母の涙を見るのは何度目だろう。
今、私は自分の状態についての説明と、今後の治療方針とやらを聞いている。聞く内容に対し、片っ端から泣く母は結構邪魔な存在だったが、そのお蔭で自分が泣かずにいるのも事実だった。
何でも私の足は、一生自分の意志で動くことはないそうだ。
しかし首の骨を折ったわりには快復は早く、全身麻痺してしまう人も多い‘頚椎損傷’の中では奇跡の軽傷だとも云われた。
(これで軽傷…)
ベッドから離れられない現状で軽傷。一人では車椅子にも座れず、その上電動タイプでないと移動もできない。こんな状態で軽傷。
しかし、不思議と悲観する涙を流すことはなかった。
事故当時の記憶が完全に飛んだままの私にとっては、どうしてこんなことになったのか、その方が気になった。誰も教えてくれない事実を想像するのは辛かった。
だからかもしれない。
あなたの足は動きませんよ、と云われても、そんなにショックを受けた気はしない。
それよりも別れた筈の優一が、毎日病室を訪れることの方が気になった。
それでも夜になると、無性に泣きたくなる。何が悲しいのか、自分でもよく分からないまま、自然と目頭が熱くなる。ただ泣いてしまうと、汚い。自分で拭くことができないから。
結局、見栄っ張りだったのかもしれない。私は殆ど泣くことなく‘臭いものに蓋をする’如く過ごした。
事故から数ヶ月。
私はリハビリ専門の病院へ移ることになる。
その話の真っ最中。
母は相変わらず泣き続けているし、いつもは陽気な父も黙ったままだった。
一週間後、隣の県にあるリハビリセンターへの転院が決まった。父は仕事の都合で自宅に一人残り、母は一緒に付いてくると云う。
でも、二人のそんな会話を聞きながら、私が一番不安だったこと。それは転院してしまったら、優一にはもう会えないかもしれないということだった。
どうして優一は毎日来てくれるんだろう?!
どうして、みんな何も教えてくれないんだろう?!
医師は、そのうち思い出すことがあるかもしれないと云うが、本当に思い出したら、私はどうなるんだろう…
的外れな不安を抱えながら、私は、いつもように優一を待つ。大事な話を後回しにする癖は、私にも身についている。。。
To be continued
今、私は自分の状態についての説明と、今後の治療方針とやらを聞いている。聞く内容に対し、片っ端から泣く母は結構邪魔な存在だったが、そのお蔭で自分が泣かずにいるのも事実だった。
何でも私の足は、一生自分の意志で動くことはないそうだ。
しかし首の骨を折ったわりには快復は早く、全身麻痺してしまう人も多い‘頚椎損傷’の中では奇跡の軽傷だとも云われた。
(これで軽傷…)
ベッドから離れられない現状で軽傷。一人では車椅子にも座れず、その上電動タイプでないと移動もできない。こんな状態で軽傷。
しかし、不思議と悲観する涙を流すことはなかった。
事故当時の記憶が完全に飛んだままの私にとっては、どうしてこんなことになったのか、その方が気になった。誰も教えてくれない事実を想像するのは辛かった。
だからかもしれない。
あなたの足は動きませんよ、と云われても、そんなにショックを受けた気はしない。
それよりも別れた筈の優一が、毎日病室を訪れることの方が気になった。
それでも夜になると、無性に泣きたくなる。何が悲しいのか、自分でもよく分からないまま、自然と目頭が熱くなる。ただ泣いてしまうと、汚い。自分で拭くことができないから。
結局、見栄っ張りだったのかもしれない。私は殆ど泣くことなく‘臭いものに蓋をする’如く過ごした。
事故から数ヶ月。
私はリハビリ専門の病院へ移ることになる。
その話の真っ最中。
母は相変わらず泣き続けているし、いつもは陽気な父も黙ったままだった。
一週間後、隣の県にあるリハビリセンターへの転院が決まった。父は仕事の都合で自宅に一人残り、母は一緒に付いてくると云う。
でも、二人のそんな会話を聞きながら、私が一番不安だったこと。それは転院してしまったら、優一にはもう会えないかもしれないということだった。
どうして優一は毎日来てくれるんだろう?!
どうして、みんな何も教えてくれないんだろう?!
医師は、そのうち思い出すことがあるかもしれないと云うが、本当に思い出したら、私はどうなるんだろう…
的外れな不安を抱えながら、私は、いつもように優一を待つ。大事な話を後回しにする癖は、私にも身についている。。。
To be continued