買ったものを捨てるのって抵抗があるんですよね........................
貴重なお金を出して購入したモノですからね。
買った当時は生活の一部で負担ではなかった買い物でも、現在の環境では「なんて恵まれた環境だったのだろう」と感じます。
収入が今よりもありましたし、雑誌などの出費はたいした買い物ではなく読んで飽きたら捨てればいいと考えていた時期もあります。
しかしそれは週刊の漫画雑誌に限ったことで、写真関連の雑誌やMacintosh関連の雑誌などは置くスペースが無くなる度に泣く泣く手放す事をしてきました。
でも簡単に手放すのではなくスクラップして読みたい記事や気に入っている写真などは切り取ってきました。
手放すことが出来ないモノの中に「包装の箱」もあるんですよね。
当然ですが箱というのは場所を取ります。
そりゃそうですよね。
中身というのは絶対に箱よりも小さいのですから、実際に使用するのには関係のない箱というのは大きいに決まっているのです。
でも捨てることが出来ないモノがあるんですよ。
今使用しているPower Mac G4の箱はまだばらさずに箱のまま残っています。
他にもPrinterやMonitorの箱も置いていたのですが、さすがに邪魔になってばらしてしまいました。
それで直ぐにゴミとして出せばいいのですが、以前から段ボールを写真の額にしたいとか考えていたんですよ。
まあ額にするのは手間が掛かりますので段ボールを写真を飾るToolとしての使用を考えています。
貧乏性ですからな。
他には自分でも呆れてしまうのですが、ワードプロセッサの書院の説明書を未だに保管しているのには驚いています。
このワープロは今はどこに行ったのか解りません。
だから家に置いていても意味がないんですよ。
そんなモノが結構あります。
そういえばWindowsで使用するApplicationである「一太郎」や「携速」も置いてるんですよね。
Macintoshに本格移行したのが5年弱前です。
んでWindows98に入れるためのApplicationとして一太郎と携速を購入しました。
今は世代が4世代ぐらい違います。
XPで使えるのかも怪しいのですが、どうなんでしょう.....................
加えて壊れてしまったCameraと譲っていただいた当時から使用できないCameraをまだ手元に置いています。
オーバーホールに出すような金銭的余裕もありませんし、バラして自分自身で修理する事も考えましたが特殊な道具が必要なんですよね。
それに今の主流はDigital Cameraです。
フィルムで撮りたいとこのBlogで書いてきましたが、現像するのは勿体ないと考えるんですよ。
フィルム時代の束縛というか確実に撮れば撮るほど金が出て行くという感覚は「風を追うようなモノ」に他ならないでしょう。
あれと同様の空虚感はDVD-RやCD-Rを購入するときに感じます。
確かに必要なのですが、消費し無くなっていくのは虚しいと感じます。
大消費時代の現在においらはそぐわない人間なのでしょうかね~。
使い物に意義を持って使いたいんですよ。
買い物をしたときには自分自身の何か機微に触れたと感じるんですよ。
そして買ったものを見返す際にそれを思い出すんです。
するとフラッシュバックのように当時の自分自身の環境をリアルに思い出すことが出来ますし、それを味わいたい時があるんですよね。
だから捨てられないんです。(笑)
でも昨今は心を鬼にして捨てています。
おいらが良く雑誌を購入していた時期は2002年がピークだったようでいろいろな雑誌が出てきます。
雑誌以外にもいろいろと買いまくっていたようでBOSEの101の保証もあの時期ぐらいでした。
そういえば初代EOS Kiss Dを買ったのも2003年ぐらいでした。
3G iPodとPower Mac G4も2003年でしたな。
そこから自己嫌悪、自己否定が急速に成長していき買い物をしないようになっていきましたな。
なぜこうなっていったのかは分析すると見えてきますな。
まあ他にも沢山捨てられないモノがあります。
でも割り切って、壊れて認識が切れてしまったモノは捨てるようにしたいモノです。
この頃は自己投資が必要なのだと考える事が出来るようになってきましたのでちょこちょこ買っています。
Stationeryの購入も2年ぐらい前から始めていますが、Stationeryの買い物というのは人を育てるような気がします。
文具というのは良い意味で自分を成長させたいという現れだからです。
...................結局はStationeryの話になってしまったな~.............
まあ、いいや。(爆)
貴重なお金を出して購入したモノですからね。
買った当時は生活の一部で負担ではなかった買い物でも、現在の環境では「なんて恵まれた環境だったのだろう」と感じます。
収入が今よりもありましたし、雑誌などの出費はたいした買い物ではなく読んで飽きたら捨てればいいと考えていた時期もあります。
しかしそれは週刊の漫画雑誌に限ったことで、写真関連の雑誌やMacintosh関連の雑誌などは置くスペースが無くなる度に泣く泣く手放す事をしてきました。
でも簡単に手放すのではなくスクラップして読みたい記事や気に入っている写真などは切り取ってきました。
手放すことが出来ないモノの中に「包装の箱」もあるんですよね。
当然ですが箱というのは場所を取ります。
そりゃそうですよね。
中身というのは絶対に箱よりも小さいのですから、実際に使用するのには関係のない箱というのは大きいに決まっているのです。
でも捨てることが出来ないモノがあるんですよ。
今使用しているPower Mac G4の箱はまだばらさずに箱のまま残っています。
他にもPrinterやMonitorの箱も置いていたのですが、さすがに邪魔になってばらしてしまいました。
それで直ぐにゴミとして出せばいいのですが、以前から段ボールを写真の額にしたいとか考えていたんですよ。
まあ額にするのは手間が掛かりますので段ボールを写真を飾るToolとしての使用を考えています。
貧乏性ですからな。
他には自分でも呆れてしまうのですが、ワードプロセッサの書院の説明書を未だに保管しているのには驚いています。
このワープロは今はどこに行ったのか解りません。
だから家に置いていても意味がないんですよ。
そんなモノが結構あります。
そういえばWindowsで使用するApplicationである「一太郎」や「携速」も置いてるんですよね。
Macintoshに本格移行したのが5年弱前です。
んでWindows98に入れるためのApplicationとして一太郎と携速を購入しました。
今は世代が4世代ぐらい違います。
XPで使えるのかも怪しいのですが、どうなんでしょう.....................
加えて壊れてしまったCameraと譲っていただいた当時から使用できないCameraをまだ手元に置いています。
オーバーホールに出すような金銭的余裕もありませんし、バラして自分自身で修理する事も考えましたが特殊な道具が必要なんですよね。
それに今の主流はDigital Cameraです。
フィルムで撮りたいとこのBlogで書いてきましたが、現像するのは勿体ないと考えるんですよ。
フィルム時代の束縛というか確実に撮れば撮るほど金が出て行くという感覚は「風を追うようなモノ」に他ならないでしょう。
あれと同様の空虚感はDVD-RやCD-Rを購入するときに感じます。
確かに必要なのですが、消費し無くなっていくのは虚しいと感じます。
大消費時代の現在においらはそぐわない人間なのでしょうかね~。
使い物に意義を持って使いたいんですよ。
買い物をしたときには自分自身の何か機微に触れたと感じるんですよ。
そして買ったものを見返す際にそれを思い出すんです。
するとフラッシュバックのように当時の自分自身の環境をリアルに思い出すことが出来ますし、それを味わいたい時があるんですよね。
だから捨てられないんです。(笑)
でも昨今は心を鬼にして捨てています。
おいらが良く雑誌を購入していた時期は2002年がピークだったようでいろいろな雑誌が出てきます。
雑誌以外にもいろいろと買いまくっていたようでBOSEの101の保証もあの時期ぐらいでした。
そういえば初代EOS Kiss Dを買ったのも2003年ぐらいでした。
3G iPodとPower Mac G4も2003年でしたな。
そこから自己嫌悪、自己否定が急速に成長していき買い物をしないようになっていきましたな。
なぜこうなっていったのかは分析すると見えてきますな。
まあ他にも沢山捨てられないモノがあります。
でも割り切って、壊れて認識が切れてしまったモノは捨てるようにしたいモノです。
この頃は自己投資が必要なのだと考える事が出来るようになってきましたのでちょこちょこ買っています。
Stationeryの購入も2年ぐらい前から始めていますが、Stationeryの買い物というのは人を育てるような気がします。
文具というのは良い意味で自分を成長させたいという現れだからです。
...................結局はStationeryの話になってしまったな~.............
まあ、いいや。(爆)