扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

悲しい事実

2006-10-19 23:56:13 | Weblog
残念なことがあります...........

おいらの交わっているクリスチャンの集まりの○老の一人が引っ越すことになりました。
半年ほど時間があるのですが、愛ある○老なので非常に残念に思います。
おいらの交わっている「集まり」には二人の○老がいます。

先日自閉症の子に関して少し書きましたが、おいらの霊性の低い人間だと考えられることは確かです。
しかしそれでも愛を持って接してくださることが解るのです。

もう一人の○老は以前おいらをこのような状態に追いつめたの「牧○」と銘打たれた死刑宣告の片割れなのでね~........
今はもう考えないようにできるようになってきましたが、時折今でも「聴く価値があるのか?」と感じることがあります。

まあこれはおいらの見地での話なので僭越だと解っているんですけどね。
気が滅入ってしまうわけですよ。
まあほとんどあの「牧○」を進行していったのが出て行った方なので自分は問題がないと思っておられるのでしょうけどね。
あの場にいたということは彼の発言を肯定していたことに違いないのですから、おいらの立場からすると良くは見えませんよ。
また愛を感じるかというとこちらの○老は余り感じないんですな。
感情表現が苦手であることは認識されているのですが、「自分が良ければ万事がよし」という見方をされても困るわけですよ。

おいらの交わっている「集まり」は他のところの「集まり」からすると問題が大変に少ないところだと思います。
しかし実際に問題がないかというとやはりどこでも問題があるもんです。
そのような問題を愛を持って扱ってくださる人がいなくなると「集まり」内の雰囲気が悪くなります。

いつになるかは解りませんが昨年か一昨年に引っ越された○老が戻ってくる予定があるということを地○○会の際に高知のBに聴いたので早急に戻ってきて欲しいのですが、この○老はおおらかだけど愛を持って包むような方ではないので今度あく穴というのはうちの「集まり」からすると致命的なものになりかねません。
まあこんな憶測をするのは僭越ですよね。
今が大切なのであって不確定要素の多い未来のことを考えても仕方がないことです。
さらに、神は別に私たちの申し開きをする方を備えてくださるかもしれません。

おいらの父上は愛情深く、親切で、素晴らしい方なのですが、おいらが足を引っ張っています。
おいらがうちから出て行くべきなのかもしれないとさえ考えてしまいます。
おいらが家族の中から出ていけば何の問題もないんです。

やはりおいらは「悪性の腫瘍」で切り取って捨てるべき人間なんだな~........
こんな僭越なことを書くのもクリスチャンとしては不健全でふさわしくないですしね。

しかしこれでも客観的においらが感じる事をそのまま書いただけです。

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2 コメント

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Unknown (chomemaro)
2006-10-21 12:29:32
わかりますよ^^

頼りにしていた人がいなくなるのは不安ですよね。

でもね、意外と、みんな自分の足で立っているんです

だから、そんなに心配することはありません。

一番の支え手は力強い神だからです=^^=



それに、どんなに完璧な人でも、人の世話にならずに

生きている人なんていませんよ。

お父様は、mumuさんの事を人間では、一番理解してくれる人の一人だと思いますよvv

可愛くて、仕方ないに違いありません。

私は、子供と過ごす時間が長ければ長いほど

愛着が、日々増してきますよ。

mumuさんが出て行くと、きっと、がっかりですよ

親なんて、そんなもんです。

ま、馬鹿な子ほど可愛いという言葉もありますし

ええ、私のことですが(笑)<馬鹿な子
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Unknown (mumu.com)
2006-10-21 21:26:12
#chomemaroさんへ

そうですね~。

おいらも一人の人間として(中身は10分の1人前ですが)一応は立っています。

また神との関係もクリスチャンの普通の人よりは近いことも実感しています。

これは趣味である写真が大きいのですが、多くの意味で神を感じる機会を増やす努力をしてもいますし、もっと知りたいとも考えています。



確かに誰にも世話にならずに生活できる人間というのはいません。

しかし多くのことを自分で解決しようとせず人に擦り付けるような人がたまにいます。

あのようなことを見ると「あんな風にはなりたくない」とか「責任転嫁」なんて....と感じてしまい、関わることによってそうなってしまいそうで嫌なのです。

でも依存せざるを得ない状況なので、自責の念にさいなまれるんですよね.......

そんな状況を改善したいという意味で「出る」という選択肢を選ぶ事が必要とされているような気がしたんです。



別にこの「真理」から離れるなんて考えられませんし、行きたいところが数カ所有るので、それらに少しずつ滞在して写真を撮って回りたいとも感じていますし、もっと自分の世界観を変えたいとも感じているのです。



しかし一番迷惑をかけたおいらですので、いっそのこと「かわいさ余って憎さ百倍」ぐらいの感じで勘当してくれたら楽なんですけどね。

愛情深い両親なのでそのようなことが起こる状況さえ想像できません。



「馬鹿な子ほど可愛い」ですか~......

確かにおいらは馬鹿だけど「可愛い」という言葉とはほど遠い醜悪な外見の愚か者なので、おいらの場合は当てはまらないような気がします。



いつもBLOGを拝見させていただくのですが、chomemaroさんは聡明な方だと感じていますよ。

薬をやめられたそうですが、その後のお加減はいかがでしょうか?

余り無理をされないでくださいね。
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