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集団主義というレッテル

2010-03-07 20:18:45 | 歴史諸随想
 よく日本人及び日本社会は、集団主義と表現される。この集団主義には明らかな否定的概念が含まれており、マスコミが日本社会を叱責する際に使う常套句となっている。ネットでも左派はもちろん右派、保守、中道系ブロガーも日本人の欠点として集団主義を挙げる。私も以前は周囲に同調しすぎる日本人の特徴だと思っていた。しかし、最近は集団主義に別な考えを抱いている。文化圏が異なれども集団主義に無縁な社会など、果たして存在するのか?個人主義とされる欧米は世界でも少数なケースであり、それ以外の社会ではまず見られず、血縁・部族社会ではないだろうか。

 学生時代に見た本で、題名も著者名も忘れたがイギリス人の書いた書の中で、ドイツ人の集団主義や生真面目さを揶揄する箇所があった。「ドイツ的クソ真面目」の表現を使ったり、ドイツの知識人が肩書きに博士号を幾つも並べる権威主義傾向を指摘、この作者はドイツ人の習慣を物笑いの種にしているのが文面から感じられた。日本でも尊敬を受けている歴史学者トインビーも、母国では「ドイツ的クソ真面目」の性格のため、その功績を讃えるよりも嘲笑される傾向があると描かれていた。ちなみに先日知ったばかりだが、トインビーは第一次世界大戦後の希土戦争におけるイギリスのギリシア支援を批判し、多くの友人を失ったという。彼は祖国の不当な政策を批判したつもりだったろうが、これまた「ドイツ的クソ真面目」に入るのだろうか?

 007の作者イアン・フレミングの小説「私を愛したスパイ」は映画化されているが、原作はまるで違うストーリーとなっている。語り部の「私」はフランス系カナダ人で、ジェームズ・ボンドと出会う前、ドイツ人の恋人がいたが、クソ真面目でまるで融通が効かず、ユーモアのセンスもない上、男尊女卑思想の持ち主。しかも結婚するのはドイツ人と決めていると言い、「私」を捨てる。小説の中で“野菜”という俗語も見られ、従順なドイツ式妻を指すことを知った。
 小説どおりの無粋なドイツ男はもちろん今もいるだろうが、このタイプならイギリス人や他の民族も珍しくないはず。これはイギリス人から見たドイツ人のステレオタイプの戯画ではないか、と想像した。ドイツ人側がイギリス男をどうイメージしているか不明だが、情報の発信力の点でもイギリスはドイツを圧倒しており、たとえ的外れであっても前者の流すイメージがそのまま定着するのだろう。

 日独共に敗戦国であり、勝者となった英米は情報戦にも圧勝、都合のよい思うがままの情報を操作、真実、ニセ問わず大量のそれを全世界に洪水のように流し、受け手も知らず知らずに洗脳されていくのではないか…と最近、私は思い始めている。日独に限らず他の世界も同様であり、一旦欧米メディアによって冠せられたレッテルは消し難く、メディアの情報が真実として定着する。マスコミが売りにするのは正確さではなく、速さと面白さなのだ。視聴者に受ければ、誤報だろうが意にも介さない。正しいニュースなど、まるで屁のようなものだろう。

 集団主義というのは容易だが、どのような状態を集団主義と定義するのだろう?私の手元にある国語辞典(小学館)で、「集団」は「集まって一団となった人・もの」とある。ならば集団主義に定評のある日本人も、軍隊でもない限りその状態は難しいのではないか。集団主義とは常に群れたがるという意味合いだろうか。
 純然たる定住農耕社会で牧畜文明のない島国の日本が均一性の高いのは事実である。しかし、人間が一人では生きられないのは何処の世界も同じだ。孤独を好む人もいるが、全くの人間嫌いでもなければ時には人恋しくなるのは自然の情であり、直接でなければ昔なら手紙、今はネットを通じて人と交流する。

 ネット上で盛んに日本の集団主義を非難する者の多くは左派であり、拙ブログにもその類の者からコメントがあった。「日本人は集団主義なので、何でも一般化(レッテル貼り)…」と言った当人が、「皆が合理的に参加」「皆が生き生きして暮らせる」など書いていたのは滑稽だった。これぞ皆が一律に行動すべきという集団主義発想の極みであり、安易に日本社会を一般化した見方を並べている。社会主義自体、“個”など絶対認めない思想ゆえ、発想も集団というより全体主義を帯びてくる。人の社会観はその者自身の考えや人生が反映されているため、鏡に映った己自身の集団主義性癖と思想を重ね合わせて見ていたのだろう。

「自国以外、全て仮想敵国」と言ったのはチャーチルだそうだが、日本人が非集団主義となり、国内世論が四分五裂、まとまりを欠く状態を喜ぶのは仮想敵国やそれに奉仕する左翼はもちろん、同盟国も変わりない。弱体化して大人しくカネを払い続ける国家くらい、国際社会にとって望ましい存在もない。日本の集団主義を批判する文化人は大衆の為ではなく、おためごかし目的が殆どだろうと、私は見ている。

◆関連記事:「村社会
 「個を認めない社会

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6 コメント

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ハリウッド映画発想の根っこ (室長)
2010-03-08 11:21:27
mugiさん、またおじゃまします。
(1)日本人は、余りしゃべらないから自我、個人が弱いように見える
 集団主義と個人主義、個人の自由な立場を尊重する社会の方が、社会主義体制とか、あるいはナチズムの社会よりは、正しい、という発想でそういう区別をして、相手側にレッテルを貼り付け、非難するのです。日本人社会も集団主義として、左翼は否定的に捕らえる。日本人にアジルには、「それは恥だ」というのが一番効き目があるから。実際には、日本人も一人一人意見を持ち、異なる人格であるのに、自己表現しないから、画一的に見えてしまう。実は逆に左翼ほど、社会主義的思想から見ても、集団主義的であるとのご意見も、その通り。

 ところで、戦後の日本人に関しても集団主義との「批判的」形容が、往々にしてなされていることは、何が原因なのか?会社の利益に貢献することに誇りを感じて、残業手当なども、さほどうるさくは要求しないとか、労組の左翼思想に反発を感じて、集団主義的なメーデー集会にも参加しないし、家では良きパパ、酒場にも余り行かず節約志向で、つきあいが悪い、そういう人間は、本当は個人主義的であるにもかかわらず、左翼からは、会社にべったりの集団主義的性格と誹謗される・・・・まあ、何が集団主義で、何が称揚されるべき個人主義なのやら、正体不明の議論ばかり??

(2)自由とは、宗教・神からの人間個人の自由という発想が最初
 ともかく、西欧、米国で重視される「自由」の概念の根本には、伝統的なキリスト教という、個人を束縛し、惨めにしてきた、悪しき教義の古い宗教としての「キリスト教からの自由」という思想も入っていたように思います(近代啓蒙主義)。「独立」を個人の側面で解釈すれば、やはりキリスト教のドグマからの独立、自らの思索に基づいて、個人としての真実の自由を獲得すべきという、そういう概念も、やはり啓蒙主義の流れでは出てくると思う。

(3)ハリウッドのユダヤ系監督達も、啓蒙主義者
 ハリウッドの映画産業も、20世紀初頭など、元来は、キリスト教の教義からは自由で、更にユダヤ教のドグマからも少し距離を置く、「自由な発想のユダヤ系」が集まって、新大陸アメリカにおける、非宗教的な自由な発想で、恋愛とか、戦争とか、未来社会、などを描いてきた、という伝統があるように思います。やはり、近代啓蒙主義の系統が、ハリウッド映画だし、その中で圧倒的存在感のあるユダヤ系の文化人達なのではないでしょうか?現実社会では実現性の低い理想を、人間としての「自由、独立」に基づく新発想で、提示してきた、それがハリウッド映画の尽き果てぬ課題ではないか?、SF映画なども、そういう視点で見てみると、荒唐無稽ながら、キリスト教的概念から遠ざかろう、ユダヤ教的ドグマから遠ざかろう、として、「先走っているハリウッド文化人達の思想」が見えてくる気がする。007映画でも、夢想的に世界支配を試みる白人の下で、黙々と、集団主義的に奉仕する兵隊達は、中国系らしい、という映画があった記憶があります。蟻のように、指導者に従順で、自ら思考しないアジア系の人間は、独裁者として世界制覇を狙う白人らにとっては、忠実で、理想的な兵隊。しかし、自由に発想し、個人的にも独立している白人達は、気が狂った独裁者願望の白人には、簡単に使いこなせない人々だから、兵隊には向かない??

(4)アジア人は集団主義という偏見
 ともかく、集団主義的な人種というのも、全くの偏見でしかないでしょう。中国人は、確かに、親族、郷党で相互扶助しますが、彼らが必ずしも集団に縛られないことは、同じ皇室内部でも皇帝を傀儡として縛りたい皇太后とか、同じく外戚として皇帝を縛りたい丞相などと皇帝自身が、激しく対立したりすること(漢武大帝のレンタルDVD映画による知識)から見ても明らかで、誰しもがやはり、誰かに制約されることは嫌って、親族の誰の意見も聞かないで、独裁的に振る舞いたいという欲望の方が強いことが明らかです。すなわち、中国人でも、大家族制システムの中でも、やはりそれなりに葛藤はあるし、集団主義的に何時も共同して対応するというものでもないのです。中国人も結構個人主義的で、自分自身の判断で動きたいのです。日本人も同じ。それが、本来の人間の性格です。

 しかし、社会学的には、何らかの偏りがあるのでしょう。でも、そういう理論を絶対視して、レッテル張りして、ステレオタイプにばかり見ていると、間違います。
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Re:ハリウッド映画発想の根っこ (mugi)
2010-03-08 21:10:23
>室長さん、

 またも、鋭い見解を有難うございました!
 特に(1)が気に入りました。仰るとおり日本人は自己表現が弱いため、自我、個人が弱いように誤解されがちなのです。ネットでもニートがサラリーマンを奴隷と書いているのは不愉快ですが、彼らは個人主義よりも社会不適応の果て孤立してしまったので、周囲への鬱屈もあり、ネットで憂さ晴らししていると思います。

 左翼こそ活動のためには仲間が必要であり、いったん入ればそれこそ滅私奉組。「皆が生き生きして暮らせる国」などの戯言を書いているだけで、頭の程度が分かる。どんなに豊かな国でも不幸な人は絶えないのがこの世なのに、集団主義というレッテルを貼る者こそ、超集団主義志向なのはお笑い種です。
 ちなみに欧米人をアジルには「それは罪だ」、儒教圏なら「それは孝ではない」、インド人は「それはカルマだ」、ムスリムには「イスラムに反する」が効果的だと思います。

「自由」の概念が宗教や文化によって、違ってくると思われませんか?同じ西欧のキリスト教徒でも民族により違ってくるし、英国人がドイツ人をクソ真面目とステレオタイプで見ていたのが興味深かったですね。まして、アジア人となれば、もっと酷い見方となってくる。
 ハリウッド映画はやはり、ユダヤ、キリスト教的概念が滲み出ていますね。やたらヒーロータイプが多いのも、救世主が現れ、衆を導く願望の具現化に見えます。007映画で集団主義的に奉仕する兵隊達が登場するのも、実際にそのようなアジア系傭兵がいたことの反映かもしれませんね。

 日本人も含めアジア人は集団主義であり、独裁者に盲目的に奉仕するというイメージは、何も近代に始ったことではなく、古代ギリシャ以来かもしれません。アジア人(この場合はペルシア)は専制君主に絶対服従する奴隷のような存在と見ていた節があり、それがずっと続いていたような。「アジア的専制君主」の言葉からも、アジア人への偏見というか、蔑視が伺えます。

 当然、アジア人も白人には偏見を抱いており、歪んだ色眼鏡で見ていることが多いのではないでしょうか?私自身も早とちりが激しいので、○○人はこうだ、とステレオタイプでカテゴリー化しているはずです。公正に見ることは、人間の性格からして極めて難しいように思えます。
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ハリウッド映画 (室長)
2010-03-08 23:36:30
mugiさん、
 ハリウッド映画に関する評価が、小生とは異なるようですね。
 どうも小生には、ハリウッド映画の多くが、キリスト教的倫理でも、ユダヤ教的倫理でもない、そういう宗教的教訓から少しはずれる近代的人間を描いている場合が多いように感じて、上記のように書いたのです。
 もちろん、かなり多くの映画が、欧米人の普通の常識、伝統に立っているようにも見えるけど、それでも、映画製作時点の各時代において、少しずつはキリスト教の伝統を打ち破ろうという「先取り的意識」が見られるように感じるのです。
 まあ、小生は必ずしも多くの映画を見ないから、米国に移民したユダヤ系文化人の多くが「啓蒙主義者、近代派」という風に初めから色眼鏡で見ているのかも知れないけど。・・・しかし、ハリウッド映画の大部分は、宗教的倫理主義に反した、行き過ぎの恋愛だったり、暴力過剰な表現であったり、SFものも、聖書的な預言とはかなり違う発想のように感じているのです。
  そもそも西欧的発想では、米国映画は、伝統社会の倫理観ではなく、産業化、近代化が発達しすぎて、制約が利かなくなった個人のエゴ満杯の米国社会を反映した、不道徳だが、自由な、新しい発想の社会、先進的な社会(例えば、西欧に比べて、女性がいかにも自由で、対等で、男っぽい)を描くことが多い、という見方ではないかと思う。日本人も、ハリウッドをそういう「先進性」という視点で、見てきたように思うのです。
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Re:ハリウッド映画 (mugi)
2010-03-09 22:32:32
>室長さん、

 ハリウッド映画も様々なジャンルがあり、時代によって流行りも変化します。仰るとおり確かに、宗教的倫理観から少し外れた近代的人間を描いている作品が多いように、一見感じられます。時代の尖端に立とうとする「先取り的意識」も鋭いし、行き過ぎた表現もある。
 しかし、よく見ると、やはり宗教的倫理観や道徳観が垣間見えてくるように、私には思えます。製作者や関係者がユダヤ、キリスト教徒という事情もあるため、聖書的価値観からは逃れられない。ハリウッド映画も好き勝手に制作しているのではなく、日本の映倫に当たるような基準もある。単なる不道徳な映画ならまだしも、イエスの最後を描いた「最後の誘惑」のような宗教上のタブーに触れる映画となれば、上映反対運動が起きたり、多くの映画館で上映拒否となる場合もあります。

 政治的な問題が影を落とすこともあり、戦争時は戦意高揚のためにプロパガンダ映画が制作される。最近のイラク戦争を扱った反米色の濃いトルコ映画も、米国内では上映禁止となりました。ハリウッド映画は日本に全て紹介されるとは限らず、日本ではどうも「先進性」を強調する作品が中心になっているように感じられます。日米では観客の好みの違いもあり、米国でヒットしても日本では受けが悪かったり、反対に米国でイマイチな作品が日本で人気が出たりする。

 それでも伝統社会が反映される西欧映画に比べれば、やはりハリウッドは自由で大胆な発想が認められる。その分、映像技術は見事でも、ストーリーが単純になる傾向がある。個人的に私は人間がよく描けている欧州映画の方が好みです。
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映画 (室長)
2010-03-09 23:49:20
mugiさん、
 ハリウッド映画に関しては、さすがに映画好きのmugiさんは、よく分かっておられるようで、的確な評価と思います。
 伝統的な価値観に立脚して、かなり現実を直視する傾向の強い西欧映画に比べると、実験的な、或いは派手な商業主義が入る米国映画は、まじめが好きな日本人には、少し飛んでいる、という感じでしょうか。とはいえ、日本人はやはり新しいものが好きという面もあるし、ストーリーを単純化して、分かり易く描く米国映画は、世界的にメッセージがしっかり伝わる。たしかに、米国の価値観を宣伝しているという見方もあるけど、世界のリーダーだからしょうがないというか。

 まあ、小生はハリウッド映画も、西欧映画も最近は見る気が失せて、韓国歴史映画、中国歴史映画のDVDレンタルばかりです。
 それぞれ、もちろん自国の古の歴史を再発掘して、更にドラマとしてみるに耐えるものとしようとして、人間の生き方、という視点から描くというか、日本のNHK大河ドラマをよく研究していると感じます。紀元前とか、紀元前後とか、中世とか、そういう時代の建物、衣装、論理、雰囲気など、やはり日本人には近しい気分にさせられる。
 それにしても、集団主義というテーマから外れて、映画論にのめり込んですみません。

 今の日本人ほど、集団主義というレッテルから遠い存在もないように感じるときもある。価値観を社会全体で共有すると、集団主義的といえるならば、一つの宗教がほぼ共有されているならば、その社会は、集団主義的になってしまうということでしょう。
 日本の場合、最近は宗教の力が弱い側面もあるし、伝統的価値観も揺らいでいるし、あたらしい思想で皆が熱狂しているようなものもないし、孤立化が進みすぎているようにも見える。

 ただし、IT社会が急進歩した現代は、アニメとか、ファッションとか、音楽とか、若者文化が急激に変化するし、これらと無縁な老人世代とは意識がずれていく、世代別に価値観が大きく違って、集団主義的といえるような現象は、起きにくい社会になってきているように思う。

 まあ、一昔前に、英米が、ドイツ、日本、ソ連などを同時に批判できる用語として、集団主義、全体主義対個人の自由を尊重する個人主義の英米、という風に、レッテルを貼ったのではないか、と想像するのです。
 ドイツ人がきまじめで、面白くないというのは、演説好きで、理屈っぽく、長々と説教するタイプが多いからでしょう。その割には、毎晩ビアホールで飲みまくり、しゃべりまくっているのも、ドイツ人なのですが。
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Re:映画 (mugi)
2010-03-10 21:54:37
>室長さん、

 映画の好みも鑑賞後の感想も十人十色であり、公開数が断トツにせよ、一般に日本では米国映画が好まれているように思えます。欧州映画はマイナー趣味の人が好む傾向があり、私もその1人です(笑)。米国映画は派手だし、商業主義が強い上、アメリカンスタンダードを前面に押し出すのを厭う人は、他の文化圏の映画を見たがるのかも。米国以外の外国映画では一般市民が描かれ、自国の価値観を宣伝した作品は、まず見たことがないような。

 私はまず韓国歴史映画、中国歴史映画のDVDをレンタルしたことがありません。昔のNHK大河ドラマやアニメを借りてきて見るという、「懐古厨」となっている(笑)。やはり、隣国の歴史映画は日本の大河ドラマの影響を受けていたのですか。最近の大河ドラマは暫らく前からずっと見ておりません。映画館では中国歴史映画を何回も見ておりますが。

 仰るとおり、現代の日本人くらい集団主義に程遠く、特に若い人ほど孤立化が進んでいるように思えます。少子化で人付き合いの苦手な若者も増えたのでしょうけど、豊か過ぎるとパワーも失われるのかも。マスコミも「おひとり様」「草食系」が時代の流行だとばかり取り上げ、大人しく従順にさせているような。

 イギリス人もパブで飲みまくっている印象が強いですね。イギリス人も議論好きで理屈っぽいと思われがちですが、こちらはドイツ人のようにあまりしゃべりまくらない?
 日本人もきまじめで、面白くないというイメージが強いですよね。酒場でもしゃべらず、大人しいからそう見られているのかも。英米が世界のマスコミを牛耳るのだから、今でも思いのまま的外れのレッテルを貼るのは朝飯前です。
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