大乗、小乗とわず仏教世界では仏舎利は信者の崇拝対象となっている。釈迦入滅後、荼毘にされた遺骨及び遺灰は8等分され、それがインドのみならず仏教圏に拡散されるに至る。これと似たような現象が西欧のキリスト教世界、殊にカトリックでも広く行われていた。崇拝対象となるのはもちろんイエスの遺骨ではないが、教祖にまつわる物全てであり、これらは聖遺物と呼ばれた。
聖遺物の一例を挙げると、最後の晩餐のテーブルやイエスが掛けられた十字架の木片、教祖の被らせられた茨の冠の刺、イエスの遺骸を包んだトリノの聖骸布などは有名な遺物。他にも聖地を巡礼した人々が現地から持ち帰ったお土産も聖遺物とされ、甲子園の土を持ち帰る高校球児の様にイエス昇天の地の土を持ち帰る巡礼者も絶えなかった。そのため、しばしば現地では土が補充されていたという。
イエス縁のガリラヤ湖やヨルダン川の水もまた当然貴重な“土産物”であり、こちらは持ち運びに便利なよう、聖地ではテラコッタ製の小壷が売られていた。その表面には十字架が刻まれ、裕福な巡礼者のためにはガラスやクリスタル、銀製の小壷まであったという。異教徒にとってはタダの水でも、巡礼者が持ち帰ったものは立派な“聖水”であり、聖遺物に昇格するのも自然な流れだった。
敬愛する人に関係のあるものを敬う気持は極めて人間的だが、この現象は食人種の風習にまで遡ると見る学者もいる。彼らは自分達と勇敢に戦った敵の心臓や肝臓や目を食べ、それにより敵の勇敢さを我が物にする目的もあった。のみならず、乾燥した首や腕や手なども首から下げ、お守りにすることもあった。古代エジプトはさすがに敵を食べなかったにせよ、遺体信仰は立派に存在した。有名なのはオシリス神の14に分断された遺体への信仰であり、頭の骨を祭った神殿が他の箇所より格が上だった。
古代ギリシアも神々以外に英雄への崇拝があり、彼らに関する遺物が崇拝対象とされた。意外に知られていないが、ギリシア文明はエジプト文明の強い影響を受けており、それなしではあの高い文明も成立しなかったかもしれない。キリスト教も元は中東生まれの宗教で、少数派ながらオリエントのキリスト教徒もいる。
キリスト教も初期は殉教者が多かったため、彼らの遺体遺物を崇拝することから聖遺物信仰が始まったそうだ。聖職者上層部ははじめ、この種の信仰に反対だったが、結局は信者獲得に効果的なためか黙認し、5世紀頃には反対意見は消滅する。十字軍時代は聖遺物が大量に獲得され、仏舎利同様極めてまがい物が多かっただろう。なお、プロテスタントは聖人崇拝と共に聖遺物信仰も禁じ、プロテスタントが支配的となった地方の聖遺物は見事な工芸品の器もろとも破壊されたという。
仏映画『王妃マルゴ』の原作本(大デュマ)の中に、ヒロインのマルゴが非業の死を遂げた恋人たちの心臓をスカートのポケットに入れていたと伺わせる箇所が見える。恋人の遺品を身につけるのは日本人にもいるものの、せいぜい遺髪程度であり、日本人と西欧人の感性の差に驚いた。王妃マルゴことマルグリット・ド・ヴァロワは男性遍歴で知られる美女だが、母カトリーヌ・ド・メディシス(※聖バルテルミーの虐殺の火付け役)のように冷酷な女ではなかった。当時のローマ教皇グレゴリウス13世は虐殺事件の報を聞くと聖歌を歌って神を賛美、記念メダルを作らせた。今日に至るまでカトリックはこの虐殺事件を公式に謝罪していない。
私が住む仙台にも仏舎利塔があり、これを報じたサイトもある。戦後、インド初代首相ネルーから仏舎利が日本に贈られ、それを元に各地に仏舎利塔が多数建立されており、仙台の塔もそのひとつ。どうも不信の輩の私には、それってホンマものか?と疑念が拭えない。wikiにも「現在(21世紀初頭において)、世界に現存する「仏舎利」と称するものの乾重量を合計すると、ほぼ2トンに達するといわれる。これらがすべて釈迦の遺骨であるとすれば、彼はインドゾウに近い体型であったろうと言われる」との解説がある。
十年以上前だったと思うが、東京の美術館で中国の仏舎利が展示されていたが、赤や青、黄色の粒状の小石もあり、まず偽者なのは確かだ。仙台のそれもまがい物だろう。
日本には何とあの三蔵法師こと玄奘の分骨まであり、これを紹介したブログ記事もある。これまた本物かどうか如何わしい代物であり、「あなたは西遊記が好きですか?三蔵法師を尊敬していますか?」の詰問調の題から、親中感情を喚起したい意図が極めて濃厚のようだ。玄奘は偉大な僧であると共に冒険家であり、『大唐西域記』は第一級の歴史資料である。しかし、西遊記での三蔵は気の弱い優男で、「今夜の食べ物や寝る場所はどうする?」と孫悟空に駄々をこねており、高僧には程遠い情けなさ。
ヘロドトスやウェルギリウスの作品を愛読、作者を尊敬しても、現代のギリシア、イタリアと混同せず、好意的よりもシビアに見る西欧人インテリと違い、日本人は実に感傷的でナイーブだ。俗物根性の私なら偽舎利よりも銀シャリの方がずっと有難い。
■参考:「イタリア遺聞」(塩野七生著、新潮社)
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聖遺物の一例を挙げると、最後の晩餐のテーブルやイエスが掛けられた十字架の木片、教祖の被らせられた茨の冠の刺、イエスの遺骸を包んだトリノの聖骸布などは有名な遺物。他にも聖地を巡礼した人々が現地から持ち帰ったお土産も聖遺物とされ、甲子園の土を持ち帰る高校球児の様にイエス昇天の地の土を持ち帰る巡礼者も絶えなかった。そのため、しばしば現地では土が補充されていたという。
イエス縁のガリラヤ湖やヨルダン川の水もまた当然貴重な“土産物”であり、こちらは持ち運びに便利なよう、聖地ではテラコッタ製の小壷が売られていた。その表面には十字架が刻まれ、裕福な巡礼者のためにはガラスやクリスタル、銀製の小壷まであったという。異教徒にとってはタダの水でも、巡礼者が持ち帰ったものは立派な“聖水”であり、聖遺物に昇格するのも自然な流れだった。
敬愛する人に関係のあるものを敬う気持は極めて人間的だが、この現象は食人種の風習にまで遡ると見る学者もいる。彼らは自分達と勇敢に戦った敵の心臓や肝臓や目を食べ、それにより敵の勇敢さを我が物にする目的もあった。のみならず、乾燥した首や腕や手なども首から下げ、お守りにすることもあった。古代エジプトはさすがに敵を食べなかったにせよ、遺体信仰は立派に存在した。有名なのはオシリス神の14に分断された遺体への信仰であり、頭の骨を祭った神殿が他の箇所より格が上だった。
古代ギリシアも神々以外に英雄への崇拝があり、彼らに関する遺物が崇拝対象とされた。意外に知られていないが、ギリシア文明はエジプト文明の強い影響を受けており、それなしではあの高い文明も成立しなかったかもしれない。キリスト教も元は中東生まれの宗教で、少数派ながらオリエントのキリスト教徒もいる。
キリスト教も初期は殉教者が多かったため、彼らの遺体遺物を崇拝することから聖遺物信仰が始まったそうだ。聖職者上層部ははじめ、この種の信仰に反対だったが、結局は信者獲得に効果的なためか黙認し、5世紀頃には反対意見は消滅する。十字軍時代は聖遺物が大量に獲得され、仏舎利同様極めてまがい物が多かっただろう。なお、プロテスタントは聖人崇拝と共に聖遺物信仰も禁じ、プロテスタントが支配的となった地方の聖遺物は見事な工芸品の器もろとも破壊されたという。
仏映画『王妃マルゴ』の原作本(大デュマ)の中に、ヒロインのマルゴが非業の死を遂げた恋人たちの心臓をスカートのポケットに入れていたと伺わせる箇所が見える。恋人の遺品を身につけるのは日本人にもいるものの、せいぜい遺髪程度であり、日本人と西欧人の感性の差に驚いた。王妃マルゴことマルグリット・ド・ヴァロワは男性遍歴で知られる美女だが、母カトリーヌ・ド・メディシス(※聖バルテルミーの虐殺の火付け役)のように冷酷な女ではなかった。当時のローマ教皇グレゴリウス13世は虐殺事件の報を聞くと聖歌を歌って神を賛美、記念メダルを作らせた。今日に至るまでカトリックはこの虐殺事件を公式に謝罪していない。
私が住む仙台にも仏舎利塔があり、これを報じたサイトもある。戦後、インド初代首相ネルーから仏舎利が日本に贈られ、それを元に各地に仏舎利塔が多数建立されており、仙台の塔もそのひとつ。どうも不信の輩の私には、それってホンマものか?と疑念が拭えない。wikiにも「現在(21世紀初頭において)、世界に現存する「仏舎利」と称するものの乾重量を合計すると、ほぼ2トンに達するといわれる。これらがすべて釈迦の遺骨であるとすれば、彼はインドゾウに近い体型であったろうと言われる」との解説がある。
十年以上前だったと思うが、東京の美術館で中国の仏舎利が展示されていたが、赤や青、黄色の粒状の小石もあり、まず偽者なのは確かだ。仙台のそれもまがい物だろう。
日本には何とあの三蔵法師こと玄奘の分骨まであり、これを紹介したブログ記事もある。これまた本物かどうか如何わしい代物であり、「あなたは西遊記が好きですか?三蔵法師を尊敬していますか?」の詰問調の題から、親中感情を喚起したい意図が極めて濃厚のようだ。玄奘は偉大な僧であると共に冒険家であり、『大唐西域記』は第一級の歴史資料である。しかし、西遊記での三蔵は気の弱い優男で、「今夜の食べ物や寝る場所はどうする?」と孫悟空に駄々をこねており、高僧には程遠い情けなさ。
ヘロドトスやウェルギリウスの作品を愛読、作者を尊敬しても、現代のギリシア、イタリアと混同せず、好意的よりもシビアに見る西欧人インテリと違い、日本人は実に感傷的でナイーブだ。俗物根性の私なら偽舎利よりも銀シャリの方がずっと有難い。
■参考:「イタリア遺聞」(塩野七生著、新潮社)
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先日、テレビで聖遺物の短いドキュメンタリーを放映しておりました。
ノアの箱舟を作った斧、とかモーゼの杖までありました。また、ある聖人の頭部は4個以上存在してしまったり、骨の数はずいぶん合わなかったみたいです。仏様ほどではないと思いますが。
現代のローマでも、聖遺物を売り物にしている教会は結構多いのですが、あまり深く考えずに旅行者も拝観しているみたいです。
聖遺物そのものよりも、それを保管する容器のほうが芸術的だったりもしますが、人間の心理の不思議さを感じますね。
そのドキュメンタリーとは、もちろんイタリアのTVですよね?ノアやモーセの遺品と本気で信じている信者もやはりいるのでしょうか。信じる者は救われますから、その方が心身ともに健やかです。仏舎利の全世界の総量が約2tというのもスゴイ。
現代でも聖遺物は商売になり、拝観料は取られるのでしょうか。私は聖遺物を保管する容器を見たことがありませんが、信仰心は芸術性も高めたのも確かです。いちど、そのような容器を見たいものです。