今日は点滴を人生で始めてした。
この投稿は自分の考えを収拾できていません。
よって飛ばされることをおすすめします。
今日は先日と同じように吐き気をもよおした。
しかし先日と違うのは夕方になってから吐き気が襲って来たことだ。
おなかの中には何も入ってなかったのでトイレでエズき続けた。
それを見ていた親が心配して病院に行くことになったのだ。
「糖尿病」かもしれないから病院で検査しようということになった。
前々から体の変化には気がついていたが「糖尿病」は恐い病気だ。
検査の結果を聞くまでは恐いと思っていたが、どうやら肝機能が低下しているらしい。
肝機能障害も恐ろしい病気だ。
おいらの家系は母方が肝機能障害で亡くなっている人が多い。
例に漏れずおいらにもその遺伝子は受け継がれているようである。
よって肝硬変や脂肪肝などには気をつけないといけないのはわかっていた。
しかし肝臓は「沈黙の臓器」と言われており気がつけば手遅れの場合が多い。
おいらの人生は結構めぐまれたものだったと思う。
もし死ぬことになっても良いとも思ってる。
しかし死ぬまでのプロセスは楽なのがいいな~。
別にまだ死ぬとは決まった訳ではないが生き過ぎた人生だ。
こんな人生なら死んだ方が良いと考えていた頃を思い出す。
基本的にあまり考え方は変わっていないんだな~とも感じるな。
高校を卒業してからはほんとに生きてる実感は湧かなかった。
そして理想を求めて「燃え尽き症候群」になるまで仕事や宗教、生活態度を完璧にしようとした。
人間なんだから完璧に物事を全て行うことは不可能なこともわかっていた。
周りの人間に洗脳されて「生きてる意味」を自分で問いながらも自分のやりたいこととの矛盾から体がついて行かなくなったんだな。
今思うとなんて愚かな生き方をして来たのだろうと考えてしまうが過ぎたことだ。
過去にこだわっていても何にもならないこともわかってる。
過去の出来事は教訓にはなるがそれ以上のことにはならない。
日本とアジア諸国の問題も過去にこだわりすぎる人間がいつまでも引きずってるに過ぎない。
間違ったことをおいらに教えて来た人間に対しては今でも「見返したい」という気持がある。
しかし人間の動機は良い動機じゃないとほんとの意味での成長はできないと思うのだ。
復讐などの自己中心的な動機では達成してしまうと目標が完全に無くなる。
次の目標を考えていない場合が多いので悲観的な見方になってしまうものだ。
他の人に喜んで欲しいと考えるのが一番良い動機と言える。
それは言葉にできない満足感があるはずだ。
それにこの目標は「他の人が存在している限り」続くのだ。
身近な人でも全く知らない人でも自分じゃない人は必ず存在する。
その人たちの笑顔を見たいという動機は一番良いものだとも感じる。
忘れてはいけないのは「自分の存在を肯定する」ことである。
これは自分も喜んでいいということを示している。
おいらは今まで自分を否定して生きて来た。
「他の人を喜ばせるなら自分は労力、資力、活力を惜しまない」という性格だった。
今でもその傾向があるが自分へのご褒美を買うことを許すことができるようになって、かなり改善することができるようになって来たと思う。
自分に対しては今でも完璧主義でストレスがすごいこともわかっている。
できていることに目を向けるように努力しているが、どうしてもできていないことの方が多いのでうんざりするのだ。
部屋の片付け一つとってもなかなか進まないことに自分で自分に罪悪感を持っている。
これだけでもものすごいストレスが深層心理で発生していることは体の変調でわかっている。
もっと自分に対しても寛容になれたらいいのだろうな~。
わかっているのになおせない。
この投稿は自分の考えを収拾できていません。
よって飛ばされることをおすすめします。
今日は先日と同じように吐き気をもよおした。
しかし先日と違うのは夕方になってから吐き気が襲って来たことだ。
おなかの中には何も入ってなかったのでトイレでエズき続けた。
それを見ていた親が心配して病院に行くことになったのだ。
「糖尿病」かもしれないから病院で検査しようということになった。
前々から体の変化には気がついていたが「糖尿病」は恐い病気だ。
検査の結果を聞くまでは恐いと思っていたが、どうやら肝機能が低下しているらしい。
肝機能障害も恐ろしい病気だ。
おいらの家系は母方が肝機能障害で亡くなっている人が多い。
例に漏れずおいらにもその遺伝子は受け継がれているようである。
よって肝硬変や脂肪肝などには気をつけないといけないのはわかっていた。
しかし肝臓は「沈黙の臓器」と言われており気がつけば手遅れの場合が多い。
おいらの人生は結構めぐまれたものだったと思う。
もし死ぬことになっても良いとも思ってる。
しかし死ぬまでのプロセスは楽なのがいいな~。
別にまだ死ぬとは決まった訳ではないが生き過ぎた人生だ。
こんな人生なら死んだ方が良いと考えていた頃を思い出す。
基本的にあまり考え方は変わっていないんだな~とも感じるな。
高校を卒業してからはほんとに生きてる実感は湧かなかった。
そして理想を求めて「燃え尽き症候群」になるまで仕事や宗教、生活態度を完璧にしようとした。
人間なんだから完璧に物事を全て行うことは不可能なこともわかっていた。
周りの人間に洗脳されて「生きてる意味」を自分で問いながらも自分のやりたいこととの矛盾から体がついて行かなくなったんだな。
今思うとなんて愚かな生き方をして来たのだろうと考えてしまうが過ぎたことだ。
過去にこだわっていても何にもならないこともわかってる。
過去の出来事は教訓にはなるがそれ以上のことにはならない。
日本とアジア諸国の問題も過去にこだわりすぎる人間がいつまでも引きずってるに過ぎない。
間違ったことをおいらに教えて来た人間に対しては今でも「見返したい」という気持がある。
しかし人間の動機は良い動機じゃないとほんとの意味での成長はできないと思うのだ。
復讐などの自己中心的な動機では達成してしまうと目標が完全に無くなる。
次の目標を考えていない場合が多いので悲観的な見方になってしまうものだ。
他の人に喜んで欲しいと考えるのが一番良い動機と言える。
それは言葉にできない満足感があるはずだ。
それにこの目標は「他の人が存在している限り」続くのだ。
身近な人でも全く知らない人でも自分じゃない人は必ず存在する。
その人たちの笑顔を見たいという動機は一番良いものだとも感じる。
忘れてはいけないのは「自分の存在を肯定する」ことである。
これは自分も喜んでいいということを示している。
おいらは今まで自分を否定して生きて来た。
「他の人を喜ばせるなら自分は労力、資力、活力を惜しまない」という性格だった。
今でもその傾向があるが自分へのご褒美を買うことを許すことができるようになって、かなり改善することができるようになって来たと思う。
自分に対しては今でも完璧主義でストレスがすごいこともわかっている。
できていることに目を向けるように努力しているが、どうしてもできていないことの方が多いのでうんざりするのだ。
部屋の片付け一つとってもなかなか進まないことに自分で自分に罪悪感を持っている。
これだけでもものすごいストレスが深層心理で発生していることは体の変調でわかっている。
もっと自分に対しても寛容になれたらいいのだろうな~。
わかっているのになおせない。
これ、出来る人って。かなりの自信家さんだ。
自分は卑屈になってるとこへ例の社長御仁が
「ばかだねぇ」と言ってくれるので。
すっかり自信喪失人間になったよーT_T。
完ぺき主義もストレス過敏も自分には多く持ってる因子でなぁ。こればっかりはどうにもならん。
発散してねーという言葉も、上手く処理できぬ実情もあったり、してね。
若い頃はホントに! 責めて過ごしたな。ものぐさ、面倒くさがり、引きこもり。したくないからしてるのだが、一方で許さぬ自分がいる。
男は大変だ。真! 大変だ。自分は女だから、結婚とゆー座布団でゴロ寝している。
やっと。「もう、のんびりしていいんだ」と思うようになった。
追い詰まるなよぅ、としか言えぬ。それ以上を言っても、負担になるのを知っている。
精一杯、生きてるのだ。誰が責めようか? その資格を持つものはおらぬ。大小はあっても。皆、精一杯さ。
今はたゆとう舟である。そうゆー生き方が目的に。
肝臓も糖尿もコントロールせねばならん病だなぁ。
疑惑だけであることを祈る。同胞よ。
同胞という言葉が心にしみるな~....
感謝、感謝です。
おいらは女性の方が大変だと思っています。
家事って愛がないとできないと思うんですよ。
特に食事を作ることについては「料理は愛情」という言葉もあるぐらいです。
それを毎日してる女性の皆さんにはいつも脱帽してます。
仕事は「仕事なんだから」で済みますからね~。
これでもかなり自分をセーブできるようになって来た方なんですけどね。
おいらの意識の外でストレスが溜まってるようです。
深層心理は手がつけられないっす。(笑)