扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Mind Darkness No.122 2013.01.19

2013-01-19 19:59:27 | Depression,Melancholy & Thought
時間をかけてコツコツと...............................

人間というのは何に囲まれて生活をしているか

によって生き方がわかります。
思考に直接的に影響するようなものもあれば、間接的に影響を及ぼすうようなものもあります。
また

「どのような人間に成りたいのか」

と考え続けている人間になっていくものです。
論理的に考慮するのであれば多くのモノを得ることができるでしょうし、短絡的にしか行動できない人間は投資したものさえ失ってしまいます。
さらに短絡的にしか行動できない人間は、論理的に行動した人間の「他人の報い」を何とか自分のモノに出来ないかと考えている人間が多いように感じます。

わたしは一昨年から毎月結構な金額を手にすることが出来るようになりました。
ピーク時は20万以上も収入があったはずなのですが、毎月10万ずつ程度の適正な収入を得ることが出来ずに最近まで来ました。
人から見ると、この一ヶ月10万という金額は生活をしていくだけでやっとの金額であったり最低限の収入であるかもしれません。
やっと適正に毎月の収入が支払われるようになったのは、ここ4~5ヶ月程度前からです。
それまでに溜まりに溜まって相当な金額を図らずもプールしていることになりました。

雇い主が出し惜しみをしているんですね。
毎月の収入を適正に支払っていれば大きな金額にはなっていないはずなのですがね。
毎月10万円単位で増えていく出費を1年近くプールしてしまうと、そりゃ出したくないという気持ちもよくわかります。
短絡的にしか考えられない人間なら尚更でしょう。

ちゃんと全ての収支を計算して、請求をしたのですがその請求資料を無くしてしまうという有様です。
人間というのはちゃんと向き合いたくない事柄を避けようとか忘れようとする傾向があります。
無意識のうちにこのような事を遣ってしまうんですね。

ちゃんと金銭管理ができているのか
ちゃんと渡すべき金額を理解できているのか
ちゃんと渡すべきお金を残してあるのか

と問い、確認をして来ました。
その度に「やっている」とか「出来る」と言っていました。
しかし事の結論として、そのような能力がないのだということが明白になりましたし、自らも認めました。

わたしの論理では給料というものは収支の中でも「確実の取り分けておくべきもの」です。
収入の中でも「給料」は人のお金であることを把握していないようなんですよね。
そしてそれを何とか自分のモノに出来ないかと考えているようです。

わたしの基準ではわたしが落ち込んでいた際の扱い方によって人を評価するようにしています。
わたしを不当に低く扱ってきた人間や低く見なしていた人間には何も与える猶予はないでしょう。
逆に、わたしが最低な状態であったにもかかわらず、私のことを評価してくださっていた方たちのためには何かしらを行いたいと思うのは自明の理でしょう。

自分を適正に評価できるようになってきている現在、わたしは私自身に価値が有るのだと解るようになって来ました。
ただまだまだ理解できていない部分のほうが多いようです。

わたしは金を持っているとか考えているようですがね。
今までが適正に扱ってもらえて来なかったのだと良く解るようになりました。
それにわたしがお金を持っていると他人が感じるのは、

何に投資するか

と見極めて投資してるところが目に付きやすい所だからなのかもしれません。
それに今までが今までですからね。
「今あるもので満足する」という論理を厳密に、厳格に適応して来ました。
着るものでも、食べるものでも、道具でも、なんでもです。
しかし金銭的に余裕ができたのですから、ある程度の買い物もできるようになったんですね。
わたしの中では

「やっとの思いで購入したもの」

が人からすると

「良いモノを沢山購入している」

と感じるようです。
これはわたしの投資方法にも関係が深いのですがね。
確実にお金がある状態でなければわたしは買い物をしないようにしています。
よって先日プールされていたお金の半分程度を頂いたので、欲しかった生活必需品を購入することが出来ました。
わたしは外食には余り投資しません。
家で食べることが安いのは明白だからです。

久しぶりに更新しましたな。
最近の生活はかなり変わって来ました。
良い循環が生まれると良い物がめぐりだすようですね。
しかしここまでわたしは多くのモノを投資して来ました。
良い物を刈り取ることができるように、精神的な骨肉を削って涙ながらに多くのモノを与えてきたのです。
そしてそれが今やっと実を結びつつ有るようですね。

類は友を呼ぶ

という言葉は本当に真実ですね。
良質なモノの所に良質なモノは集まるのです。

これからは良質であるというのは最低条件なので、その質を向上させていきたいモノです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。