10月6日に放送されたNHK BS『ザ・プロファイラー』は、シーズン5突入記念もあり、フィレンツェからのロケだった。舞台がフィレンツェならばルネサンス時代を扱うのは予想できたし、番組サイトでも「今回の特別篇ではそのルネサンスの別の顔に光をあてます」と載っている。ルネサンスと聞いただけでナナミスト(塩野七生ファンのこと)は刺激されてしまい、録画して見た。
今回取り上げられたのは傭兵隊長ジョバンニ・デッレ・バンデ・ネーレ。聞いたことがない人物だな、と思ったが番組途中での「黒隊長のジョヴァンニ」の異名の由来の紹介で、やっと“イタリアの女傑”カテリーナ・スフォルツァの息子だったことに気付いた。
四半世紀近くもナナミストなのに、我ながら頭の鈍さに呆れるが、番組でも何故か母については全く言及がなかった。早く両親を亡くしたこと、本名ジョヴァンニ・デ・メディチからメディチ家の出自であることは言っていたが、私的にはカテリーナに触れなかったことは面白くない。
塩野氏もインタビューで、処女作『ルネサンスの女たち』で最も書きたかったのはカテリーナのじゃじゃ馬ぶり、他の3人は付けたしだったと話していた。恋に奔放、母親の情に薄いこの種の女傑をNHKは嫌うし、話がややこしくなるからカテリーナの名を出さなかったのだろう。
番組では、錚々たるルネサンスの偉人と共にフィレンツェに飾られたジョヴァンニの彫像も映している。鎧姿で剣を持った像はそれだけでも様になるが、剣にはラテン語でこう書かれているそうだ。
「理(ことわり)なくして剣を抜かず、徳なくして剣を握らず」
岡田准一ならずともシビレる台詞だが、果たして本当にジョヴァンニはこんな名言を吐いていたのか?塩野氏の『わが友マキアヴェッリ』だったと思うが、ここではジョヴァンニの豪放磊落なエピソードが紹介されており、先の哲人を思わせる名言を吐く人物とは程遠い印象だった。
しかも死亡時は僅か28歳。現代の28歳とルネサンス時代では同年齢でも成熟度がまるで違っていたにしても、生前にこのような像を作ってほしいと遺言していたとは思えない。
また番組では、ジョヴァンニが部下に言っていたという次の言葉も紹介していた。
「私が前に進む時は、皆私についてこい。もしも私が退(ひ)こうとしたら、私を殺せ!」
これまたカッケーとシビレた視聴者も多かっただろうが、この言葉を聞いて、私はおやと思った。というのは、フランス革命時でのヴァンデの反乱の3代目総司令官アンリ・ド・ラ・ロシュジャクランが全く同じ台詞を口にしていたからだ。アンリやこの言葉のことを知ったのは藤本ひとみ氏の『聖戦ヴァンデ』を読んだためであり、2016-1-22付の拙ブログ記事で書いている。
こうなるとジョヴァンニの言葉を知っていたアンリが借用したのか、或いは単に藤本氏の創作だったのか?そもそも、件の言葉も彼が云ったとされる伝説なのだ。番組に登場したフィレンツェ大学の考古病理学・リッピ教授は、当時の理想の武人像がジョヴァンニに重ねられており、本当は言っていないのに、言ったということになってしまった?と想像したくなる。
「パンがなければ、お菓子を食べればいい」が典型で、本当は当人が言わなかったことが、言ったとされるのは歴史上珍しくないのだ。本当はこの言葉は、マリー・アントワネット自身のものではないことを知っている人がどれだけいようか。
28歳で夭折したジョヴァンニだが、彼の息子は初代トスカーナ大公コジモ1世。その子孫は全ヨーロッパの王室に受け継がれていったという。イギリスやフランス、スペイン王室に至っては現代でもその血筋を引いているそうだ。
ジョヴァンニの母カテリーナは、イタリア諸国の中でチェーザレ・ボルジアと唯一正面切って戦い敗れた女傑だが、血筋はちゃんと残している。チェーザレも唯一の嫡出子の女児がいて、その子孫の貴族は現代まで続いているが、カテリーナの子孫に比べれば家柄では明らかに格下だ。敗者の子孫の方が勝者よりも地位が上回ったり、いつしか勝者の中にその血が流れ続け、支配者層となることが歴史では少なくない。
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