扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

身体がおかしい 2008.01.09

2008-01-09 22:43:03 | Depression,Melancholy & Thought
睡眠薬が切れているんですよね...........

本命の睡眠薬が切れているのに他の薬を飲むと取り敢えず寝られますので考えないでいたんです。
正直なことを書くと非常に大きな記憶障害が発生していて睡眠導入剤が無いのに頭が付いていかず薬を飲んでいれば大丈夫だという条件付けで寝ていた次第です。
しかし今日は病院は休みですし、肩こりが酷くなっていったころから体調が悪化していきました。
今週に入ってからは咳き込んで病院に行こうとしましたが非常に込んでいて車を止めるスペースが無くて入れず、その後に家に帰って保険証を持っていこうと考えて家族に話しましたが保険証が出てきませんでした。
よって行かないということになりました。

おいらが記憶障害で薬の認識ができないという事実がおいらの調子の悪さを暗示しているでしょうな。

薬というのは病気ではけっこう重要なポイントです。
命に関わりますからね~。
飲み慣れた薬のことで理解できないとは凄く恐いことですな......
疲れがとれないのと非常に大きな力で抑制されているという圧迫感と拘束力がおいらの生活の中で当たり前のモノになっているのだと言うことを痛感させました。

少し認知省になりかけているのかもしれませんな。
まあいいや。
生きている限りどんな病気にも掛かる可能性があるのですからね~。

おいらが義に過ぎているのは解っているのですがついて行けないクリスチャンが肩で風を切って闊歩する世の中には絶望を感じています。
よってクリスチャンを辞めたいとか親にぼやいたんですよ。
しかしクリスチャンという事実の拘束力をよくよく考えると身体が普通に動かないぐらいに拘束力を感じるようになっています。
これは良い意味でも悪い意味でも働いているのですがね。

また最近おいらの家族がおいらが前々から感じていたクリスチャンの違和感を口にしました。
おいらは開○○仕をしていてばりばりにやっていた時期から感じていましたのでやっとあの頃のおいらと同じLevelで話せると考えると少し複雑な思いでした。
まあおいらはもう少し進んだところで疑問を感じていますけどね。
その事はここにずっと書いてきたこともそうですし、書いていないことでも沢山ありますからな。

さて、我が家の家族は「他の人間のことで嘆いてもなんの意味もない」のだと気付くまでどれだけ掛かるでしょうか?
喜びは素晴らしい感情で分け合えることができます。
しかし他の人に自分で勝手に期待しておいて期待通りにならないと「嘆く」ということは非常に愚かな行為でしょう。
また選択権は聴き手にあります。
どんな人間にも選択の自由というのがあるのですから強制する方が悪いのです。
でもこのことは「教え(てやってい)る」という姿勢である限りは理解することは無理でしょう。
教育とは先生が「相共に学ぶ」と言うことです。
しかし上から目線で「仕切らなければならない」とかいう意識が働き強要します。
愚かなことです。
どれほどの知識を有しているかは全く関係がないという感じで話を進めますし、沢山の話題を扱うと「それほど関心の無い話題」にどうしても直面します。
重要なのは如何に学び手に学びたいというモチベーションを持たせ続けることができるかに掛かっています。
でもほとんどの伝道者は自分の言いたいことが前提にあってどうしてもその話に結びつけなければならないと教え込まれます。
そして最も重要な「家の人の関心」は現状の教育を受けると語り手のエゴによって無意味なモノと見なされます。
このような伝道活動で良く聞く人がいるモノだと感心するぐらいですな。

教科書通りの人間なんてどこに存在するでしょうか?

現時点では「完全な人間」が存在しないのですから見ることは不可能です。
少し心身共に調子が悪いので悪筆になってしまいましたな。

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