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目的のために手段選ばず-シャープール1世 その②

2007-07-08 20:27:59 | 読書/中東史
その①の続き
 シャープールの碑文にはこんな文句がある。「ローマ人は再びをつきアルメニアに悪事を働いた。よって我々はローマ帝国を攻撃する」。 ペルシアとローマとの争いの発端は大抵アルメニアがあった。地政学的に重要なのはどちらも同じだが、ゾロアスター教の聖地があるという事情もあり、ペルシ アとしても絶対譲れない。アルメニアも親ペルシアと親ローマ派に分かれており、いずれも両大国から援助を受けていた。

 260年、シャープールはシリアの多くの都市を攻略し、エデッサ近郊の戦いでローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕獲すると共に7万人ものローマ軍を捕虜とした。この戦勝を記念しシャープールがナクシュ・イ・ルスタムの岩壁に刻ませた浮彫りは、 『ローマ人の物語』12巻の表紙にも使われている。騎乗のシャープールの足許に跪づくローマ皇帝という構図は、ペルシアの勝利を今日まで如実に伝えるもの となった。ローマの面目丸つぶれといった浮彫りだが、ペルシア側からすればアレキサンダー以来の西方への屈辱を晴らした記念碑である。

  ペルシアに連行されたローマ軍の捕虜には多くの技術者や専門家がいたので、彼らを大規模な土木工事建設に利用したのは『ローマ人の物語』12巻にもある。 捕虜となったヴァレリアヌスは獄死したとされるが、ペルシア側には彼を現場監督にしたという言い伝えがある。捕虜をインフラ整備に当たらせるのはローマも 全く同じであり、有名なコロッセオも奴隷となった敵国の兵士が使役された。
 シャープールは学問にも非常に関心を示し、ローマ人捕虜の中に学者に命じて医学、天文学等に関する多くのギリシア語文献を中世ペルシア語に翻訳させ、文化の東西交流及び後の王朝文化の発展に寄与した。

 シャープールは軍事的偉業を達成したばかりでなく、強力な中央政権制度を採用し、国家組織を強化する。4百年に亘るサーサーン朝政権は彼が基盤を磐石にしたといってよい。シャープールはローマからメソポタミアを奪うが、元々この地域はアケメネス朝時代はペルシア帝国の勢力圏だった。住民はアラブ系だが、ペルシアとローマの争いで支配者が入れ替わる。ローマを破った後、シャープールは「イランと非イランの諸王の王」を号した。

 宗教面でシャープールがマニ教の開祖マニを保護したのは知られている。マニ教に心酔したのではなく、彼の重臣でもあるキルデールへ の対抗があったのは確かだろう。キルデールとはゾロアスター教の高位聖職者であり、皇帝の教育者でもあった人物。ゾロアスター教聖職者にもカトリックのよ うな身分階層制があり、シャープールの息子で3代目皇帝ホルミズド1世の時代、キルデールは教皇のような頂点にまで登りつめる。

 キル デールは帝国の辺境やその彼方までシャープールに随行しながら、軍隊により制圧された全ての地域でゾロアスター教の正統主義と確固たる権利を確立する。実 に優秀かつ抜け目ない宗教人だったが、現実が見えない狂信者ではなかった。宗教家には時に凡庸な王より政治的手腕を発揮する者がいるが、キルデールもそう だった。キルデールによる国家宗教の統一や組織化はサーサーン朝の宗教政策を決定づける。前王朝と対照的に異教、異端排斥を精力的に行ったキルデールのや り方に、歴史家は批判的だ。ただ、パルティア末期すでに、西方からキリスト教が、東方では仏教がイランを蚕食しており、放置していればゾロアスター教の正統信仰が危うい状態となっただろう。

  王権確立に宗教の権威付けを必要としたからには、宗教勢力の介入を阻止できない。シャープール程の君主なら神官を制御するのは可能でも、平凡な皇帝なら聖 職者の操り人形となる。事実、キルデールはシャープールの息子たちにも仕えるが、皇帝を牛耳っていたのはキルデールだった。マニが処刑されたのはキルデー ルによる策謀もある。ゾロアスター教も異端に寛容ではない。

 『ローマ人の物語-スペシャルガイドブック』のコラムでシャープールは、「目的のためには手段を選ばず」と評されている。まさにその通り。王権確立と帝国基盤を強化するにはあらゆる手段を駆使し、冷酷な決断を下すのも辞さなかった。塩野七生氏は「自分たちの持っているものを徹底して活用する能力」をローマ人の優れた長所として挙げている。塩野氏のシャープール評も専制君主だが、己の持っている利点を最大限利用するのは優れた指導者の条件なのだ。サーサーン朝で最も強権を振るったかもしれないシャープールだが、冷徹な専制君主でもあった。
 ■参考:「ゾロアスター教」メアリー・ボイス、「ゾロアスター教の興亡」青木健著

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2 コメント

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手段のために目的選ばず (Mars)
2007-07-12 21:30:35
こんばんは、mugiさん。

日本人の多くの価値観では、「目的のために手段選ばず」は受け容れ難いものがあると思います。しかし、ながらも、「目的のために~」以下、政治も、軍事も、九条狂も、社会も含めて、確たる目的もなく、手段にのみ、あくせくしている者も少なくないでしょうね。

歴史というものは、本当に皮肉なものですね。
敗者に寛容な者も、そうでない者も、勝者も敗者も滅び、それでも、その末裔達は今も生きている。
人類というものは、かくも愚かでもありながら、ゴキブリ以上にしぶとい生き物かもしれませんね。

良いか悪いか、正しいか否かは別にして、ある程度、理解できる目的に向かって邁進できる人間は幸せでしょうね。

パンドラの最大の罪が、絶望の最後に、希望を出したのでしたら、今の世の中は、どうなのでしょう。
その僅かな希望が正しいか否かを区別せず、希望にのっかるのが、民衆というものでしょうけど。

実に、奥が深いものです。
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うかつ者 (mugi)
2007-07-13 21:36:09
こんばんは、Marsさん。

ローマ法王もかつて、「目的のために手段選ばず」など書いたマキアヴェッリの本はケシカランと、よきカトリックは読むべからずとお触れを出したそうです。ひょっとして現代も禁断の書物扱いになっているのかもしれない。世界の諸宗教で己の宗教の伝道のために、あらゆる手段を駆使し続けているのがカトリックなのだから、ジョークじみてますね。

「目的のために手段選ばず」とも、負ける時は負けるし、手段を選んで勝利する事もあるから、歴史は皮肉です。「目的のために~」とは敵方に対する誹謗目的にも使われますよね。自分も負けず劣らず汚い手を使っているのに、涼しい顔して悪事には無縁という顔をしている手合いもいます。

個人に限らず、その集団となる国家となれば、「目的のために手段選ばず」は正当化されます。人権を掲げ、戦争という非人道行為をする国、大国と発展途上国を使い分ける国など。

目先の希望に乗っかりたがるのが民衆ですね。私も選挙に当選する目的のために平気で嘘をつく偽善者に騙され、投票してしまううかつ者の一人でした。
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