扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Mind Darkness No.64 2009.11.24

2009-11-24 23:55:55 | Depression,Melancholy & Thought
怪我や病気に関しての認識についてかこうと思います.....................................

「身体障害者」と「精神障害者」という障害認定制度があります。
そして異常だと認識されるのはほとんどの人が「精神障害者」である事を認められるでしょう。
「精神障害」というのは異常だという認識を持つ人が少なくありません。
この障害というのは演技でもとろうと思えばとれるかもしれません。
おいらは演技ではなく本気で死ぬ事を考えていましたがね。
理解が遅れている分野として精神障害は深刻なモノとなっています。
程度の問題がありますがね。
身体障害者が身体障害になる理由というのはいろいろあります。
精神障害になるのにもいろいろ理由があります。

問題となるのは外観上は全く悪いところが無い

ということなんですよね。
精神障害者というのは身体上の障害が無い故に健常者と間違われる事が少なくありません。
しかし精神障害者の障害の度合いというのは考慮されなければならないでしょう。
落ち込んで気遣われる事もなく苦しんでいる人たちの苦しみを汲み取ってあげたいとおいらは思うようになりました。
これはある程度の回復を見ているからなのでしょう。
以前からおいらは自分の価値を否定して生きてきましたがね。
何もしないよりは何かするほうが自分の為になりますし、他の人の為にもなります。
精神障害の過失というのはほとんどの場合に

・自分自身の感受性の強さ

であったり

・自尊心の無さ

だったりします。
下の自尊心の無さは年齢が行くに従って認識を改められる事が少なくないという事が最近の自分自身の経験から理解出来るようになりました。
反して「感受性の強さ」は評価されるべき事なのに「鈍感力」などの言葉によって否定される世の中になってきています。
経験上でおいらも他の人がなぜこんなに鈍感なのかを理解出来ない時期がありましたけどね。
他の人が示している傾向が鈍感なのですから、それに染められて行くのは必然なのだと理解出来るようになりました。

そう言えばおいらもある女性に「鈍感」と一言大きい声で言われた事があります。

人間がすべての人の敏感になっている事象を把握出来るかというと「まず不可能」である事は間違いありません。
理由はそれぞれの思考や背景、感受性は強力な暗号化技術で隠されている事が少なくないからです。
それに人間の傾向としては自分自身が関心を持っている事に一番敏感になっているわけでして、手いっぱいなんですな。
手一杯の人間に自分が敏感になっている事を表明する事もなく気づけというほうが無理があります。
まだ関心事を明らかにしている人は把握出来るんですけどね。
でもね。

努力して生きている人間というのはよく解ります。
このような人間を評価して生きて行きたいと思う日々を過ごしています。

それとおいらの思考の基準は

「おいらの行動や発言にはそもそも価値がない」

という基礎からなっています。
よっておいらの言葉によって一喜一憂するということは常軌を逸した活動なのだと思われます。
おいらは何度も精神世界では死んだ人間です。
数えられないほど死んだので感覚が麻痺しているという部分があるかと思われます。
Realな生活の中でおいらの意見を求められる機会が増えてきているように思われます。
またおいらの価値観や見解、行動基準を尋ねる人がいます。

「mumu.com(おいらの名前)はどうしているの?」
「mumu.com(おいらの名前)はどう感じるの?」

といった感じです。
最近の傾向としては平衡のとれていない人間の行動基準でズレていると思う人は切り捨てるようにしてはいるのですがね。
価値観の違いが顕著な人とは接したくないと思うんですよね。
おいらの価値が無いのは当然の事なのですが、おいらも平安に生活を送りたいと考えています。
おいらが落ち込むと家族に迷惑をかけますし、周りにも影響がありますからね。
それにおいらにも接する人を選べる権利があるのだとも認識するようになりました。
この認識によって大分楽になれたんですな。

もっと沢山かきたい事があるのですが、依然と根本的に考え方が変わっていないのは間違いないようです。
その辺りを前に書いた事もかんがみてかいて行きたいものです。

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