刊誌に誤報も珍しくない上、たとえ頭のおかしくない者でも「不都合な事実」を認めず、出鱈目呼ばわりするケースも少なくない。残念ながら“事実”が必ずしも事実とはならず、虚偽やでっち上げが“真実”となるのも人類史なのだ。イエスの復活という「なかったこと」を「あったこと」にして、率直に「なかった」といった人間を「冒涜者」扱いにした社会は、何重もの虚偽を重ねることになった。「歴史とは、合意の上に成り立つ作り話に他ならない」とナポレオンも言っている。

 山本を私に熱心に紹介した「一知半解男」氏は、そのコメントで山本の言葉を挙げていた。「私自身は、その人がどんな”思想”をもとうとその人の自由だと思うが、ただもし許されないことがあるなら、自己も信じない虚構を口にして、虚構の世界をつくりあげ、人びとにそれを強制することであると思う…
 ならば全ての宗教、殊に処刑された教祖が蘇ったというキリスト教こそが虚構の世界に成立、信者のみならず異教徒にもそれを強制しているが、信者のよしみもあり山本はこの点には当然触れない。存在しないユダヤ人という虚構を口にして、虚構の世界をつくりあげた人物でもあるが、キリスト教徒にとって異教徒への嘘は罪にもならない。

「一知半解男」氏は自らのブログ記事で「山本七平信者の一知半解男です」と自称しており、相当な山本の心酔者である。それ自体は個人の信条の自由だが、山本の間違いや読者を欺く詐術的な論理展開を示しても、決して認めない。氏の山本擁護の決まり文句はこのパターン。「勿論、山本七平にも間違いはあるでしょう。彼の主張の「前提や彼の認識」が間違っている場合だってあるわけですから。ただ、その前提や認識が間違っているからと言って、それから導き出した彼の論理そのものを即座に否定することは出来ません」
 基礎となる前提や認識が誤っていれば、その結論もまた間違いとなるのだ。捏造データに基づいて出された地球温暖化説を、否定せずそのまま根拠とする環境保護活動家の心理と同じだろう。

 スパイ小説にはスリーパー(sleeper)と呼ばれる一般市民を装う潜入スパイが登場し、隠れ蓑として本屋を営む者がいる。wikiの山本の解説には興味深い箇所がある。
-1956年、世田谷区の自宅で聖書学を専門とする出版社、山本書店株式会社を創業する。山本書店を始めた頃に帝国ホテルのロビーを原稿の校正作業にしばしば使用していたら、フランク・ロイド・ライトのマニアということがきっかけでジョン・ジョセフ・ローラーとその友人ミンシャ・ホーレンスキーと親しくなった…ローラーは在日米軍の海外大学教育のため来日していたアメリカのメリーランド大学の教授で、1972年の大宅壮一ノンフィクション賞授賞式にはベンダサン代理として出席した。ホーレンスキーは特許関係の仕事をしているウィーン生まれのユダヤ人、妻は日本人…

 ブログ「世間の片隅で」の昨年8月の記事で、管理人「葵」さんはこの件に触れられている。「帝国ホテルはGHQの宿舎だったところ。今ではホテルで待ち合わせは珍しくないけど、当時は一般人には敷居が高い。そこで…わざわざ原稿の校正作業にしばしば使用していた…とは何かを感じる

 私も全く同感であり、まして天下の老舗ホテル。さらに1956(昭和31)年当時、聖書学を専門とする出版社など、キリスト教徒の至って少ない日本では経営が成り立つのは難しいはずだ。山本が何らかの支援を受けていたと見なしても当然だろう。GHQは戦後の日本支配で日本人クリスチャンを大いに活用していたし、後者も積極的に協力した。ある筋と繋がりのある御用評論家など、現代の言論界でも珍しくないし、むしろその手合いが大半だろうと私は思っている。評論家の地位は文才よりもパトロン次第で確立するのだろう。著名になった評論家を大半の人々は時の文化人として、疑いもせずご託宣を有難く拝聴する。

◆関連記事:「イスエラルの御用文化人
 「山本七平信者との対話
 「日本人のためのアラブ史教科書?

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23 コメント

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Re:最後のコメント2 (mugi)
2010-03-13 21:08:21
>私のことを「カルト」呼ばわりしたのは貴方だったはず

 貴方自身、信者を自称していたし、高じれは「カルト」となります。対する私への悪口を思う存分に書かれても結構です。

>私の場合、アク禁・コメ禁されているので、批判の場がないのです

 私は村野瀬さんは大嫌いですが、貴方のようなコメントをされたなら、コメ禁するのも無理はないと感じました。私はヘタレで結構だし、匿名ブロガーの貴方も所詮同じ穴のムジナです。

>私は貴方と違って開き直るような見苦しい真似はしたくないのです

 それは貴方の主観です。私は開き直りを別に見苦しいとは思っていないし、その権利があり、貴方の倫理観に従う義理はない。方々で気に入らぬスタイルのブログに説教する貴方こそ、見苦しい真似そのもの。

>不当かつ不適当な山本批判はいただけない。と言っているだけですよ

 不当かつ不適当というのも、貴方個人の主観に過ぎず、要するに山本批判を一切認めないという深層心理と見受けられます。言論・表現の否定につながり、戦前の青年将校こそ、貴方のような性格だったのでしょう。私の意見を「押し付けないで頂きたい」とはじめに言ったのも貴方でした。
 上記の葵さんの記事で紹介されてましたが、これも「不当かつ不適当な山本批判」サイトになるのでしょうね。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/hyakuningiri/kaimaku.html
http://www.geocities.jp/yu77799/nihontou.html

 以前の「日本人とユダヤ人」「日本人と中国人」への書評記事を改めてご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/1e1d5f4c6bba0f707e675241e45042c0
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/f43988bc30c1ff2a014267151655e2f7

「ユダヤ人~」のあとがきの一文「互いに交われば相互に交流できると単純に考えている日本人があまりに多い」を挙げたのは、現代でも通じる格言なので。江戸時代の中国ブームを分析した箇所は実に面白く、最終章「(内なる中国)と(内なる天皇)」は圧巻だと思いました。
 貴方のブログ内容やtikurinさんのコメントで、山本への見方は変わったし、『中学生でもわかるアラブ史教科書』で、印象は最悪になった。

>どこに贖罪意識を植え付けるような意図があるのでしょう?

 貴方は「反省」と解釈しても、私は「贖罪」の印象が強い。これは私個人の感想です。貴方は違う見方の自由を認めないらしい。

>私は別に山本七平そのものを崇めているわけではないことは、ブログを見ていただければ明らか

 あなたのブログを見るほど、山本七平そのものを崇めているという感想でした。「山本七平マンセー・ブログ」だし。

>不誠実さにも程があります

 これが私という人間ですから。貴方もtikurinさんも非常に粘着質であり、そのようなタイプほど厭わしい者もない。左右双方のブログで締め出されたのは、その人格ゆえです。つまり、皆からの嫌われ者ということ。誠実も相手によって宋襄の仁となります。

>自らの名誉を守るためにやっているだけに過ぎないのです

 匿名ネットで私は名誉などあるとは考えていません。私は人格攻撃され、腹が立つことがあっても、あまり気にしないのです。ネットはある意味ゲームだと思っていますから。

>まともに自分の誤りを認めた記述を見た記憶がありません

 もちろん私も誤記術やミスはあり、読者さんから指摘を受け、記事訂正は何度も行っています。現に貴方からも肝臓と腎臓の違いを指摘され、記事を訂正しました。その他の誤りは不明だし、自分の誤りを認める理由も不明です。

>反論には人格攻撃、そしてあるときは削除までしていた貴方

 ここは私のブログであり、表現や削除を決めるのは私。反論を装ったアラシを削除するのは当然の権利。己のやり方を他にも強要するのは僭越かつ無礼というものです。ap09さんは貴方のブログから流れてきたのですが、あれも村野瀬さんと同じタイプでした。日本人及び社会を罵っていたので、こちらもそれに相応しい対応をしたまでのこと。
 

最後に:
 泥仕合と化してしまったのは残念でしたが、それでも私自身も悔いはありません。むしろ貴方の性格の一端が垣間見え、所詮はtikurinさんと同じタイプと痛感させられました。私も貴方のブログに出向く気はありません。
 今回で本当に最後のコメントにして頂きたいものです。この記事に再びレスがあれば次回は削除しますから、ご了承下さい。拙ブログをもう読まれて頂かなくとも結構ですし、TBも無用です。
 貴方のブログで「般若」さんがコメントされていたように、「何事も引き際が肝心」「相手を納得させるためだけの議論は自分の大切な人生を大いに削りますよ」

 では、今後のご活躍を。
返信する
Re:最後のコメント1 (mugi)
2010-03-13 21:05:49
こんばんは、一知半解さん。

>今回の泥仕合に至るキッカケは貴方から始めたことである

 そもそも、はじめに山本を読むように熱心に要請したのは貴方に他ならない。私が聡明というのは貴方の全くの思い違いであり、レスからも私の性格上の欠点が分かったはず。しかし、これが私という人間であり、三つ子の魂何とやらで、今更改めるつもりも、その気もありません。

>貴方のコメント欄では、tikurinさんのコメントは削除されてしまったのもあるはず

 私はその削除前、氏に今後は場合により削除もあると警告したし、その後のコメントは私宛ではなく葵さんに対する長い意見でした。葵さんに意見があるなら彼女のブログに書くべきなのに、私のブログコメント欄を掲示板に利用する無作法が許せなかったのです。ブログ管理はそのブロガーの権利であり、他のブロガーが指図するべきではない。

 私もtikurinさんのHPでの論争記録を見ています。私が彼に見事に論破されてしまったと見るのは全くご自由です(もちろん、私は自惚れ屋なので違いますが)。しかし、彼の「mugiさんとの論争1-6」での年が全て2001年になっている!「apemanさんとの論争1」も全く同じく2001年。私のHNを何度もmagiと書いたり、ここから事務処理能力が壊滅的であり、知的職業に就いていないことが知れる。これが「40年の老舗の保守」の正体であり、平日から延々ネットしているapemanさんと同類。この類にはマトモに相手にする価値もないと私は考えています。

 坊主憎けりゃ…の通り、tikurinさんとやり取りしたお陰で、山本並びにファンもすっかり嫌いになりました。嫌いなものとなると、どうも悪態をつきたくなるのが私の短所です。強情で傲慢だと友人からも注意されたことがあるし、私もそれを否定しません。人格面に問題があるのは確かで欠点だらけの人間に過ぎません。

>結局山本七平が何を主張したいのか、ということです

 私が読んだ山本の書は三冊のみですが、何を主張したいのかという解釈も個人差がある。貴方と私では価値観や感性も違うから、その解釈が違うのは当り前…と何度言わせるのですか?

>枝葉末節の周辺ばかり指摘し

 貴方には枝葉末節でも、私から見れば仮にも知的職業である評論家を名乗る割に、致命的としか思えないミスが目に付く。

>貴方は証拠も示せないくせに、他人を「似非文化人」呼ばわりしているのですよ

 私に限らず有名人を「似非文化人」と批判するのは珍しくないし、その根拠は証拠というよりも感覚が実態なのです。wikiにも詐欺師に近い人物と見た人もいたことが載っている。これが英米の言論界なら、もっと厳しい論調が浴びせられます。互いに言いたい放題であり、お体裁ぶる日本とは違うのは実に羨ましいと思います。
返信する
最後のコメント2 (一知半解)
2010-03-12 22:47:09
(前のコメント続き)

>左翼がよくやる手段に、旗色が悪くなると相手のメンタル面を攻撃、「強迫神経症」「脳内妄想」と相手の人格を貶める手段を弄す。

それは貴方が先に始めたことでしょうに。
私のことを「カルト」呼ばわりしたのは貴方だったはず。

>コメ禁を喰らったからと、貴方自身が飽くことなく“ファン”と村野瀬さんへの悪口と恨み言、揶揄を繰り返しているのと同じですよ。

私の場合、アク禁・コメ禁されているので、批判の場がないのです。

それに対して貴方の場合は、私のブログコメント欄が解放されているのにもかかわらず、陰口で批判するばかり。

ヘタレと言われても仕方ないのでは…。
一緒にしないでいただきたい。

>、「「自慰史観」とは私の造語ですが」と断言しつつ、葵さんにこの件を追求され、「私も自分のオリジナル造語だと主張するつもりは毛頭ありませんので、今回の発言は撤回させていただきます」と、”逃げ”を打った。これも実に不誠実かつ欺瞞にみちた回答です。

確かに軽率な言葉でした。
軽率だったことに対する批難は幾らでも甘受しますが、私は貴方と違って開き直るような見苦しい真似はしたくないのです。

間違いは間違いだと素直に認め、撤回する。
私はそのように心掛け、行動しているに過ぎません。

>確かにどの点が有害か、「具体的に」指摘するべきでしょうけど、そのテーマだけで延々と続くし、他に書きたいモノも書けず飽きてしまうので、今のところやるつもりはありません。

それは非常に残念です。
あれだけ「似非文化人」呼ばわりしておいて、それは余りにも無責任極まりない姿勢じゃないでしょうか。
まぁ、貴方にもご都合があるでしょうから、無理強いはしませんけどね。

>少なくとも貴方のブログで、山本の間違いを率先して挙げたのを私は見たことがありません。

例えば、下記記事↓で次のように指摘したこともありますが。お見過ごしでしょうか?

>いや、なぜレイシズムが存在するのか?これは多人種国家の宿命であろうか?

>そうはいえまい。
>南米の多くの多人種国家には、レイシズムはないといわれるから―。(註3)

>(註3)…アメリカ社会において現れる「現象」としてのレイシズムという意味だと思われる。ただ、南米に人種差別がないのか?と言われればそんなことは無いのではないかと私は思う。<

・レイシスト的思考【その1】~まず国を想起するのが人種差別主義~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-274.html

>山本批判の意見を押し付けないでほしいと要求しつつ、己は方々のブログを巡回して自分の意見を押し付ける自己中心主義。

不当かつ不適当な山本批判はいただけない。と言っているだけですよ。
批判するなら、納得できる理由を示せと要求しているに過ぎない。

それに「押し付ける」も何も、私は相手が山本七平の意見に頷かなくても、貴方のように相手を罵倒し始めたりしていませんが。

普通、「押し付ける」というのは自分の意見に従わない相手を”罵倒する”ことを言うのではないでしょうか。
そのような貴方に言われるのは非常に心外です。

>単なる日本人批判だけならまだしも、貴方のブログ記事を見るほど、日本国民に贖罪意識を植え付ける意図があるように感じられます。

どこに贖罪意識を植え付けるような意図があるのでしょう?
貴方には、「反省」と「贖罪」の違いもわからないようですね。

>自分が感銘しても他人も同じとは限らない、程度が社会人でも未だに分からないのですか?

それぐらいは私にもわかります。
ただ、貴方ほどの聡明なブロガーが、まさか理解できないとは思わなかった。
これは、正直な感想です。
聡明な人間でも目が曇ることはあることを、再度確認する機会を与えていただきありがとうございました。

>貴方は自身を単純だと何度も書いており、読解力に疑問があることを認めていた。単純な人間ほど宗教に入れ込みやすいのです。

貴方もいい加減、そのように相手を決め付けるやり方はおやめになったらいかが?
私は別に山本七平そのものを崇めているわけではないことは、ブログを見ていただければ明らかだと思いますけど。

>そんな貴方自身、浅見定雄をロクに読まないで批判するという自慰記事を書いていた。

これ↓のことですよね。

・サンヘドリン規定「全員一致の議決は無効」一考/~浅見定雄の山本批判に妥当性はあるか?~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-204.html

今思えば恥ずかしい限りです。
しかしながら、上記記事については、次の記事↓で自らの誤りを認めておりますが。

・あらためて自分の一知半解ぶりを反省する。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-208.html

人間誰しも間違いはあります。
これは仕方がない。
しかし、問われるべきは間違った後の行動でしょう。

その点について、私は自ら間違いと思ったことは、率直に誤りを認めてきたと自負しています。

それに対して、貴方の意見は、私に誤りを認めさせる根拠が希薄なのです。

そして、貴方は自分の意見に反論されると決まって相手の人格を揶揄する発言をし始める。

私以外の人間に対してもそうです。
つい最近も、ap09さんを罵っていましたね。

貴方こそ、自分の意見が絶対だと思っているとしか思えない。
反論に対して、真摯に対応せず、相手の人格を攻撃してやまない。
挙句の果てには、レッテル貼りそのものやっているにもかかわらず、「泣き言を言う」とまで逆切れする。

貴方の知的レベルは認めますが、惜しいかな、肝心の人格がそれに追いついていないようだ。

繰り返しますが、貴方は山本七平本人を「似非文化人」呼ばわりし、彼の意見を支持する私を「カルト」呼ばわりしているのです。

それほどまで主張するなら、貴方には、その理由をはっきり示す責務があるにも関わらず、揚げ足取りとしか思えない理由しか示さないし、他方では全否定したつもりはないなどと逃げを打つ。

「似非文化人」とか「カルト」呼ばわりして、よくまあ、全否定していないといけしゃあしゃあ言えるものです。

相手の人格すら否定しておいて、なにが「全否定じゃない」…ですか。
不誠実さにも程があります。

>私は貴方と違い、つまらないと思った相手とは議論を続ける気にはなれません。

私もありませんよ。
ただ、人の人格を不当に貶めるような貴方の無礼な言動には厳しく反論していく。
貴方が私の人格を攻撃すれば、それに返すだけのこと。それだけのことに過ぎないのです。
こちらだってこんな泥仕合したくはありません。
自らの名誉を守るためにやっているだけに過ぎないのです。

>他人の言葉の受け売りをする者ほど、頑なで自分の誤りを認めないと言った人がいます。

前述したように、誤りを訂正することにやぶさかでない私には当てはまらないですね。

随分と貴方のブログを拝見させてもらってますが、まともに自分の誤りを認めた記述を見た記憶がありません。
むしろ、反論には人格攻撃、そしてあるときは削除までしていた貴方にこそ、当てはまるのではないでしょうか。

長々と答えてしまいましたが、私自身にとっても貴方との泥仕合は残念でした。
しかし、自分から始めたことではないので、その点については悔いはありません。

私のブログにおいでになれば相手することもあるでしょうが、貴方のブログに出向くことはないでしょう。
(あるとしたら、TB打つぐらいか。)

もうこれ以上、応対しない方がお互いの為かと。
mugiさんもブログ更新頑張ってください。
一読者として愛読していくつもりですので。

それでは、失礼。
返信する
最後のコメント1 (一知半解)
2010-03-12 22:44:50
mugiさん、こんばんは。

HN訂正いただけないのは残念ですが、了解しました。
また、トラバ拒否の件については、事情をご理解いただきありがとうございます。

さて、私のコメントにレスを頂いたので、私も再度コメントを返したのですが、こちらの記事とも合いますので、転載させていただきます。
よろしくお願いします。


(コメント転載開始)

mugiさん、レスご苦労様です。

まず、最初におことわりしておきますが、今回の泥仕合に至るキッカケは貴方から始めたことであることは改めて指摘しておきます。

私はなるべく、議論に対して反論しようと常に心掛けております。
自分の方から「相手の人格そのもの」に対して攻撃を始めたことはないつもりです。

実際、過去の経緯を振り返っても明らかですが、貴方がまずレッテルを貼り始めた。
確か、私の過去記事やmugiさんのブログ記事上で、貴方がtikurinさんと論争した頃(去年の夏頃?)ですね。

私の過去記事コメント欄にも載っていますが、貴方のコメント欄では、tikurinさんのコメントは削除されてしまったのもあるはず。(都合が悪くなると、削除するのは左翼と同じ手法ですね。)

幸い、tikurinさんがあなた方との論争について、下記HP↓にまとめてサルベージしてくれていますので、リンクを貼っておきます。

・「山本七平」学のすすめ/論争編
http://www7b.biglobe.ne.jp/~sitiheigakususume/goroku_ronsou.html

貴方は見事にtikurinさんに論破されてましたが、それ以来、tikurinさんに対して人格攻撃するだけにとどまらず、私に向かっても暴言を吐くようになった。

しまいには私のことを「カルト」呼ばわりまでする始末。
これでは私も黙ってられませんよ。

私のコメントに怒ってらっしゃるようですが、私のコメントは貴方ご自身の攻撃姿勢の「鏡」に過ぎないのです。
私は貴方が吐いた唾を、吐き返しているだけなんですよ。

私が貴方にレッテル貼りをやめてくれ、と抗議しても、今回のレスにもあるように、「左翼の泣き言」扱いして開き直る始末。

人を不当に辱め、それに”追い討ち”を掛けて恬として恥じない。
自己正当化にも程があります。

本当に、貴方という人は、異論に対して狭量かつ傲慢極まりない人間だと思わざるを得ません。

以下、頂いたレスに対して個別にお答えします。

>そもそも、山本の「中心テーゼ」とは何を定義するのでしょうか?

それは、結局山本七平が何を主張したいのか、ということです。

「聖トマスの不信」で言えば、この不信を表明することの大切さ、そしてこれを認めないことが二重の虚偽という状態をもたらす危険につながることを、彼は言いたいのだろうと私は考えます。

貴方はこの「中心テーゼ」には用心深く絶対に触れず、聖書の引用が間違っているからおかしいとか、米国やユダヤから資金を貰っていたのではないかとか、枝葉末節の周辺ばかり指摘し、似非文化人であると断言するばかり。

>少しでも想像を働かせれば察しは付くはず。同時に貴方自身も、山本が米国やユダヤから全く資金提供を受けていなかったという、ハッキリした根拠は示せないでしょう。

幾らなんでも、開き直り過ぎです。
貴方は証拠も示せないくせに、他人を「似非文化人」呼ばわりしているのですよ。

(次のコメントへ続く)
返信する
Re:ご報告(笑) (mugi)
2010-03-12 22:17:09
>葵さん、

 ついに、一知半解さんへの反論記事が完成しましたね!じっくり読ませて頂きます。ワクワク

 私も一知半解さんのブログにコメントして、何故か『英数字の比率が大きすぎるためスパムと判定されました』と弾かれたことが2~3回はあります。おそらく彼は拒否対策はしていないはずだから、気になってメールで問い合わせてみました。やはりブロックはしておらず、一知半解さん自身も不思議がっていました。
 
 その件で思い当たるのは、いずれもその記事がイスラエルやキリスト教関連の問題を扱ったものであり、そのためではないだろうか…と勘ぐっています。
 貴女の記事も、ひょっとして南京虐殺関連だったので、自動的に拒否対策になったのかも。結構FC2ブログではそのようなことがあるようです。一知半解さんのせいではないと思いますよ。

 イザヤ・ベンダサンの正体とは、月光ならぬ山本仮面でした(藁)。
返信する
ご報告(笑) ()
2010-03-12 18:03:09
http://boyaki-555.at.webry.info/201003/article_2.html

鼬の最後っ屁をかましたのですが・・スパム対策ではじかれました。
葵・・笑っちゃうぅ~♪

>「わが敬愛する山本書店主」

イザヤ・ベンダサンは誰でしょね~(月光仮面風)
年甲斐も無くネット歴は長いのですが、彼ほど面白いキャラは見たことが有りませんでした。

   by 意地悪オババの葵
返信する
Re:”信者”からの反論 その② (mugi)
2010-03-11 21:30:52
(続き)
>貴方はロクに読んでいないから、わからないでしょうが、山本七平は、日本人の行動を決定付けている(日本人自らがはっきりと意識していない)原理・規範を明らかにしようとしたのです。
>それだからこそ、「山本日本学」と称され、評価されるようになっている。

 山本教徒の嫌らしさは読んだことをひけらかし、自分の意見を押し付けること。だから左右共にソッポを向かれる。まさか職場でも、山本を宣伝しているのではないでしょうね?充分に読んだ人が私と同じく無名の弱小ブロガーなのもお笑い種です。
 身内の馴れ合いが著しい日本の出版会が、まだ儲かりそうな過去のベストセラー作家を持ち上げ、「山本日本学」と讃えるのは当り前ですよ。評価するのも業界人。同時に非難したのは左派文化人ばかりではなく、司馬遼太郎も反感をむき出しにしたと、tikurin氏も書いていた。虚構の権威を有難がるのも左翼そっくり。

>それならば、どの点が現代において有害なのか「具体的に」指摘すべきでしょうな。

 山本に感化された貴方の日本軍批評が典型でしょう。「真実」とばかり、山本の体験談イコール旧日本軍全体と見ている。「何かの側に立つということで、対象と自己を同一化してしまうのは日本人独自の行き方」と山本は書いてましたが、まさにそれを実践している。
 確かにどの点が有害か、「具体的に」指摘するべきでしょうけど、そのテーマだけで延々と続くし、他に書きたいモノも書けず飽きてしまうので、今のところやるつもりはありません。

>山本七平の些細な間違いも否定したことはありませんし、

 少なくとも貴方のブログで、山本の間違いを率先して挙げたのを私は見たことがありません。

>もちろん、精神的に不安定なわけでもありません。

 ネットでは何とでも言える。山本批判の意見を押し付けないでほしいと要求しつつ、己は方々のブログを巡回して自分の意見を押し付ける自己中心主義。先月末頃、貴方は「仕事が上手くいかず…」とブログでこぼしていましたね。その鬱屈を晴らすため、山本を利用して、自分の気に入らぬスタイルのブログに噛み付くのですか。杜若さんが書かれた通り、「高尚な社会批判が、実は人間関係のトラウマに起因することが多いことはよくあること」。

>相手の態度を批判しても、それで貴方の主張が正しいと証明されるわけでもない…ということぐらいはわかってますか?

 貴方ご自身、それを自覚していますか?己のことは客観視は無理なので、読者に判断を委ねたいと思います。

>相手を揶揄したり、小馬鹿にするのは楽しいかも知れませんが、それでは単なる「自慰」ですね。
>第三者からみれば、みっともない行為と思われても仕方ないかもしれませんよ。

 全く構いませんよ。貴方と違い、「みっともない行為」を私は恥じないし、貴方を見苦しいと感じている第三者もいるかもしれない。そもそも、カネにもならぬブログ自体が「自慰」に過ぎないではありませんか?私は思う存分「自慰」を楽しむし、それこそネットの醍醐味と考えているから。

>しかし、山本七平の主張を、単なる日本人批判としか捉えられないというのは、貴方のへそ曲がりな性分ゆえなのでしょうが、余りにもお粗末な解釈でしょう。

 単なる日本人批判だけならまだしも、貴方のブログ記事を見るほど、日本国民に贖罪意識を植え付ける意図があるように感じられます。山本に好意的なブロガーさんもキリスト教優位思想が鼻につくと感想を述べていたし、一神教と共産主義は同じ系列の思想だとも言っていました。あのmottonさんも「全てを日本人及び日本社会に持ってきている」と、不快感を表していました。結局は価値観の違いでしょう。
 以前の貴方のコメントでも、「山本を全否定する」との表現を繰り返しており、とかく山本批判には強迫神経症露わになるとしか思えません。山本批判を全否定したい心情と見受けられます。
 
>歴史ブロガーを名乗ってらっしゃるのですから、少しは過去の歴史から教訓を得ることが出来るだろうと思いましたが、

「過去の歴史から教訓を得る」と言う者ほど、歴史を分かっていないとの証明です。歴史に学ぶと言うのは容易でも、どの歴史に学ぶか、その選択が極めて難しいと言ったのは、高坂正堯氏です。時代と状況は目まぐるしく変化し、過去から滅多に教訓を得られなかったのが人類史です。「過去の歴史から教訓」の強調も、マルクス史観を思わせます。

>山本七平の貴重な提言から、貴方は読み取ることが出来ないようですね。

 毎度ですが、それは“信者”だけの思い込みです。そうでない者は必ずしも「貴重な提言」と思わない。それほど優れた識者が、歴史ブログでは全く顧みられない現実を直視して下さい。結局、貴方の意見はそれだけなのですよ。山本の貴重な提言を読め、の長広舌。自分が感銘しても他人も同じとは限らない、程度が社会人でも未だに分からないのですか?
 貴方は自身を単純だと何度も書いており、読解力に疑問があることを認めていた。単純な人間ほど宗教に入れ込みやすいのです。

>ロクに読まないで批判することの愚かさを、自らネット上に晒しつづけるのも貴方のご自由です。

 便利なことに貴方のブログだけで、山本の思想は読めますが、見るほどに疑念が深まる内容でした。そんな貴方自身、浅見定雄をロクに読まないで批判するという自慰記事を書いていた。
 山本は聖書を読むことを勧めていたにも係らず、貴方自身も聖書をまず読まないはず。聖書だけでなく本の解釈や読解力は十人十色という原則をお忘れのようですね。何度読んでも分からぬ者は分からないし、熟読で尊敬を受けることを期待するのは幼稚だけでなく、愚かというものです。貴方自身はその尊大さと愚かさに気付かぬまま、その悪癖をネットで晒し続けることでしょう。

 そもそも、貴方はこの記事に関する反論を全く書いていない。おそらくロクに読まないと見ています。この記事ではユダヤシンパと責めているのではなく、聖書からの的外れな引用を挙げており、記事「日本人のためのアラブ史教科書?」でも、山本の記述の怪しさや詐術を書いている。ロクに読まないで批判するのは貴方自身。『中学生でもわかるアラブ史教科書』(祥伝社)を読んでいますか?
 ただ、この記事と「日本人のためのアラブ史~」共に宗教や中東の基礎知識がない人には、理解がいささか難しいことは認めます。だから、これら記事への反論を全く書けなかった。

>ただ、私のブログにコメントする場合は、それなりのお相手はさせていただきますから、ご覚悟いただきたい。

 たぶん、これが最後かもしれない。これ以上の議論は不毛だし、第一面白くもありませんから。私は貴方と違い、つまらないと思った相手とは議論を続ける気にはなれません。これが私のスタイルだから、仕方ありません。私にとってネットは趣味であり、それ以上の思い入れはない。
 今後もし、貴方が拙ブログにコメントしても、レスをするとは限らないし、場合によっては削除も検討していることを覚悟願います。貴方が左派だけでなく、右からも締め出されたのも、彼らよりも貴方のスタイルが原因です。もう言われる年でもない貴方のスタイルを批判するのは無意味です。名は失念しましたが、他人の言葉の受け売りをする者ほど、頑なで自分の誤りを認めないと言った人がいます。

 貴方にとっても不快な返答でしょうし、互いに感情的になっていますから節度が保てたのかも疑問ですが、ご了承願います。またも泥仕合となりましたが、今後の貴殿のブログの健闘をお祈り致します。
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Re:”信者”からの反論 その① (mugi)
2010-03-11 21:29:43
>こんばんは、一知半解さん。長文の反論を有難うございました。

 私は貴方のHNを「一知半解男」「一知半解」と双方記載しており、初コメント時点では前者を使用されていたので、こちらも使いました。そのため、現HNに直す必要もないと思うし、統一するつもりもありません。

 貴方は初めて山本を紹介した時、「そこらの大学教授が書いているような底の浅い稚拙な日本人論でないと私は(個人的にですが)受け取っております」とコメントされました。学者とは思えない貴方が「そこらの大学教授」とは、ずいぶん傲慢な言い方だと感じたし、相当な入れ込みようだと思いました。浅見定雄に痛烈な批判本を書かれた山本がそれに反論したかと、私は昨年末に貴方のブログで問い合わせました。しかし、その問いに貴方は無回答。もし、山本がきちんと反論していたならば、貴方かtikurin氏が資料を提示していたはず。結局はプロの学者に太刀打ちできなかったという証左です。それだけで、所詮“プールサイダー”に過ぎなかった。

>そんな私のことをあくまで「盲信の信者」と決め付けたいなら、彼の中心テーゼをひっくり返してからにしてください。

 そもそも、山本の「中心テーゼ」とは何を定義するのでしょうか?山本の中心テーゼは心酔者同士でも異なるし、ましてアンチならテーゼ自体、信者とは確定対象が違ってくる。設定自体が不可能事を持ち出すのでは、議論になりません。

>それもできないくせに、人をそのように呼ぶならば、貴方のことを「揚げ足取りのレッテル貼り」と断定させていただきます。

 失言を指摘されたり、論破されて言うに事欠いた左翼がよく使う泣き言が「揚げ足取り」と「レッテル貼り」。相手に付け入られるミスを犯す方、「李下に冠を正さず」の諺どおり、疑いを招く言動をする側の責任なのです。揚げ足取りが嫌なら発言に注意するべきで、間違いを指摘され、「揚げ足取り」と泣き言を言うのは甘えに他なりません。

>山本七平が米国とかユダヤから資金提供を受けていたように盛んに吹聴していますが、根拠や裏付けがあって言っているのですか?
>単なる貴方の憶測に過ぎないのではないですか?
>そうでないなら、そのハッキリしたソースを示していただきたいものです。

 貴方も政治ブロガーなら、世界各国が同盟、仮想敵国問わず文化人に資金提供、シンパ形成をすることくらい、国際情勢としてご存知のはず。もちろんこの類のことは表には出ませんよ。証拠が出ないようにするのが当り前だし、何処に資金提供したと公言する者がいますか?しかし、少しでも想像を働かせれば察しは付くはず。同時に貴方自身も、山本が米国やユダヤから全く資金提供を受けていなかったという、ハッキリした根拠は示せないでしょう。

 左翼がよくやる手段に、旗色が悪くなると相手のメンタル面を攻撃、「強迫神経症」「脳内妄想」と相手の人格を貶める手段を弄す。tikurin氏も似たようなコメントをしており、これまた人格攻撃の手段です。本当に左翼に酷似した意見を述べられますね。同じ表現を何度も繰り返すことは、精神面での不安さの表れであると言った人もいます。他人よりご自身のメンタル管理をされたら如何?貴方の言葉をそのままお返しします。
-そういう態度を貴方が取るのは、貴方が一種の「強迫神経症」に陥っているからだと私は思います。自らの主張に神経的な不安を抱き、それを鎮めるために、何度も否定行為に”拘泥”する。

 貴方は何度も自己欺瞞を言われますが、それに無縁な人間などいるのでしょうか?世の中にはままならぬことが山ほどあるし、時にはそれが必要なことがある。私は自己欺瞞を恥とは思わないし、他人の自己欺瞞行為を糾弾している当人こそ、自分の内にそれがあることが認められない。それがあること自体屈辱だし直視を避け、他人の自己欺瞞を責めて悦に入る。そんな行為は一時的な自慰行為に過ぎず、「病状」を進行させる。これぞ、実に「欺瞞に満ちたやり方」です。

>お互いのブログで私の悪口を言ったり、揶揄したりして憂さを晴らしてるようですが、
>そうせざるを得ないのも、典型的な強迫神経症状の現われじゃないでしょうか。

 コメ禁を喰らったからと、貴方自身が飽くことなく“ファン”と村野瀬さんへの悪口と恨み言、揶揄を繰り返しているのと同じですよ。Apeman先生や最近は「ねずきち」さんを槍玉にしているのも、第三者からすれば典型的な強迫神経症状と疑われるでしょう。悪口は憂さ晴らしと同時に、娯楽でもありますから。

 貴方のブログで私は初めて「自慰史観」なる言葉を知りました。しかし貴方は杜若さんへのコメントで、「「自慰史観」とは私の造語ですが」と断言しつつ、葵さんにこの件を追求され、「私も自分のオリジナル造語だと主張するつもりは毛頭ありませんので、今回の発言は撤回させていただきます」と、”逃げ”を打った。これも実に不誠実かつ欺瞞にみちた回答です。山本に感化され、詭弁にも長けたのかもしれませんが、まさに「自慰」。これだけで貴方の精神だけでなく、性格も疑われます。もっと真摯な方かと思っていたら、私の思い違いでした。

>日本人の価値観とか風習とかは、時代ごとに変わっておりますが、戦前戦後通じて日本人の行動原理というモノは、殆ど変化しておりません。

 当り前ですよ。行動原理を変えようと山本の言葉を方々で宣伝して力むのこそ、道化じみてますね。
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”信者”からの反論 (一知半解)
2010-03-09 21:44:55
こんばんは。
拙ブログの宣伝にご協力いただきありがとうございます。

一つ、mugiさんにお願いがあります。
現在私は「一知半解」というHNを名乗っておりますので、過去時点でのHNは仕方ありませんが、出来れば現HNに直していただきたいと思います。

拙ブログにもmugiさんからコメントを頂いたので、反論をさせていただきましたが、その内容がこちらの記事にもある程度沿っていると思いますので、長くなりますが以下転載させていただきます。よろしくお願いします。

(以下転載開始)

mugiさん、レスご苦労さまです。
貴方の主張に対して、長文になりますが、以下のとおり反論させていただきます。(貴方の文章引用が一部順不同になりますがよろしくお願いします。)

>たとえ第一級の学者が根拠を挙げて批判しても、貴方は絶対受け付けないのはこれまでの流れで分かりました。

吉田五郎太さんがコメントで次のように仰ってます。

>七平氏の“中心テーゼ”が全て『無意味』にして『棄却されるべき』ものかどうかは、別である(ちなみに僕個人の結論は『NOである』)

私の結論も吉田さんと同じくNOに過ぎません。

(貴方や一流学者?の浅見定雄も含めた)アンチ山本七平の反論は、山本七平の”中心テーゼ”から逃げ回り、周辺の揚げ足を取るだけのモノに過ぎないと指摘しているのですが、これについては、いつもまともにお返事いただけないようですね。

私は別に彼がユダヤシンパであることを否定したことはありませんよ。

そんな私のことをあくまで「盲信の信者」と決め付けたいなら、彼の中心テーゼをひっくり返してからにしてください。

それもできないくせに、人をそのように呼ぶならば、貴方のことを「揚げ足取りのレッテル貼り」と断定させていただきます。

>私も室長さんとのやり取りで、「たとえ戦後の日本で米国から資金を得ていた文化人でも、日本の国益になる正論を吐いていれば構わない」とコメントしてますが、故意なのか貴方が無視した理由は不明です。

貴方の発言は、単なる仮定の話ですよね。
そういいつつも、とにかく否定しようとする。

そんな仮定の話は評価しようが無い。

むしろ、その発言の裏には、「山本七平は日本にとって有益な主張をしていない」というホンネが、文意から十分窺えますけど。

そもそも、山本七平が「米国から資金を得ていた」というのは本当ですか?
貴方は、山本七平が米国とかユダヤから資金提供を受けていたように盛んに吹聴していますが、根拠や裏付けがあって言っているのですか?
単なる貴方の憶測に過ぎないのではないですか?
そうでないなら、そのハッキリしたソースを示していただきたいものです。

>仰るとおり、ユダヤ代弁者でも“プールサイダー”でも、有益な意見なら全く差し支えないと思いますし、ベンダサン名義の著で正論も充分書いてます。
>その点は私も認めたつもりだし、全否定をする気はありません。

そうであるならば、私を批難するのはいい加減止めていただきたいものです。

私が山本七平に賛同しているのも、彼の意見が有益だと考えているからなのですから。
私は彼がユダヤシンパだから、賛同しているわけではないのですよ。

貴方は他方でそのように”逃げ”を打ちつつ、一方で私のことを躍起になって否定する。
非常に「不誠実な批判」で、「欺瞞に満ちたやり方」です。

これでは、残念ながら、到底実りある生産的な議論にはなりえませんね。
(だから、貴方の記事にコメントするのは無駄だと思ったわけです。)

そういう態度を貴方が取るのは、貴方が一種の「強迫神経症」に陥っているからだと私は思います。

自らの主張に神経的な不安を抱き、それを鎮めるために、何度も否定行為に”拘泥”する。

その為なら、平気で相手にレッテルを貼り、相手の人格を貶める手段を弄す。

ただ、それは決して成功しないでしょう。
成功したとしても、それは主観的なものであって、自らを欺く行為に過ぎない。
客観的に見れば、単なる自己欺瞞行為に他なりません。

たとえ私がそう指摘したとしても、貴方がそれを認めることが出来ないのはわかります。
自己欺瞞行為を認めることは、本人にとって屈辱でしょうから。

しかしながら、それを直視できない限り、貴方はいつまでたってもその「症状」から脱出できないでしょう。

あいにく残念ながら、貴方も葵さんもそうした”病気”に罹ってしまわれたようですね。

お互いのブログで私の悪口を言ったり、揶揄したりして憂さを晴らしてるようですが、そうせざるを得ないのも、典型的な強迫神経症状の現われじゃないでしょうか。

ただ、そういうあなた方が、私を「盲信している」と攻撃するのなら、私も反撃せざるを得ませんので、そこのところは覚悟してくださいね。

>私が山本の主張を危惧するのは、葵さんも仰られているように、'70年代は有益でも、価値観も変わり今では有害だと思うからです。

日本人の価値観とか風習とかは、時代ごとに変わっておりますが、戦前戦後通じて日本人の行動原理というモノは、殆ど変化しておりません。

貴方はロクに読んでいないから、わからないでしょうが、山本七平は、日本人の行動を決定付けている(日本人自らがはっきりと意識していない)原理・規範を明らかにしようとしたのです。
それだからこそ、「山本日本学」と称され、評価されるようになっている。

それが、貴方によれば、有害だとか通用しないということになるわけですが、それならば、どの点が現代において有害なのか「具体的に」指摘すべきでしょうな。

>精神的に不安定な人間ほど、何か絶対的なものに帰依したがるので。

そもそもですが、絶対視してませんよ。
山本七平の些細な間違いも否定したことはありませんし、親ユダヤの立場も否定したことはありませんが…。
もちろん、精神的に不安定なわけでもありません。

前述したように、貴方が”中心テーゼ”から逃げ回り、周辺の揚げ足を取っているだけなので、立場を変えていないだけの話です。

>気付かないでしょうけど、道徳を振りかざす説教など、貴方の口調は左翼に似ています。

いささか説教くさくなってしまうのは、いたしかたないですね。
かといって、相手をちゃかしたり、喧嘩腰で議論するのは失礼ですからそうした態度を取るつもりもないですし。

これが私のスタイルですから、仕方ありません。
そうした私の態度が気に入らないのなら、存分に批判してもらって構いませんよ。

ただ、相手の態度を批判しても、それで貴方の主張が正しいと証明されるわけでもない…ということぐらいはわかってますか?

相手を揶揄したり、小馬鹿にするのは楽しいかも知れませんが、それでは単なる「自慰」ですね。
第三者からみれば、みっともない行為と思われても仕方ないかもしれませんよ。

>ユダヤシンパや代弁者、似非文化人というのは私の率直な山本への感想、批評であり、それに賛同する人もいる。そうでないと否定するなら、根拠の提示と冷静な反論を貴方は行って下さい。

だから、「ユダヤシンパと言うな!」などと最初から主張しておりませんが…。
単に貴方がそう思いこんでるだけでしょ!!

私が再三主張しているのは、”ユダヤシンパという事柄”のみ”を以って、山本七平の中心テーゼを否定するのは止めていただきたいということです。

結局のところ、貴方の主張はそればかりだから、レッテル貼りとしか思えないと私は言いたいのです。
そこのところ、お間違えないようお願いします。

しかし、山本七平の主張を、単なる日本人批判としか捉えられないというのは、貴方のへそ曲がりな性分ゆえなのでしょうが、余りにもお粗末な解釈でしょう。

歴史ブロガーを名乗ってらっしゃるのですから、少しは過去の歴史から教訓を得ることが出来るだろうと思いましたが、どうやら私の買いかぶりのようです。
クリスチャン嫌いで目が眩んでらっしゃるのか、山本七平の貴重な提言から、貴方は読み取ることが出来ないようですね。

まぁ、人それぞれ読解力に差がありますから、こればっかしは仕方ありません。

貴ブログで、気が済むまで存分に、山本七平を「似非文化人呼ばわり」されれば宜しいのではないでしょうか。

ロクに読まないで批判することの愚かさを、自らネット上に晒しつづけるのも貴方のご自由です。

ただ、私のブログにコメントする場合は、それなりのお相手はさせていただきますから、ご覚悟いただきたい。

以上、長文乱筆ですが、回答でした。
貴方にとっては気に触る回答でしょうが、これでも節度を保っているつもりですので、ご容赦のほどを。

(転載終了)
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杜若さんへ (mugi)
2010-03-08 21:08:45
 長~い拙ブログ記事を読まれて頂き、さらに丁重なコメントを大変有難うございました!

 西欧の諺に「宗教は賢い者は利用し、愚かな者は信じる」というものがあります。これはキリスト教のみならず、世界の他の宗教も大同小異であり、どの宗教も功罪両面がありすぎる。それでも人は弱いものですから、いつの時代も宗教は必要とされる。

「右の頬を打てば左の頬も向けよ」はキリスト教の教義としてあまりにも有名ですが、同時に異教徒を殲滅せよとの「聖絶」という教義もあるのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E7%B5%B6

 この教義を日本人キリスト教徒はまず言いたがりませんが、十字軍や新大陸での原住民掃討、虐殺、原爆投下、イラク戦争もその延長にある。山本も同教徒のよしみでしょうけど、西欧の負の歴史には触れたがらなかったし、「嘘も方便」でキリスト教を広めたかった?

 キリスト教に限らず他の宗教も、純粋に高尚な部分と歪んだ箇所が見られます。 奴隷貿易、宗教を隠れ蓑にした侵略と植民地化ならイスラムも行っているし、他宗教もまた侵略の大義には宗教が使われています。キリスト教圏に限らず、19世紀までは奴隷制度は全世界で行われていたし、聖書でも奴隷の存在を認めているから、奴隷制度を悪とは考えられていなかった。

>>けれども政治ブログと内容は紙一重かも知れませんね

 仰るとおりだと思います。政治を語る上で歴史知識は必要だし、歴史を書くにせよ、その時代の世相から無縁でいられない。各国の指導者には歴史好きな人物も多いのです。
 私のブログはマイナーなネタばかり扱うので、対象に関心のない方には面白いものではありませんから、今回読まれて頂いただけで恐縮です。
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Re:生き残るため (mugi)
2010-03-08 21:07:20
>室長さん、

 戦争はしないで越したことはありませんが、独立や自衛のような止むを得ない戦いもありますから、絶対悪とは私は考えていません。しかし、一旦戦争をやるならば、出来るだけ味方の物的人的損害を少なくする作戦を立て、勝算の可能性の高い計画を練るのが正しい戦法なのは、私のような軍事素人でも分かります。
 にも関らす、人道無視が優先されるようになったのか?追い込まれて狂信に陥ったため?戦前のドイツ映画「最後の一兵まで」は日本の特攻に影響を与えたと言われます。

 私の父も文藝春秋を購読しており、私も昔はよく見ていました。ただ、昭和維新を唱えた青年将校たちを上流社会が本質的には共産主義者だと見なし、危険視していたという記事は初めて知りました。後知恵になりますが、上層階級も武器を持つ軍人を対処する手段を取っていれば、歴史が変わっていたのかも。ただ、幕末、明治維新でも実際に動いたのは下層武士が大半だったため、元から皇族、華族に勇気ある人材が少なかったのでしょうか?

「地獄に堕ちた勇者ども」という映画は、ドイツの鉄鋼財閥がナチ親衛隊に取り込まれていく作品です。財閥一家の長はナチを成り上がりのならず者集団と見ていましたが、この一家も結局はナチに支配され、没落するというラストでした。実在したドイツ鉄鋼財閥クルップ家をモデルとしたとか。

 現代の日本の戦力では貴方の仰るとおり、米国との同盟がまだ必要だと思います。自衛隊の孤島への配備意見にも賛同します。困ったことにマスコミが愛国心イコール戦争と結びつけるキャンペーンをしていますね。今の若者に、絶対に自国領土を守るという気概も薄いかもしれませんよ。
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Unknown (杜若)
2010-03-07 23:27:03
長文でしたが一応読み終えました。
山本七平氏がどういった方なのかが少しでしたが理解できました。

私は、キリスト教の教義がどうのこうのとは言いたくありませんが、ただ当時の宗教の中では異色であったとは思います。なにしろ右の頬を打てば左の頬も向けよなどとはどこにもない考え方だったでしょうから。そこから殉教の歴史が始まったとは考えますが。

ただキリスト教の功罪は、私としては(というよりも日本人としてみれば)悪い面の方が大きいような気が致します。
奴隷貿易、キリスト教を隠れ蓑にした侵略と植民地化、など白人以外の民族にとってはキリスト教は忌むべき宗教なのかも知れません。

ただ、その内容のなかには純粋に高尚な部分があるため(この部分がキリスト教の功の部分でしょう)に受け入れざるを得ない側面もある。ゆがんだ部分があっても全体的には受け入れざるを得ないこともあるのが事実といったところでしょう。そういったところに山本七平氏もかかわる部分があるのでしょう。

しかし、日本人としては受け入れがたい部分もあったがために、明治維新のころに書かれた内村鑑三氏の「代表的日本人」のような書籍が生まれた所以であろうと思います。日本人にだって負けないものがあるとの主張だったのかと思います。

ところで、歴史ブログを見るのは初めてです。私も歴史好きではありますが、こんなところにお邪魔するほどの知識は持ち合わせてはおりません。
けれども政治ブログと内容は紙一重かも知れませんね。
これからも、たまには覗いてみようという気になりました。
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生き残るため (室長)
2010-03-07 23:21:12
mugiさん、
 やはりあなたとは意見の一致度が高いように思う。小生自身、一応戦後に育っているので、昭和軍人の欠陥、欠点を強く意識してしまいます。父親は、海軍軍人として、戦後も意識を変えることはありませんでしたが、その理由は、海軍では下士官ながら結構いい暮らしを経験できた、飢餓とか、兵站軽視という面では、陸軍ほどはひどくなかったからのようです。

それでも、海軍も、海軍航空隊の特攻作戦とか、戦艦大和の最後の出陣など、人道無視、作戦的に成功の可能性ゼロの任務など、合理主義的視点から言えば、また、本来合理的に練るべき作戦という視点から言っても、決して許されるべき戦法ではないです。

 小生は、中学生の頃に、父親が購読していた文藝春秋をよく読んでいたのですが、その中で、昭和期に維新を唱えた「青年将校」達を、皇族、華族、ブルジョアなどの上流社会では、本質的には共産主義者だと見ていた、キチガイ達が右翼気取りでのし歩き、夜は芸者を上げて飲んだくれ、皆で右翼革命の気勢を上げて、結局は上流階級を倒し、政権を奪取しようとしていた、共産主義革命路線と何ら変わらず、危険視していた、と読んだ記憶がある。

 右翼も、左翼も、革命を唱え、権力を奪取しようとしていた、青年将校、参謀達の多くも、地方出身の小作の子供らで、秀才ではあっても、発想は下克上だけで、危険な連中だった、という風に、書いていたように記憶する。

 国家を安全に経営し、滅亡させないためには、成り上がり者の革命思想ほど危険なものはない、ということ。少なくとも、昭和期においては、そういう上流層に、もっと勇気ある人材が沢山居れば、また軍隊が必ずしも成績至上主義ではなく、軍幹部に、貴族階級などの指定席みたいなのがあれば、金持ち喧嘩せずで、歴史は変わっていたと言うことかも知れないです。

 成り上がりのナチ系軍部ではなく、伝統的なドイツ陸軍には、ユンカー貴族など、伝統的な軍人家系出身者も居たらしいけど、政権をナチに取られて、またSS(ナチ親衛隊)軍が、ドイツ陸軍と同じほど大規模になっていたから、ドイツも結局自滅戦争をやってしまった。

 小生は、現代日本も、米国との同盟という枠組みを維持すると同時に、海自、空自の装備を整備しておくほか、陸自は対馬、南西諸島などにもっと多数配置して、絶対に自国領土を守るという姿勢を見せるべきだと思う。孤島として過疎化すると危険性が増すから、自衛隊を配置することには、離島の人口を維持するという意味でも意義があります。
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Re:人命軽視 (mugi)
2010-03-07 20:49:37
>室長さん、

 戦争時のお話、惨すぎて言葉もありません。インパール作戦など日本軍ばかりか、インド国民軍も甚大な戦死者よりも餓死者を出すという、軍事に素人の私から見ても弁護の余地もない惨敗です。しかし、歴史観は十人十色ですが、この作戦は日本の将校による「至誠と愛情と情熱が出発点だった」と書いているブロガーもいるのには唖然とさせられました。よほどインド独立運動の背景を指摘してやろうかと思いましたが、このブロガーやファンから在日かシナ工作員呼ばわりされるのは目に見えているので、止めました。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-789.html

 ガダルカナル島の“玉砕”のことをはじめて聞いたのは、中学の歴史の授業でした。「玉砕」とは正にきれい事の最たる表現ですが、惨死に他ならない。きれい事を並べ、全滅の現実を見たくなかったのやら。
 水木しげるの「総員玉砕せよ」にも楠木正成に憧れる青年将校が登場し、楠木気取りでゲリラ戦をやろうとしている。結果は書くまでもありません。誰にも看取られず、ジャングルの中で戦死していった若者が哀れでなりませんでした。

 仰るとおり枢軸国軍、殊に日本軍ほど兵站軽視により夥しい人命を損ねた国もありません。ドイツも追い込まれていましたが、作戦思想は貧困ではなかったはず。本当に何故これほど差が出たのか?
 朝鮮戦争での中国人民解放軍は、国民党の敗残兵を前線に投入した上、元から膨大な人口があり人海戦術が効く。今でもあの国は人命など尊重しないのだから。しかし、日本軍が中共と同様の人命損失をしていたとは、情けないだけでなく解せません。戦争は生きるためにやるものであり、死ぬためではないのに。
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Re:眞子内親王の場合 (mugi)
2010-03-07 20:49:01
>スポンジ頭さん、

 興味深いサイトを2件紹介されて頂き、有難うございました!
 学習院が荒れていたとは初めて知りました。皇族が通う名門のイメージのある学習院で傷害事件があったとは…このようなことを地元紙では載せていません。ネットはやはり重宝です。
 
 ただ、いかに学習院が荒れているので避けるにせよ、ICU以外の学校もあるのに、何故ここを選んだのか不思議です。誰が勧めたか、やはり策謀があったのか、つい疑りたくなります。
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人命軽視 (室長)
2010-03-07 09:51:09
mugiさん、
 父親の回顧によると、海軍の場合は、水兵は艦上生活ですし、食料品は十分積載されていて、陸上(軍港近くに家族が生活)の家族が食べる食物不足の方が大変だったようです。ただし、水兵の場合、軍艦が米国潜水艦の餌食となり始めてからは、死亡率が恐らく陸軍より高くなっていた。
 なお、インパール作戦に従軍させられた陸軍徴兵達(小生の学校の先生の話)などによると、本当に酷い食糧事情で、現地調達主義とかもあり、食べられるものは何でも工夫せざるを得ず、蛇などもごちそうの部類だった。空から襲う英空軍機に対しては、地上から機関銃などで応戦することも多かったけど、ある時鳥が群れ飛ぶのに対して機銃攻撃して実験したら、一羽も当たらなかったので、ましてや飛行機に対し発砲すると、日本軍の存在がばれて、報復の爆弾が降ってくるだけで、無駄と判断して、部隊長が航空機への機銃反撃は止めるよう命令したそうです。まともな指揮官もいたのです。
 牟田口という司令官は、チンギスカーンに倣い、馬倒れれば馬を食らい、とかいって、輸送馬などを食糧とする、という程度の兵站感覚で、自分はトラックに乗せた芸者らも引き連れて進発したという。全く言語道断の司令官です。

 太平洋戦線(グアダルカナル島)でも、現場将校達は、まともな作戦計画を立案できず、夜襲・肉弾突撃という、全く部下を無駄死にさせる作戦を多用したので、米軍、豪軍などは、夜襲に備えて機関銃を並べ、毎晩のごとく日本兵を機関銃の餌食にしたそうです。兵隊に食べさせる食糧もないし、士気を保つという目的も加わり、無意味な夜襲作戦を繰り返したようです。大本営でも、いくら多数の兵士が無駄死にしても、紙の上では、どこそこで夜襲、戦果多数などと、統計的なきれい事を並べられれば、それで良かったようです。小生は、そういう昭和期の軍人、あるいは、203高地で同じように、肉弾突撃を無意味に命令し、繰り返して、兵士の生命を軽視したという乃木希典将軍などが大嫌いです。
 もちろん、米軍、その他でも、映画ではそういう場面も出てくるでしょうけど、日本軍の規模で、兵站軽視によって、作戦現場で兵士を飢えさせ、或いは無駄な肉弾攻撃主義で、人命を損なった軍隊は少ないと思う。朝鮮戦争における人民解放軍も、兵器不足を人命でカバーしたらしいけど、それは共産党の軍隊だから、非人道的な面があって当然かも。
 我が日本軍だから、許せない!形式主義、作戦思想の貧困、せめて機関銃とか、三八式歩兵銃よりはまともな兵器をより多数配備、装備して、戦う位の常識もなかった軍隊とは、情けない!!
返信する
眞子内親王の場合 (スポンジ頭)
2010-03-06 20:32:27
横レスすいません。

眞子内親王の場合は学習院が荒れているので避けた感じですね。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20100306-00000008-scn-int
>>ナイフによる傷害事件もあり、隠密に処理され、表に出てないと保護者から聞いたことがあり、

ttp://headlines.yahoo.co.jp/cm/personal?z=20100305-00000165-jij-soci&u=.7f9ExZ883gXStOlWENuVfc-
>>眞子様がICUに入学したり学習院離れも偶然ではないと聞いている。

初等科の話だそうですが、これが本当ならひどい。眞子内親王の場合は皇室キリスト教取り込みの陰謀ではないと思います。
返信する
Re:韓国のクリスチャン (mugi)
2010-03-06 20:26:54
>室長さん、
 
 紹介されたとおり、韓国のキリスト教徒はやはりプロテスタントがカトリックより多く、元大統領・金泳三は前者、金大中は後者です。'94 年の統計では国民の24%がキリスト教徒だそうで、在日もクリスチャンが多いと聞きました。在日もプロテスタントが多いのか不明ですが、統一教会以外にも如何わしいカルト系キリスト教団も少なくない。

 アフガンで韓国人布教団が人質になり、殺害された事件がありましたね。こちらでは失敗しましたが、全世界に布教の姿勢を示す韓国のキリスト教会の動きは不気味です。日本のキリスト教会では韓国人神父を招いたりするそうで、連帯して反戦、平和活動とやらを行っているから、反日敵対集団でしょう。
 韓国人クリスチャンは国内でも他宗教に敵対的な行動をすることもあり、偶像崇拝を止めさせるため、他宗教の施設を破壊した者がいたことを、以前ネットニュースで見ました。このような教徒とは、絶対共存できませんね。
返信する
Re:昭和期軍部への恨み、など (mugi)
2010-03-06 20:24:58
>室長さん、

 私も水木しげるの従軍体験を描いた漫画「総員玉砕せよ」を見たことがあり、とかく訳もなく部下を鉄拳で殴るシーンがありました。作家・池波正太郎の軍隊体験を書いたエッセイにも、自らが殴られたことが描かれてあり、私自身も昭和期の日本軍に対するマイナス・イメージが強かったですね。
 しかし、軍隊や戦争を扱った米国映画を見て、特に日本軍だけが酷かったとは言えないのではないか?と思うようになりました。「地上より永遠に」「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」…酷い上官が登場したり、軍隊内部のイジメも出てくる。映画は誇張もあるかもしれませんが、ソ連邦崩壊前後は軍隊内でリンチや兵士の餓死者まで出ていた!第一次大戦を描いたレマルクの小説「西部戦線異状なし」も、軍隊内部の非人道性が見られる。これは日本軍の特殊事情ではないのではないか、と。

 日本の作家達の幹部将校への怒りは共感できますし、当然だと思います。兵站・補給もまるでなってない上、精神主義だけを唱え、兵士の生命を軽視したのは論外でした。
 ただ、日清、日露戦争時は兵士を大切にしていたのかも疑問に感じます。先の戦争で軍幹部の形式主義、非人道性への憤りが消えない理由は、敗戦ということに尽きるのではないでしょうか?極めてありえないことにせよ、もし勝利していれば、かなり心象も違ってきたのでは?

 国務省のお役人がライシャワーの悪口を言っていたのは興味深いですね。本当の敵とは見ていないというのは、日本には既に反抗する気概もないと思っていたのかも。もっともライシャワーのような大使がいたからこそ、日米同盟が巧く機能したのではないでしょうか?
 大英帝国も大米帝国も諜報機関をフル活用し、使えそうな現地人協力者を育成するのはお手の物です。たとえ戦後の日本で米国から資金を得ていた文化人でも、日本の国益になる正論を吐いていれば構わないと私も思います。しかし、時代と共に価値観は変わる。左翼全盛の'70年代前半なら山本は有益だったかもしれませんが、今では有害だ、と言った団塊世代の女性ブロガーもおり、私も同感です。

 私が山本に不信感を持つのもユダヤの息のかかったクリスチャン、ということに尽きます。欧米列強の植民地で改宗クリスチャンがいかに忠実な協力者、売国行為を働いたか知っているし、現に日本人キリスト教徒にも反日傾向がある。血筋的には同じでも宗教が異なれば、別民族となるのが他国では当り前です。

 私も韓国通ではないので、あの国の宗教事情には浅学ですが、「世界宗教地図」(石川純一著、新潮文庫)によれば、朝鮮半島でキリスト教が根付くようになったのは近代になってだそうです。清の属国として政争に明け暮れ、腐敗を極める李氏朝末期、儒教を真っ向から否定するのはキリスト教だけだったので、抵抗運動のドクマになったそうです。日本からの独立運動家にも朝鮮人クリスチャンが多かったそうで、戦後も民主化、労働運動を指導したとか。
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韓国のクリスチャン (室長)
2010-03-06 13:15:12
mugiさん、
 その後、wikiの情報を当たってみると、韓国では人口の3割がクリスチャンで、キリスト教の布教は、併合後の総督府なども支援したらしいことが記述されている。すなわち、日本統治下の韓国で、キリスト教宣教師が増えたらしい。
 興味深いことに、カトリック対プロテスタントの比率は、1:2と後者が多いらしい。しかも、スコットランド特有の長老派教会が強いらしい。なぜ長老派?と小生には少し不思議でしたが、確かに今から25年ほど前位置度韓国を観光したときに見たのは、長老派教会の看板で、ソウル市の中心部だったように思う。
 また、最近では、韓国の教会が全世界に派遣する宣教師の人数が、米国など他の教会に比べて異常に多いらしい。この数字には、統一教会という文鮮明の偽キリスト教の宣教師も含むのかどうか?(日本人の統一教会信徒は全世界の各地にはびこっています)。

 ともかく、韓国のキリスト教会は、全世界に布教の姿勢を示しているし、パラオでは、この韓国教会施設を宿所にして、韓国の医師、看護師による短期の「診療ミッション」が来訪して、現地人に医療支援するなど、巧妙に各国に浸透工作している感じでした。
 
 
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昭和期軍部への恨み、など (室長)
2010-03-05 23:14:48
mugiさん、
(1)昭和期軍幹部の形式主義、非人道性
 大米帝国が、占領した日本国に、将来とも使えそうな人物にてこ入れして、戦後も資金提供したりして育成してやっていた・・・それが山本七平の正体だ、ということですか。まあ、あり得る話しでしょう。資金を出せる機関としては、やはりCIAなのでしょう。とはいえ、あの当時、山本は、それなりに左翼思想の観念論を排撃し、「正しい右翼思想」を指し示そうとしていたように、小生は感じていました(70年代後半だと思うけど)。
 また、小生は、インパール作戦に関する批判的な記録を中学生の頃図書館で読んでいたので、昭和期の日本陸軍に対し、非常にマイナス・イメージが強く、山本七平、水木しげるなどが、昭和期の陸軍で将校が訳もなく部下を鉄拳で殴るとか、作戦現場への兵站が、ほとんど無視されていて、現場で兵隊達が食糧、飲料水の調達も出来ず、餓死者まで出る、或いは南洋で風土病でどしどし死亡する、などの惨状があり、他方で、将校らは缶詰とか、良い食糧を独占して配給されたり、インパール作戦の司令官などは、芸者を引き連れて進発するなど、全く呆れたことばかり。
 そういう意味で、司馬遼太郎も、昭和の幹部青年将校達を呪うようになるし、山本、水木も、何とか生還できたことを喜びつつ、戦争中の大本営、秀才参謀達の現場の苦労無視、非人道的な突撃作戦だけという精神主義に大反発したこと、戦後も、そういう幹部将校への反感が消えなかったことなど、全く正しいと思います。兵站・補給という概念が不十分で、現場では夜襲・突撃という、体当たり主義、兵隊の生命の軽視、全て昭和期軍部の大欠陥です。だから、元来クリスチャンだった山本七平は、昭和期の軍部を大嫌いになっただろうし、水木しげるも、司馬遼太郎も同じだったと思う。

(2)ライシャワー大使への悪口
 ハワイにいるとき、在日米大使館に勤務していた国務省のお役人と話したことがあります。彼は、自分が仕えていたライシャワーという大使について、日本側の利益に配慮しすぎて、圧力行使を控え、米国の国益を損なった、ダメな大使であったと酷評していました。
 館員としては、もっと強行に日本に圧力をかけて、叱りつけて欲しい場面でも、ついつい柔らかく苦情を言う程度で、効果が薄かったのだそうです。そういう本音を日本人である小生に、はっきり言う人がアメリカの外交官の中にはいて、まあ、ある意味米国人は、本音としては、日本人をそれほど嫌いではないのだな、と感じたものです。舞台裏をある程度明かせると考えていると言うことは、本当の敵とは見ていないということ。
 在日米大使館ばかりではなく、どこでも米国の外交官は、現地政府に圧力をかけ、自国の国益にそった形での政策を押しつけるのです。また、現地にCIAエージェントを養うのも、当然のことでしょう。
 他方、小生も、戦略的には日米協力を重視する方なので、山本七兵が、CIAエージェントでも、言っていることが正しければ構わない。しかし、mugiさんが言うように、色々それなりの偏見があるとすれば、そこは気をつけないといけませんね。

(3)韓国には、何故クリスチャンが多い?
 さて、山本がクリスチャンで、米国政府から信用され、支援もされていたということと関係があるのか、無いのか。小生は、ハワイでかなり多くの韓国人が、現地の韓国人教会(注:ハワイでは、各クリスチャンが、宗派別ではなく、民族別に、日本人は日本人教会、韓国人は韓国人教会、サモア人は、サモア人教会にそれぞれ日曜毎の説教を聞きに行く、という状況だった)に通うクリスチャンだと気づき驚きました。たぶん現在、韓国人の約4割は、クリスチャンで、しかもカトリックよりプロテスタント系が多いのではないかと思う。
 本来韓国人も、仏教と儒教が宗旨だったと思うが、朝鮮戦争後に、クリスチャンが増えたのではないかと想像します。小生がハワイにいた、80年代初頭、ハワイ(米国)に移民が認められる韓国人は、医師、弁護士、技術者などの高学歴者が多かったけど、中には在日だった人も結構いて、彼らは、どうも推測するに、クリスチャンが多かったように思う。米国が、韓国移民の受け容れ枠を緩和したのは、まず、ベトナム戦争への韓国軍の貢献が理由の一つだが、その緩和枠の中でも、クリスチャンの方が、移民を認可されやすい、というような状況もあって、韓国で急速にキリスト教が勢いを増したのでは無かろうか?それに、朝鮮戦争もあって、韓国人の多くが、一族を分散しておく必要性、特に米国に一族の誰かを移住、移民させて、いざ再度半島に動乱があれば、米国に難民として受け容れて貰いたい、という思惑もあり、そういうような非常時に役立つのは、キリスト教会系の支援機関でもある・・・そういう意味でも、一族の生き残り作戦として、キリスト教徒になる、という選択があったのではないか?と、小生は、過酷な韓国人の歴史的教訓から、クリスチャン信仰への転換、米国移民、或いは諸外国への移民の増大があったという風に想像しています。
  もっとも、以上は推測で、小生はきちんと調べていないので、誰か韓国通の人にご教示願いたいですね。
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Re:疑心暗鬼・・ (mugi)
2010-03-05 21:21:19
>人参さん、

 全く同感です。憲法9条を持ち上げるサヨク同様、日本人クリスチャン文化人の多くは他国のひも付きだろうと私は見ています。捕虜になって以降、山本はずっと米国に仕えていたはず。アメリカの大学教授が大宅壮一ノンフィクション賞授賞式に、ベンダサンの代理として出席しただけで意味深だと思いませんか?

 英領インドでも王族を取り込み、統治に利用したように、日本の皇室にも同じ対応をしたのは容易に想像が付きます。皇族を改宗させれば、キリスト教化が出来ますからね。山本も知人の米国人たちと「何故、日本でキリスト教が普及しないのか」と話し合っていたから、その手先だったはず。他宗教を認めないのがキリスト教ですから。

 不可解なのはクリスチャンでもないはずのブロガー氏の盲目的崇拝ぶり。一物書きの意見を疑いもしない能天気さはサヨクといい勝負です。
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疑心暗鬼・・ (人参)
2010-03-05 13:53:59
国際基督大学の設立にD・マッカーサーは関与しているようです。
戦後指導者を失った日本にキリスト教を布教させようとしたような文を何かで読んだ記憶がかすかに・・。
眞子内親王はこの大学に入学されたそうです。
「天皇のロザリオ」なんていう本もありますし。
私としては戦後の平和は、憲法9条ではなく、
アメリカによる日本平定状態であることに日本国民が気付いてほしいものです。
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