扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

心の扉 2007.10.27

2007-10-27 23:21:56 | Depression,Melancholy & Thought
おいらはほとんど閉じっぱなしなんですな...............

最も信頼できない人間はおいらの中では自分自身だと考えるわけです。
んでそんなおいらの意見を受け入れる人間というのはかなり疑わしいと考えます。

このごろ生活の中で一人で行動する際にもけっこう完璧主義なところがあるんだな~と分析すると解るようになってきました。
自分自身に心を開けない人間が出来る行動というのは自ずと厳しいモノになっていくようです。
この分析は先日「自分に厳しすぎる」と指摘されて始めたんですがね~。
簡単なことから少し書いていくとちゃんと物事を完結させないと納得できない事が良くわかるようになってきました。
これは別に開けっ放しでも良い扉というのがおいらの家には存在します。
アコーディオンカーテンよりのようなモノなんですが、
・磁石にくっつくまでちゃんと閉めること
をしないと、そこから動けないというかもし戸が閉まりきっていないことを考えると凄い嫌悪感が襲ってきます。
たまに急いでいて閉めるのですが急いでいるのに必ず閉まりきっているか戻って確認してしまいます。
・トイレの空気の入れ換えやトイレの汚れなども必ず落とさなければ気が済みません。
また
・とにかく手を洗っていますな。
まず水道と石けんがあるのであれば手を洗わ無ければならないという強迫観念に囚われているようなところがあります。
洗ったばかりだと解っていても洗わなければならないと考えてしまいます。
加えて洗う回数は必ず2回以上は石けんを洗い落とすことがセットになっています。
洗ったばかりで1回でも良いという事を頭で考えながら2回洗ってしまうんです。

病院なんかでは感染症が流行る原因として手を洗わない事や飛沫感染などによって起こることは常識ですよね~。
よって病院にはいることに抵抗があるぐらいです。
しかし付き添いというか送迎を行なうので、他の人に比べて病院に入る機会が多いはずです。
んで靴でそのまま入らなければならない病院ですので靴に病原菌が付いてしまうと言う恐怖感が襲ってくることがあります。
また椅子に座るにしても病原菌のことを考えずに入られず、病院にはいるのであれば出るまでにトイレで手を洗って絶対に自分の所有物以外は触らないという鉄則を作ったりもしています。

これは常識なのかもしれませんがね~。
何かしらの病気になってしまうと他の人に必ず迷惑をかけてしまいます。
すでにおいらは鬱病で精神障害と分類されている病気にかかっておりかなりの出費を家族に強いてしまいました。
その事を考えるとこれ以上迷惑をかけてはならないと考えるんですな。
もしおいらが風邪なんか引いてしまうと家族にうつしてしまう可能性が飛躍的に向上します。
そう考えると自分自身に嫌悪感を抱いている上に必要以上の迷惑をかけているという事実は「居ない方が良い」と言うレベルから「抹消した方が良い」と言うレベルにアップしてしまいます。
でも昨日今日と少し熱っぽいので風邪を引きかけているかもしれません。
睡眠もなんだか満足にとれていないのでダウンしてしまうかもしれないな~。

加えて靴の汚れを落とす玄関の前に引くマットでは汚れを落とす作業も浅いところで一回落とし、深いところで落とす事も行なっているようです。
余りに当たり前にしているので気がつかなかったのですが、病院でなくても家でも店でも引いている店では必ず行なっているんですな。
習慣とは面白いモノですね。
おいらは靴を履き分けていますので汚れや埃が比較的に付いていない靴というのがあるのですが、それでも「パブロフの犬」のごとく条件反射を行なってしまいます。
この条件反射の条件というのはおいらの場合はけっこう多いようで、気がついているモノは氷山の一角で他にもあるはずなんですな。
習慣となっている行動を行なう際に「常習的に」条件反射を行なっていることが他にも非常にたくさんあるはずだと思うわけです。

また出来ることは精神的に余裕があれば直ぐに行動しないと納得できないことも解ってきました。
これはこの頃の行動なんですが、ちんたらやっているよりも直ぐに行動して終わらせてしまわなければならないと考えます。
写真のDataの取り込みもCFカードにDataを残したままというのは非常に不本意でComputerに取り込ませる事が出来るならば即読み込ませなければならないと考えてしまいます。
加えて撮り始める際にCFカードをFormatしてからでなけば撮り始めようとは思わないんですな。
その日に撮った写真ならば良いんですけどね~。
そういえば午前中に撮った写真を一度家に帰るとComputerに入れてFormatして撮るのも当たり前になっていますな。
なんだか変な感じですが、読み込ませるのに時間が掛かっていた頃の名残なのかもしれません。
USBの増設カードをつけてから飛躍的に読み込み速度というのは上昇しました。
その事を考えると作業時間のロスというのは最大で1時間半程度短縮できているはずです。
以前のUSB1.1の状態ではMAXに撮った日は12GB程度撮ったことがありました。
そうなると2時間半程度も写真の読み込みに掛かっていたことになります。
そう考えると今はかなり速度が上がっているのかもしれません。
よってApplicationの方が気になっているんでしょうな。
Applicationの起動時間と処理速度は変わっていないのですがね~。
昨年の年末ぐらいからRAWで撮り始めましたから現像という作業が増えたんです。
JPEGのみで撮っていた時は写真のピントのCheckが気になっていただけでしたが、出来ることが増えるとやはり荒が見えてくるんですな。
RAWでは露出さえ来ていると出来ることが非常に多いんですな。
よってRAWの現像方法を確立できている人というのは少ないはずです。
おいらは最初の現像はおおむねの撮った際の「カメラの前の色調」が前提となっていて再現することに心血を注ぐタイプです。
その次には現像によって映える方法を追求しているようです。
また色調の階調を最大限に生かせる撮影方法は適正露出よりも少し露出がアンダーになるように撮って少し現像でアンダーになっているところを起こすようになっています。
また露出に気を遣う際は段階露出設定で撮ります。
よって1カット少なくとも3枚は撮ることになります。
少し露出が違うと見え方というのは非常に変わってきますからね~。
全く違う写真になってしまうと言っても良いかもしれません。
そして少しアンダーな露出で色調が最も近いモノを厳選する作業が大きなポイントとなっています。

............なんだか写真の話になってしまいましたな。
「心の扉」の話ですよね~。

おいらはかなり狭量な人間です。
よっておおらかで寛容な人間が非常に羨ましく思います。
「義に過ぎる」と自分で認識していますし、おいらは絶対的に間違っているという認識もあります。
考えてみると、おいらの存在自体がNGなのですからね~。
加えて他人に期待すると言うことは「度が過ぎるはなはだ愚かしい考え」であるとさえ思います。
基本的に他の人は信頼できないというスタンスがおいらの考えです。
約束したことは行ないますが、他の人が何かしてくれるという考えは信用しません。

加えて「心の扉」を開くというのは自分の気持ちを吐露する事です。
また知って貰う努力をすると言うことでもあるでしょう。
自分の人の気持ちを理解できる人間というのは世の中には居ないのだという結論に達して、それ以降は誰にも期待しないようになりましたな。
そんなことを期待すること自体が間違いなのだとも思い知らされました。
人に依存することが間違いで、自分に期待することも間違い、人に期待することがそもそもの間違いなのだとも結論がでました。

最後に希望なんていりませんし、早く死ぬことを願う現在です。
正しいことを行ないたいと願っていますが、何をしても心が潰れているのですから収拾がつくわけがないとも思いますな。
楽に気がつかないうちに死ねる方法があるのであれば良いのですがね~。

他の人が話し掛けてきてもこちらにそれほどの価値があるとも思えませんので、心の壁を作ってしまいますな........
誰にも認識されない人間になりたいと願っていますが、そのような人間というのは居ないのでしょうか。
まあこんなBlogを維持していることが「おいら自身の自己顕示欲を満たしている」のではないかという意見もあるかもしれませんが、客観的に見てみるとこのBlogの価値は無いのだという結論にもなりました。
かなりの気持ちや感情の起伏、感情を吐露してきましたが全てを表現することが出来るべくもなく、DataとしてServerに残っているに過ぎないモノにウェイトを置くことも危険だと考えるようにもなっていますな。

少し色々と書きましたが、この頃このような記事を書いていないので書かせて頂きました。

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