扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

それは誤解です 2007.02.18

2007-02-18 23:25:27 | Depression,Melancholy & Thought
おいらは話すことが多い.......

しかし話したくても時間をおかなければ話せないこともあったり、顔を見ても話す事を躊躇ってしまうことがある。
間が悪いというヤツですな.....
それを「避けられている」と感じている人がけっこうたくさん居たような気がします。

おいらの中では話したいのは山々なのですがね。
時間的にも、精神的にもみんながみんな話せるかというと出来ません。
見られることがないでしょうけど、ここにこのことについて書こうと思います。

沢山の人と話すことは非常に精神的体力を求められます。
だからこのごろはリミット(限界)を作るようにしています。
一人の人間が出来る事なんて知れていますし、お互いに話せないことも理解し合うことが大切だと思う訳です。
おいらに近づいてきてくださったり、おいらの挨拶を歓迎してくれる人とならば喜んで話したりもするでしょうけど、それでもセーブして話すようにしています。
これは多くの人と知り合えば知り合うほど割り切る必要を求められていると思います。
実際に忙しい人とは挨拶程度ですましますし、挨拶の言葉は必要ではない場合もありますよね。
クリスチャンの場合は握手だけでも十分だとも感じます。
同じ内容のことを少し以前に書いた記憶がありますが、集まることの第一の目的は

「話を聞くことです」

これ以上でもこれ以下でもありません。
そしてその内容から益を得るためには話し手が語られる「神の言葉」を良く黙想して心の桶にすくい比喩的な意味での人格で飲まなければならないのです。
このことは会話と同じ部分の精神的体力を使うことを意味します。
最初から最後までの話を聞きそれを堪能するためにはかなりの体力を必要とされていることは明白です。
身体的にも確実に消耗するのにそれ以外のことで消耗することによって話を聞けないことは目的を見失っていることになるでしょう。
よって特定の人としか話していないと感じるかもしれませんが、おいらはおいらの近くにいた人を中心に実行可能な範囲内でしか話しかけないようにしています。

まあ、集まることの第二の目的としてこの「交わりによる会話」があるのですけどね......

また確かに例外はありますがね。
・話を扱ってくださった知り合いの方たち
・良く交わる人たち
・同じ会衆の成員
これらの人たちは見かければ話しかけたり、話しかけられたりしますし、かなりの時間を話しています。
昔のおいらは自分の分を知らずに、限界以上のことをしていました。
以前のことを見ておられて、「なぜ話しかけてくれないのか?」と感じられるのであれば非常に申し訳なく思います。
これからはおいらは必要を顧みれる範囲でやっていこうと思いますのでよろしくお願いいたします。

見ることはないでしょうけど、気になったので書いておきます。
悪気があって無視しているのではないのです。
もしそう思われたのであれば、このことを知って頂きたいですな.....

加えてもう一つ書いておきたいことがあります。
よく独身の男性は独身の女性との関係は気をつけなければならないということはいわれています。
もちろんそれを踏まえた上でのお話です。

おいらは仕事柄で手がごついんですな。
んで近くの会衆のBにものすごくてがごつい人がいます。
このBと話をしていると「ごつさの質はどう違うのか?」というニュアンスの話になりました。
このBと挨拶をする際に握手をするのですが、いつも手がごついという話になります。
そこにおいらと良く話をする独身のSが話に入りました。
そしてBがSの手を取って握手で測ってみるような展開になりました。
おいらはBとの握手をちゃんと見ていないので握手したかどうかは定かではありませんが、おいらが握手をしようとすると、このSがかなりのドン引き状態になりました。

一応断っておくとクリスチャンは男性同士では握手して挨拶するのが普通ですが、女性は握手をしません。
んで男性と握手することはNGとされています。
しかし状況が状況だけにおいらはかなり困惑させられることになりました。

これは「握手」ではなく「計測」するだけなのです。

このSは非常に真面目な方なのでこのことを臨機応変に対応できなかったのでしょう。
またかなり警戒心を持っておられることも良くわかりました。
まあおいらの日頃の行いを見ていると警戒されない方がおかしいんでしょうけどね。
実際にあからさまにされると心に傷が付くというもんですよ。

さらに断っておくとおいらは迂闊に女性と握手するなんてしませんし、そんなつもりは全くありませんでした。
彼女の生活環境や人格形成を築く際の背景などを考えると警戒せざるを得なかったんでしょうな。

よ~く考えると解ってきますな.....
しかしおいらもかなり傷つきました。
こんな事を書くことは卑劣なのかもしれませんし、クリスチャンとしては常識なのかもしれませんが、その後どんな顔して話したらいいのか解らなくて困った顔で話を続けることになりました。
いや~.....困りました。
非常に困った顔してたと思いますよ。(笑)

おいらは女性の尊厳を軽んじてしまったようです。
罪を犯してしまいましたな.......
許しを請いたいですが、なんと言っていいのか解りません。
祈りに含めておくぐらいしか出来ず、教訓だけは生かして後のことは忘れるしかないでしょうね~。

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