『笑う子規』(天野祐吉編集、筑摩書房)を先日読了した。タイトル通り正岡子規の作品集だが、とても親しみやすい俳句が集められている。子規といえば、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」が有名だが、子規の俳句集を見たのは本書が初めて。
きっかけは行き付けの図書館の新刊コーナーに、『日本の伝統色を愉しむ-季節の彩りを暮らしに-』(長澤陽子(監修)、東邦出版)があり、借りてきたが、子規の俳句が欄外に幾つか載っていて、イイと感じたから。改めて子規の俳句集を探したら本書があり、これも借りて見る。俳句は何となく堅苦しいものという先入観があり、これまで敬遠していたが、笑えるものばかりだった。
本書の「はじめに」で天野氏は、こう述べている。
―俳句はおかしみの文章です。だいたい、俳句の「俳」は、「おどけ」とか「たわむれ」という意味ですね。あちらの言葉でいう「ユーモア」に近いものだと思います。
本書には新年、春、夏、秋、冬の季節毎の俳句が載っており、それぞれ20、27、39、31、26句と全143句の俳句が紹介されている。一句の後は必ず天野氏の解説があり、これがユーモアたっぷりで良かった。それらの中でイイと感じた句を紹介したい。
「雑煮くうてよき初夢を忘れけり」(新年)
[解説:ま、釣り落した魚は大きいっていうが、たいした夢じゃなかったんだろうよ、きっと]
「口紅や四十の顔も松の内」(新年)
[解説:びっくりだねえ、口紅なんかつけたりして。これがけっこう色っぽかったりして。そう、こっちもけっこう酔ってたりして]
「春雨や裏戸明け来る傘は誰」(春)
[解説:裏の木戸を開けてやってきたのはだれだろう。傘が邪魔して顔が見えない。それが気になるのは、春雨のわざか、人恋しさか]
「蝶々や順礼の子のおくれがち」(春)
[解説:菜の花畑の向こうを大きな菅笠が一つ、ゆっくり進む。と思ったら、もう一つ、小さな菅笠が遅れがちについていく。小さな菅笠は、きっと蝶と遊びながら歩いているんだろう]
「極楽は赤い蓮(はちす)に女かな」(夏)
[解説:極楽とはどんなところか。そう聞かれると、こう答えるようにしている。嘘だとバレても、死人に口なしだ]
「睾丸をのせて重たき団扇(うちわ)哉」(夏)
[解説:いやらしいなどと言う人はいやらしい。これこそ、平和の図だ。(秋山)真之なら「睾丸」が「砲丸」になってしまう]
天野氏の解説にあるように、秋山真之とは学生時代からの同郷の友人。惜しいことに子規は明治35(1902)年、結核で34歳の若さで病死しており、3年後の日本海海戦の勝利に貢献した友の功績を知らずじまいだった。もし生きていれば、秋山の活躍に狂喜し、団扇に睾丸をのせて盛大に祝っていたことだろう。
他にも「睾丸の大きな人の昼寝かな」(夏)という句もあり、明治を代表する文学者もアレの大きさには気になっていたのは笑える。
「一日は何をしたやら秋の暮」
[解説:秋の日はつるべ落とし。それにしてもきょう一日、いったい何をしていたんだろう。いいねえ、こんな一日も]
「山門をぎいと鎖(とざ)すや秋の暮」
[解説:音だよ。静けさを表すのは風景じゃない、音だ。蛙が池に飛び込む音。山門を閉める音。「ぎい」が主役だね。それ以外は何も聞こえない静けさ]
「面白やかさなりあうて雪の傘」
[解説:雪の中を傘がかさなりあって。番傘にも蛇の目にも、ほら、雪が模様をつくっている]
末尾にはこの句が載っていた。
「糸瓜(へちま)咲て痰のつまりし仏かな」
[解説:見てごらん、あれがわしだよ。今年も糸瓜は咲いたのに、水を取るより先におさらばしちまった。痰をつまらせて。息をとめて、痛みともおさらばだ。やれやれ、あれがわしだよ]
本書の区分にしたがえば「秋」の部にふくまれるものだが、子規が死の前日に書き遺した最後の作品の一句なので、あえて末尾に収めたと編者は記している。享年34は早すぎるが、石川啄木のように20代で他界した文学者もいる。いかに結核が当時死の病だったか、よく分かる。
まだまだ面白い俳句があるが、病ですさまじい痛みが続いていた日々にも関らず、子規の作品には啄木と違い暗さや憂いがまるでないのは素晴らしい。
wikiにも載ってるが、子規は大の野球好き。「球春到来!正岡子規が生んだ野球にまつわる言葉」という記事には野球用語の日本語訳に貢献していたことが書かれている。子規は季節ごとに野球にまつわる句を残してきたといわれるが、本書になかったのは残念。
誤解していましたが「饅頭茶漬」とは、饅頭にお茶をかけただけではなくプラスご飯でしたか。主食とデザートが同時に食べられる、今風でいえば時短食ですが、饅頭好きでもマネしたいと思う人は稀と思います。
落語のまんじゅうこわいのルーツは中国の笑話集だったようですね。あちらの饅頭は蒸しパンのような物で、日本のまんじゅうとは異なるとか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%84
昔は糖尿病のことをお大臣病と言ったそうですが、藤原道長は美食して糖尿病に罹ったと見られています。江戸時代も余程の大金持ちでもない限り糖尿病にはならず、むしろ栄養失調が当たり前だったかも。
明治時代にはマグロが大衆魚とは意外でした。冷蔵庫の普及と冷凍技術の進歩は、庶民の食生活を大きく変えましたね。昔は沿岸部以外は新鮮な魚介類は入手困難でした。
啄木の詩で有名なのは、「はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり~」でしょう。しかし実際は放蕩のし過ぎで困窮していました。それを知ってガッカリしなかった人はいるでしょうか?地元で「腐れわらす」(腐った小僧)と言われたのは当然です。文才と人格は別物という見本の人物です。
結核は戦前の昭和でも不治の病でしたからね。母の話では町内に結核患者が出た時、その家の側を通らず回り道していたそうで、今のコロナ禍と同じく差別や偏見もありました。
『新選組!』も、ジャニーズアイドルが主役を務めた大河ドラマでした。私は未見ですが、とにかく評判が悪かったのは憶えています。河北新報の読者コーナーでさえ、学芸会レベルと酷評した投稿がありました。
名作とされる『砂の器』ですが、私もいるだけで存在感のある緒形拳や丹波哲郎に対し、加藤剛は影が薄く感じました。
イワシの生姜煮は大好きですが、“桜といわしパフェ”という発想自体スゴ過ぎ。しかも作ったのは京都水族館。桜味のアイスは食べたことがあり、美味しかったですが、“桜といわしパフェ”よりも“サラダパフェ”の方が良さそう。
https://rocketnews24.com/2019/03/14/1184379/
ご飯プラス饅頭ですし、お茶を飲みながらだと饅頭の皮がふやける前に胃に入りますから、条件が異なります。また、饅頭茶漬なら、落語のまんじゅうこわいのオチは成立しないなあ、と。
香川県のあん餅雑煮は砂糖が貴重品だった時代に成立した食べ物で、だから晴れの日である正月に食されたのですね。江戸時代だと糖尿病など生まれつきの体質以外には存在しないでしょうから、不健康とは思われなかったでしょう。
> 子規の時代でもマグロは高級魚でしたよね?
ざっとウィキで見ると大衆魚です。しかし、当時の冷凍技術や家庭では冷蔵庫がなかったことを考えると、刺身にできる鮮度のものはそれなりの値段だったでしょう。冷凍技術の進歩も冷蔵庫も偉大です。
石川啄木は子供の頃だと薄幸の詩人と言う紹介でしたが、現実を知るとがっかりする人物ですね。放蕩はひどい、金を借りた上に貸してくれた人間を罵倒すると言う情けなさです。作品や思想と、本人の人格は切り離して評価する必要はありますが。
> ただ、ヘルパーや使い捨ておむつなどなかった当時、介護は全て母と妹が行っていたのだから、その苦労は想像を絶します。
当時は今ほどの福祉制度はありませんから。下手をしたら一家心中です。結核は不治の病ですから、治る見込みのない病気の看病を続ける事になりますね。よく二人共倒れなかったものです。今でこそ対処できる病気ですが、梶井基次郎も結核で亡くなっていますね。
>ジャニーズのアイドル上がりが主役だったことに私も違和感がありました。
本木雅弘は後に明治政府を支える事となる軍人役としてきちんとした演技ができましたが、ジャニーズの場合、一本調子の演技でも持て囃される例があります。また、ジャニーズのアイドルだと線が細いと言うか。さすがにNHKもこの作品では変なジャニーズ枠は作りませんでした。菅野美穂は勝ち気なイメージで出ているのでしょうが、加藤剛の伊藤博文はミスキャストに見えて仕方ありません。戦争回避に臨む明治の元勲としての登用でしょうが、個人的にはしっくり来ませんでした。加藤剛のは松本清張の砂の器にも出演していましたが、マクベスにしても屈折した悪人役は合わないのですね。砂の器はTSUTAYAで借りて見ましたが、脇役で出演していた緒形拳や丹波哲郎の方が印象に残りました。
最後、饅頭茶漬やあん餅雑煮を凌ぐ(?)衝撃の食べ物です。パフェに突っ込まれたイワシの生姜煮です。よくこんな物を考えたな、と言うのが感想です。
https://rocketnews24.com/2016/04/01/731383/
私も記事を書く時、いったん下書きしてから読み直しますが、それでも誤字脱字や誤変換をすることがあります。コメンターさんから指摘されて初めて気づくのですが、疲れていなくとも間違えることも。せっかちから来ているのやら。
「饅頭茶漬」ですが、 お茶を飲みながら饅頭を食べても同じだし、饅頭の皮がふやけて返って不味くなるような……
香川名物には「あん餅雑煮」がありますよね。大根や人参を入れるまでは他県と同じですが、あん餅入り雑煮など香川くらいかも。野菜入りでも糖分と炭水化物はしっかり取れます。
https://ukishimania.net/recpe-anmochizoni/
子規の時代でもマグロは高級魚でしたよね?ご飯だけでなく刺身の量も結構あったかもしれません。啄木など20代で死んでいますが(尤も女遊びは派手で、妻子もいました)、強靭な食欲があってこそ俳句制作がやれたのでしょう。
ただ、ヘルパーや使い捨ておむつなどなかった当時、介護は全て母と妹が行っていたのだから、その苦労は想像を絶します。まして家族の看病が当たり前の時代でした。
秋山真之と本木雅弘は、私も頭から額の輪郭が似ていると感じました。本木雅弘はその前に大河ドラマで主役・徳川慶喜を演じていて、ジャニーズのアイドル上がりが主役だったことに私も違和感がありました。菅野美穂も人気女優なので、兄と容姿が違い過ぎても話題性が優先されたのかも。
ドラマ「坂の上の雲」は初めの方だけしか見ていないので、伊藤博文が登場したシーンは見ませんでした。加藤剛は珍しく「マクベス」を演じたことがありますが、女癖の悪い伊藤博文役はもっと違和感がありますよ。森繁久彌あたりなら良かったのに。
> 確か鴎外がドイツ留学で顕微鏡で細菌を見てから生モノは口にしなくなった、という書き込みでしたよね。
その結果誕生した「饅頭茶漬」と言うのも書きましたね。饅頭とお茶を一気に流し込める合理的な(?)食事です。私は未だに挑戦できません。糖分と炭水化物の塊で、糖尿病まっしぐらな食べ物です。
>子規は脊椎カリエスを患っていたのにも関らず、健啖家だったのは驚きました。
温かいご飯を三碗にマグロの刺身です。茶碗の大きさにもよりますけど、結構な量ですよ。それに、当時の食生活だと結構贅沢な方に属しませんか?。でも、運動もしていないのに肥満しないのは病気で体力を消耗していたからでしょうし、その食欲あってこその俳句制作です。
>その一方で母と妹は粗食に耐えていたのだから、文豪の家族も苦労します。
それに、膿を出している病人の清拭もありますし、旺盛な食欲なら出るものも多い訳で。全てが彼女たちの肩に掛かるのですから、もう自分の時間などなかったでしょう。
> 子規の横顔写真はよく教科書にも載っていますが、確かに香川照之に似ています!
私だけではなかった。>似ている 秋山真之は頭から額の輪郭でしょうか。偏見なのですが、ジャニーズから日露戦争の主要軍人を演じる俳優が出るとは思いませんでした。そして、菅野美穂は子規の妹役ですが兄と妹の容姿が違いすぎ、加藤剛の伊藤博文は、加藤剛の品行方正なイメージと伊藤博文の女好きのイメージが私の心の中で衝突しました。
俳優のイメージと、歴史上の人物のイメージを擦り合わせるのも大変です。
確か鴎外がドイツ留学で顕微鏡で細菌を見てから生モノは口にしなくなった、という書き込みでしたよね。「文人悪食」は未読ですが、
子規は脊椎カリエスを患っていたのにも関らず、健啖家だったのは驚きました。その一方で母と妹は粗食に耐えていたのだから、文豪の家族も
苦労します。
子規の横顔写真はよく教科書にも載っていますが、確かに香川照之に似ています!コメントで初めて気づきましたが、本木雅弘も少し秋山真之に似ていると感じました。まさか容貌でキャスティングされたのではないでしょうが。
それにしても、以前子規の横顔写真は香川照之に似ている、と思ったことがあるのですが、本当に香川照之が「坂の上の雲」で子規を演じるとは思いませんでした。