その一、その二、その三、その四の続き
クレタ島の反乱は欧米諸国ではあまり関心を引かなかったが、イスタンブル市中での虐殺事件は、「憎むべきアブデュル」への世論喚起運動を再燃させた。当時、欧米人が他にも様々な別名をアブデュルハミト2世に付けている。「大殺人者」「ユルドゥズ(宮殿)の怪物」「血染めのスルタン」…
英国の雑誌「パンチ」誌には1896年1月既に、「呆れてものが言えないトルコ人」という見出し付きの諷刺画が載っていた。半月刀を持ったスルタンが、「ハ、ハ!誰もいなくなったぞ!さあ、また仕事にかかるかな!」という台詞付きで描かれている。
7年前のトルコ訪問で大歓迎を受け、好感を抱いたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世さえ、自国の大使宛の書簡の余白に、「スルタンを退位させるべきだ」と書いている。ヴィルヘルムはベルリン駐在英国大使に、別のスルタンと外相を擁立することを検討してはどうかと勧告した。
だが、真剣にそうする意志はなかったらしい。数日内に、「3人の皇帝(ドイツ、オーストリア、ロシア)」は「外部から干渉しなければ」オスマン帝国は今後しばらくは保持されるだろうとの見解で一致した。まもなくドイツ皇帝はアブデュルハミトに、最近のホーエンツォレルン家の署名入りの写真を、個人的に好意をもっている徴として送っている。欧州列強同士の根強い不信と、各国が互いの政策意図に猜疑心を抱いていることがオスマン帝国とスルタンに幸いした。
アルメニア人過激派によるオスマン帝国銀行襲撃事件直後、列強のライバル同士の外交官の間では様々な憶測が飛び交わされている。陰謀論といった観も強いが、いずれも確証は出てこなかった。襲撃を事前に知っていたのは誰か?なぜ大勢の裕福なアルメニア人が火曜日と水曜日の朝、船で首都を去ったのか?首都で虐殺事件があったこの週、何故イタリアは“密かに”サロニカとスミルナに軍艦を派遣したのか?他の大使館はそれを予め知っていたのか?なぜ英国地中海艦隊は数か月前に立てられた作戦計画通りにマルタからレムノスに向ったのか?
英国大使館では、銀行襲撃の背後にロシアが控えていると疑っていた。何故なら今こそ、ロシアのイスタンブル“奇襲攻撃”にまたとない好機だったである。実際にロシア大使が過去4年間に亘り提唱してきた計画には、ボスポラス海峡を海軍で奇襲攻撃し、軍を上陸させ、金角湾に電撃的突進を行うというものがあった。だが、ロシア皇帝の信頼する顧問官は極東への関心が強く、計画は実行されなかった。英国外務省もロシア方面からの情報報告により、ロシアの計画や軍の動きを逐一把握していたのである。
結局、虐殺事件が起きた後も列強による軍事懲罰は皆無だった。これら諸国の動きを熟知しているスルタンには、度重なる部外者からの干渉のひとつに過ぎない提案に屈服する理由もなく、アルメニア人虐殺という汚名などびくともしなかった。
そして、1896年の虐殺事件をきっかけに富裕層を中心にアルメニア人は欧米への移住者が続出、都市部のアルメニア人人口は一気に減少する。それでも一掃された訳ではなく、その一にも書いたように、ユスキュダル出身で弱冠21歳のアルメニア人グルベンキヤンが宮廷で採用されている。オスマン帝国末期、鉄道や通信技師のような西欧式技術を身に付けたエンジニアの殆どは、ギリシア人やアルメニア人のようなキリスト教徒だった。そのため、宗教や民族の違いがあっても、帝国内では働き口に不足しなかったのである。
欧米ではアルメニア人虐殺実行者で知られるアブデュルハミトだが、33年に亘り専制支配を敷き秘密警察を活用、ムスリム臣民さえ多数殺害しているため、トルコでは「赤い皇帝(Kızıl Sultan)」と呼ばれている。Kızılはトルコ語で赤であり、血塗れ皇帝といった意味合いがある。
だが、決して無能な暗君や狂信者ではなく、内憂外患そのものの時代に30年以上に亘り帝国を保持している。西欧文明を取り入れ国家の近代化の基礎を築いたという面もあって、功罪両面で評価は別れている。
アブデュルハミトが写真を合法化したエピソードは興味深い。写真は専制政治を支える密偵たちの活動に大いに役立つからだ。神学者たちは写真は偶像を禁止した聖法に違反するとして反対するが、次のようにスルタンは論じた。つまり、写真とは光と陰で構成されているが、光も影も偶像ではない。したがって写真は偶像ではないし、写真を活用することは聖法に違反しない。スルタンの論法に神学者たちが反論できなかったのは書くまでもない。
同様にしてスルタンは、電信機も合法化した。電信機を悪魔の発明と見なす神学者をこれを設けた宮殿の一室に集め、外部からコーランの一節を打電させ、「これが悪魔の発明品なら、聖句を送受信できるはずはない!」と宣告、神学者たちを恐れいらせたという。
その六 に続く
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