扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Mind Darkness No.110 2011.11.07

2011-11-07 19:58:58 | Depression,Melancholy & Thought
たくさん整理がしたいことがあります................................................

色々と忙しくて更新できませんでした。
更新したかったんですけどね。
ここ数ヶ月程度は書きたいことが山のように出来ました。
そのたびに心の整理のために更新をしたかったのですが、時間を割く事が難しかったのが現状です。
項目として書きたいことを書いておきましょうかね。

・叔父との死別
・叔父の仕事をするようになったこと
・叔父の家の片付け
・叔父の家のReform
・引っ越し
・来春に学校に行く可能性
・仕事の進退
・最近購入しいるモノ
・Frustration Factor

などでしょうか。
ToughでTightなScheduleがありまして、葬儀に関しては起きている時間を全て親族と共に過ごすことが多かったんですな。
こういうことってやはり人の特質が明白に理解できますよね。

叔父との死別に関して今回少し言及しようと思います。
叔父が倒れたのは8月の半ば~末の月曜日だったような記憶があります。
月曜日だったことは間違いありません。
理由は前日に偶然おいらが顔を合わせているからですな。
前日の日曜日においらは近隣のChristian達と釣りに行く予定でした。
ところがその中の一人が突然に行かなくなったことにより釣行が中止になりました。
それで時間が空いたのでこの叔父の隣に住む母上の叔母に当たる人の家に顔を見に行ったんですよ。
そして30分程度を会話してから帰る前に叔父の顔も見ておこうと寄ったんですな。

叔母は90前後だったと思いますがね。
叔母よりもはるかに顔色が悪かったんですな.....................
最近までおいらは老人を相手にする仕事をしていした。
しかし彼処まで顔が浮腫んでいる人を見た事がありません。
そもそも入院しそうな人と接したことがないのでなんなんですがね。
そんなおいらが

「これはやばい」

と思うほど顔が浮腫み、顔色が悪かったんですよね。
残念ながら叔父は「しんどい」、「疲れた」という言葉を口にしない性格の人間でした。
非常に我慢強く、何でも辛抱で凌いできた男でした。
このような人に

「大丈夫?」というような質問は愚問です。

当然ながら「大丈夫」としか言わないのですからね。
よって此方も言葉を選ばねばなりませんでした。
というよりも明らかに彼の様子がおかしいのは間違いありませんでした。
返答もアテにならないのは間違いありません。
其の後に予定があり、少しの言葉の遣り取りや様子を見ることしか出来ず帰途につきました。
夕食を従兄弟と弟君、母上と一緒にしました。
車も一緒に乗っていったので色々と話をしました。

心配だったので面倒を見ているおいらの母上に一緒に生活する覚悟があるという旨を伝えはしましたが、的確な指示も行動もなく此方から動かなければならなかったのだという事をよく感じますね。

色々と経験してきて年齢に関係なく顔色が悪いということは体調が悪く、身体的にも悪いのだという事をよく感じます。
これは若くても関係ありません。
若いからと言って無理をしても良いと言う理由にはならないのです。

そして人が亡くなるというのはこんなに呆気ないモノなのかと思うほどあっさりと死んでいきました。

叔父に関してはもっと書きたいことがあるのですが、取り敢えずはここまでにします。


ここからはおいらの精神状態や価値観、見解などを少し書きます。

もっと落ち込むかと思ったのですが、落ち込む間もなく仕事のPressureに押されて何も出来ない状態になっていきました。
休みの日も仕事の日のような感覚で精神的にゆっくり出来てこなかったのです。
何かしらに囚われて首輪を付けられているような感覚になっていました。
柵というのがおいらは余り好きでは無いのですが、柵が幾つもあることに気が付きました。
これは一人暮しを始めて気が付いたことでもあります。

如何に沢山の事に囚われて生きてきたのか

如何に身動きできない状況に追い込まれてきたのか

というのを良く感じるのです。
仕事をしていると何かしらの感情なり必要を賄うことなどが欠落してしまう所があるのも感じますね。
また「仕事に対する姿勢」に関しても全く他の人とは異なると言うことを感じました。
「家族の必要」を最優先にするというのがおいらの主義です。
しかし仕事をしているとどうしても家族が優先順位の下になってしまっていることに後悔の念が湧いてきます。

親族にもそこまでしていないのに

という思いが先立ち

家族にもここまでしない

という葛藤と戦わなければなりませんでした。
仕事というのはそういうモノなのだと割り切る必要があるのを良く感じるようになっていきました.
今までの仕事はこのような優先順位によって続かなかったという現状があります。
しかしおいらの家族が優先順位の的確な位置に家族を置いているのかとと言われるとそうでは無いというのを感じています。
それが家族とおいらの間に大きな溝となって立ちはだかっているのでしょう。
価値観の相違であり、見解の相違でもあります。

8月末でおいらは独り暮しを始めたのですがね。
もっと早く家族から離れて生活をするようにあれば良かったと後悔しているところです。
おいらは家族の為に多くのモノを犠牲にしてきました。
これは取り返しの付かないモノばかりであり、もし家族と一緒に住んでいなければこういう事態には陥らなかったというのもあるでしょうね。

おいらにとって家族への思いというのは通常の感覚とは全く異なるモノなのだと言うことも感じますね。
通常家族というのは仕事を優先し、仕事が中心となっていくモノのようです。
聖書を学ぶChristianとして学んだことを適切に適応していくと自ずと「家族の存在」が現状の人間の中では最も重要な位置になっていくはずなのですがね。
この感覚がどうも間違いのようですな。
つまり聖書によって教えられていることと乖離していく感覚を感じている訳ですよ。

そして家族の次は親族であるというのは当然の義務であるとも考えて居ます。
そうなるとやはり親族である叔父の為に行動を起こすというのは道理に適ったモノの考え方だとおいらは思うのです。
ところがおいらの価値観というのはどうも義に過ぎているところがあるようです。
おいらの感覚では絶対的な家族への思いがおいらにとって大きな負担となってきたのは明確な事実です。
何か家族にあれば真っ先に飛んでいくというのは当然のことであり、常に行動できるようにしておかなければならないと言い聞かせてきました。

しかし家族からは軽んじられ、疎んじられてきたのだと最近気が付きました。
おいらの言動によって家族は傷つき避けるようになっていたのは間違いありませんがね。
独り暮しをしなければ解らなかった部分ではありますね。
おいらの見地では愚かだとされていることを平気でするというのはおいらの「言動の価値が無いモノ」だと見なされている事の証拠です。
このことによっておいらは自尊心というモノを根刮ぎ剥ぎ取られ、更には根に付いている肉なら未だしも骨までも持って行かれていた事実を理解することが出来てきました。
というよりおいらの思考を家族はそもそも理解できないという重大な事実にも突き当たっています。

軽んじると言うよりは

「理解が出来ない」

という事のようです。
おいらからするとこの違いは全く大差はありません。
理解できないのであれば理解しようと努めれば解ることなのですからね。
理解できないことは学習することによって始めて理解することが出来るのです。
学習するのは時間が掛かり、努力が必要ですがね。
それを怠ってきたというのは親として、人間としてどうなのかという事になります。
それをしようとはしてこなかった家族に対して、

ここまでする価値があるのだろうか

という非常に大きな疑問を感じるようになってきているんですな。
そして今まで投資してきた様々な能力や資産、時間が無駄であったかのように感じるんですよ。
家族がそのように扱うのだからという反抗の精神でこのように考えるのではありません。
家族が今までおいらに示してきた反応や態度によって


どのような人間なのか

どれだけ考えてくれているのか

どれだけ理解しようとしてくれているのか


などをはかることが出来ます。
よくよく考えると家族を贔屓してもおいらの方が家族のことを中心にしてきたようですな。
そして今まで家族に投資してきた要素全てが無駄であったことを理解するにあたり、

もうこれ以上は何もしなくても良い

と考えるようになりました。
こう考えても少なくとも何かしらは家族に対してはするからです。
そして犠牲にしてきたことから鑑みると多くのモノを失い無くしてきたのも実感します。

こう考えると一通りのおいらの思考を訂正し、是正し、より良いモノにしていかねばならないでしょう。
少なくともおいらが人の為に行いたいと思い、実行してきたことには価値があるのだと認識を改める必要がある用ですな。
これからも変わることは無いでしょうけどね。

叔父が亡くなり変わったことが沢山あります。
ここには書ききれませんがね。

家族に依存してきたと言われても可笑しくないのですがね。
それはもしも家族に何かあるのであれば行動を起こさなければならないとおいらが家族の為に自分を犠牲にしてきたからに他なりません。
家族の認識は大凡でおいらは

「価値の無い人間である」

と見なされている事からおいらは自分自身の価値を推し量ってきたところがあります。
しかしこれは大きな間違いのようですな。
よってこれから訂正して自分の価値に疑問を持たないように生きていきたいモノですな。

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