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@2018村上博行

【都築卓司記念室】 北海道新聞社 都築卓司のエッセイ「オーロラ」シリーズ。。。その4。。。功名争い。。。

2019-06-23 21:55:12 | SNS
 いささか古い話だが、1936年のベルリンオリンピックの棒高跳びで、わが国の西田修平、大江季雄の両選手は、4メートル25で2位の同記録となった。そうしてメダルは、銀と銅とを半分ずつつなぎ合わせて、友情を分け合ったのは有名な話である。
 それでは学問の世界で、ノーベル賞級の発見を、2人の学者が同時に提唱したらどうなるか。その代表的なものの1つが1974年11月の新粒子の発見だろう。マサチューセッツ工科大学の中国系アメリカ人、サミュエル・ティン(丁肇中)は、ニューヨーク州のブルックヘブン研究所で、陽子の3倍も重い中間子をみつけた。彼は自分の苗字の丁に似たローマ文字Jをとり、ジェイ粒子と名づけた。
 一方、実験物理学者リヒターは、カリフォルニア州のスタンフォード大学で、同様の粒子を発見し、ギリシャ文字を使ってプサイ粒子とよんだ。学者というものは、謙譲の美徳を持っているだろうと考えたら大間違いである。先陣争いは、探検家やスポーツの記録と変わらない。アメリカ物理学会へ、ティン一族はJの字を染め抜いたTシャツを着て乗り込み、リヒター一派も、発見は自分たちのものとの気勢を上げた。これを東海岸対西海岸の対決とか、11月革命とかよんでいる。とにかく西田・大江の場合とは大違いである。研究者にも、強い自己主張が要求されるということだろうか。今でもこの粒子は、ジェイ・プサイとよばれ、1976年度のノーベル物理学賞は、この2人が連名で受けている。 
1989/05/27  北海道新聞朝刊  引用