ミモザアカシアが咲き出しました。
近所の道路に沿って大きな木が4,5本。
その一角は飛び抜けて明るいです!。
§ 子供の受難 §
先日、親がコロナ禍の所為でしょうか、
経済的に行き詰まって子供を道連れにして
心中してしまったニュースを聞きました。
親がDVで子供を折檻して死なせてしまう事件、
十代で過ちで身ごもって手術で堕胎してしまうこと。
幼い若いカップルが子供ができても育てられないと遺棄してしまうこと。
また生まれた赤ちゃんを育て始めても5年も育てたのに
親としての力不足で虐待や暴力で死なせてしまう事件。
就職先が決まった女子大生が身ごもった子供を産み落とした後、
子供を処分して遺棄してしまった事件もありました。
警察に露見して彼女は犯罪者になりました。
露見しなくても犯罪には変わりないですが。
そういう幼児、子供の悲惨な現状がを後を絶たない。
なんとかそのような事件になる前に防ぐ方法はないでしょうか?
韓国ではキリスト教信者が多くキリスト教関係の養護施設が、
遺棄された子供の養育を任されているらしくて、ドラマではよく見ます。
仏教の檀家制度の多い日本ではそういう仏教関係が主体となって運営している
養護施設というのはあるのでしょうか?
戦後エリザベスサンダースホームというのはキリスト精神で
立ち上げた養護施設でしたね。
現在は中学、高校まであるようです。
クロッカス
しかし日本では宗教とは関係なく国の福祉政策でそのような施設はあります。
都内では59の養護施設があるようです。
定員3121人の所。収容されている子供は2926人(平成25年度調べ)
彼等が子供をあやめる前にそのような施設のことを思い浮かべてもらう
方法を行政はもっと考えた方がいいのではないだろうか?
大規模な構想でそのような施設を多く作ったらどうでしょう。
親が子育てに疲れ果てたとき、自信をなくしたとき
相談し気兼ねなく育児を依頼できる施設。
子供が抹殺されるよりよほどいいと思うのだが。
自分では育てられないとした親が子供の幸福な未来を
思い描く事のできるPR動画とかCM等で宣伝する。
とても育てるのは無理だと思った時あそこに頼もうと思わせるような施設。
衆人が常識的に誰でも思い浮かぶような徹底した宣伝と施設が欲しい。
子供は宝です。人工的なロボットはできても
生身の人間はそう簡単には生まれて成長するわけではないのです。
ましてや、結婚しない若者が増え、結婚しても仕事との両立で育児制度の貧困で
産むのを躊躇する人も多い。
人口はどんどん減少しているのです。国家が衰退していくのです。
働く人がいないからと外国人を受け入れればいいという
安易な考えではいけないとおもうのです。
生まれた赤ちゃんが無事育っていく方法の手立てを考えて欲しい。
せめて子供をあやめるような行為をなくす社会の仕組みがあったらと思う。
クロッカス
生まれた赤ちゃんを育てるのを放棄したい人、生まれても育てる気がない人、
身ごもったけどできれば人に知られずに産んで他人に預けたい
・子持ち女性にはなりたくない人 様々な事情が発生しています。
一方で子供が欲しいのだが妊娠できない夫婦もいる。
何年も夫婦で産婦人科にかかってその費用は莫大な額になっても
功を奏さない事情も聞いている。
そういう夫婦は養子ということも考えているのだろうか?
行く先がない赤ちゃんを育てる公の施設を国に作ってもらいたい。
また養子縁組の労を執る社会の仕組み。
小さい養護施設という小さな箱物ではなくて
ダイナミックに子供育成施設のようなもの。
国家的規模でプロの母親の役割、プロの父親の役割の高給公務員を
養成し、人間育成機関のような物を作る。
そこでは人として大切な情のやりとりを密にして愛情を持ってこどもをそだてる。
さらには思いやり、倫理、正義に基づいた教育をする。
こういうことを言うとイギリスのノーベル文学賞受賞者カズオ・イシグロさんの
小説に出てくるクローン人間を思い浮かべるかもしれない。
ちょっと近いかもしれないが。
でもちがう!。*小説「わたしを離さないで」怖い小説です。
ここではクローン人間は人の役に立たせるための代替の人工の作り物でした。
(クローン人間を作ってはいけないです。)
親の都合で捨てられたり、殺されそうになった子供が国のその施設に入れば
後は教育を受けて成長して自分の夢を実現できるようになると云う可能性はある。
それを国は制度として子供を育てるのです。
そうでもしなければ日本人はどんどん減少してしまいます。
実際衰退しているのです。
わたしの考えはかなり偏ってるなぁとは思うのですが、
どなたかいいアイデアはありませんか?
昔読んだトーマス・モアのユートピアもかなり変わった社会国家を形成していた。
ユートピアの内容は頷ける箇所が多くて、
わたしはトーマス・モアのファンの一人であった。
乳幼児を過ぎた子供は全員、国家が預かって教育をして育てるという内容も
あったと思ってこの間、読み返してみたらそんな箇所はなかった!。
子育てに関してはどうも思い違いをしていました。
著者は誰だったのでしょう?
プラトンですか?ルソーですか?どこで読んだのか思い出せません・・・。
国家が預かって育てるというのはある意味共産主義っぽいのかな?
誰がそのようなことを言ってるかわかりましたらどなたか教えてください。
コメントありがとうございます。
遺棄されてしまう小さい命をなんとか
救えないものかと私個人の感想でございました。
人類が始まって以来、古今東西の哲人、政治家、
思想家達が人間の社会のあり方について
述べていますが流動する世界の社会国家の中で
今の私たちがあるんですよね。
世の中が少しずつでもよくなっていって
欲しいです。
人と付き合うことで御礼や返礼といった貸し借りは当然発生するわけです。
慶弔事と一切無関係で人生を済ませることも当然できないわけです。
ましてや家族を持てば尚更のこと子供の養育や教育にお金がかかるわけですが、養育や教育に関して親が一切関われないような生活スタイルが前提になってしまうような労働環境下では、育児放棄や虐待が無くなるはずがありません。
両親のどちらかが、子供の養育や教育にそれなりの水準を持って、一定期間関われなければ、悲劇が止むことはないでしょう。
それさえ担保できないような事業者に、事業の許可を与える必要は一切ありません。
現状では家族を持つことはおろか慶弔事さえままならないような最低賃金が当たり前のように罷り通っているわけです。
労働力を商品化することで成り立つような人材派遣業など禁止すべきです。
人の成長に時間や投資を出し惜しみ、それを資本に組み込めないような組織など、存在価値などあろうはずがありません。
努力が報われない社会どころか、努力がリスクを生み出す社会に、未来などあるわけがないと思います。
東大の上野先生が、もはや越境を勧めているのは、それ以外に方法がないからです。